部落解放同盟との対立とは? わかりやすく解説

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部落解放同盟との対立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:22 UTC 版)

日本共産党」の記事における「部落解放同盟との対立」の解説

部落問題」も参照 部落解放同盟はその前身全国水平社中心人物西光万吉入党したように元々共産党影響力強く1960年代前半までは両者友好的な関係にあったが、1965年8月11日内閣同和対策審議会答申出されたことが大きな転換点となった社会党員など同盟内の他の潮流は、部落差別存在認め、「その早急な解決こそ、国の責務であり、同時に国民的課題である」と明記した答申内容おおむね肯定的に評価し、同対審答申完全実施要求国民運動提起することで一致したのに対し共産党や同党員である解放同盟活動家はこの答申を「毒まんじゅう」と批判したその結果同盟内で急速に支持失い同年第20回大会では、共産党代議員提出した修正案否決、同対審答申完全実施要求国民運動の展開を骨子とした運動方針採択され役員選挙では共産党員である中央執行委員のほとんどが解任された。共産党はこの動きを「一部反党修正主義者右翼社会民主主義者幹部」による策動として強く非難した。この当時消息について井上清は「部落解放全国婦人大会やりますと、それが部落問題行方不明の、共産党新婦人の会の大会みたいになるんだ。極端な例でいえば、洗剤は有害である、だから洗剤はやめましょうという話が、婦人集会で出る。これは、そのこと自体はいいんですよ、ところが、洗剤追放部落婦人解放とが結びついた話にならなくて、日共例の二つの敵」のことに部落問題解消してしまう。洗剤っていうものはアメリカ帝国主義日本石油売り込むためにやっているんだ、洗剤追放すなわち反米闘争すなわち部落解放運動だというので洗剤追放部落解放婦人運動中心題目みたいな話になっちゃうんだな。どうにもあんた、解放運動の側からいうと、わけがわからない。(略)それでとうとう、解放同盟古くからの闘士先生方我慢できなくなっちゃった。」と語っている。 また、元衆議院議員三谷秀治は「解放同盟本部社会党答申手放し賛美したのに対し地方支部一部共産党は、答申が、差別温存してきた政治的責任触れないで、いままた自民党高度経済成長政策のなかで欺まん的に部落問題解決求めようとしているとして、その融和的性格批判した。」「同和問題憲法にうたわれた基本的人権保障課題として位置づけられたことは基本的に正しかったが、非人間的差別部落押しつけてきたものはだれなのか、差別利用して部落民苦しめてきたものはだれであったのか、という政治的分析にはまるで触れられていなかった。部落差別根っこ隠蔽されていることから、差別の敵を社会一般に求めようとする誤り生まれた。」と説明している。分裂前の部落解放同盟に対して共産党とさえ手を切ってくれるな同和対策に金はいくらでも出そう」という誘いさまざまな筋からあり、北原泰作断ったが、これに乗ってしまったのが朝田善之助だったともいう。 大会以後間もなく京都府連の分裂表面化、その余波で、府連書記局設置されていた文化厚生会館帰属をめぐり、解放同盟京都府連と部落問題研究所との間で紛争発生した文化厚生会館事件)。さらに同和対策事業特別措置法制定急ピッチで進んでいた1969年2月、党農民漁民部編『今日部落問題』を刊行しその中で解放同盟指導部を「改良主義的、融和主義的偏向から自民党政府安上がり時限立法による特別措置妥協した」と批判同盟中央抗議意志を示すため、同書刊行直後開かれた全国大会来賓として出席した共産党議員紹介だけにとどめ、祝辞を読ませないとする対抗措置とられるなど、さらに関係は悪化した同年大阪起きた矢田教育事件」では、当時解放同盟教職員組合地方行政取り組んでいた越境入学問題消極的だった共産党員教員が、解放同盟大阪府矢田支部による糾弾対象となり、刑事事件進展共産党は、党組織挙げて解放同盟対決する姿勢明確にし、両者の対立決定的なものになった同盟中央は、共産党呼応する動き見せた同盟員に対して除名無期限権利停止などの処分対抗した。こうして、1970年には部落解放同盟正常化全国連会議(のちの全国部落解放運動連合会全解連)が発足した共産党やその支持者たちはこの経緯について「本来、部落差別にたいして、大同団結し活動をすすめるべき部落解放運動暴力利権組織分断持ち込み路線対立から親戚親子関係分断をはじめとした地域人びと二分する大きな誤り持ち込む結果となった」と主張している。その頂点としていわれる事件が、1974年兵庫県立八鹿高等学校における、八鹿高校事件発生であった。 現在でも共産党解放同盟両者の関係極めて険悪である。共産党は、部落解放同盟鉤括弧書きで「解同」と表記する場合もある。1990年代初頭までは「朝田松井派」と、解放同盟側を分派として糾弾する姿勢とっていた。すなわち、「解放同盟自称しているが、実態利権あさりの集団に過ぎない」という党見解反映したのであるまた、共産党は「志賀義雄一派と結びついた反共勢力指導部占拠(「解同朝田派)し、「部落民以外はすべて差別者」とする部落排外主義振りかざして反対勢力組織から排除しました。」という認識示している。裏返せば共産党内の親ソ派排除した抗争が、解放同盟飛び火した認識していることになる。また、同和利権批判有名な寺園敦史らは全解連批判してにも関わらず共産党関係した経歴から解放同盟には「共産党反動的国民融合論」と見る向きもあった。 現在一部自治体では、地域街づくり会議などで、互い陣営同席することも見られるようになった。これらは、地域過疎化世代交代によって、それぞれの勢力減少傾向にあることや、部落差別早期解消向けて一致点での共同進めようとする努力結果だともいえる。 政治においては2010年代後半から始まった野党共闘によって同一候補支援する機会増えて公の場互い互い批判することは著しく減少したしかしながら軋轢今なお強く残っている。同一候補支援することがあっても、一定の距離を保ちつつ、互いに独自の支援活動をすることが多い。

※この「部落解放同盟との対立」の解説は、「日本共産党」の解説の一部です。
「部落解放同盟との対立」を含む「日本共産党」の記事については、「日本共産党」の概要を参照ください。

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