せいじてき‐せきにん〔セイヂテキ‐〕【政治的責任】
読み方:せいじてきせきにん
「政治責任」に同じ。
政治的責任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 23:45 UTC 版)
政治的な責任に関しては数段階に分解して論ずる必要がある。 社会における政治の責任は、まず第一には為政者が負う。為政者とは、政治的な判断を行っている者、政策を選んでいる者のことである。 独裁国家の場合 たとえばある独裁国家において、独裁者が政治的な権力を一手に握っていて、その独裁者が質の低い政策を選択・実施して、その結果多くの民が死ぬような事態になった場合は、その独裁者に政治的な責任がある。 民主主義国家の場合 民主主義国においては、政治的な責任は何段階かに分けて論ぜられる。 たとえば、選挙によって議員が選ばれた議会があり、選挙で大統領が選ばれる国では、政治的な責任は直接的には大統領が負う。基本的には、大統領が政策を選ぶことができるからである。大統領の政策判断に重大な過誤があった場合、大統領が「大統領として、全国民のために、適切な判断を行う」という責任を果たしていない、ということになり、その大統領は、大統領としての責任を果たしていない、ということになる。大統領が、大統領としての責任を果たしていない場合に何が起きるか、ということは、国によって異なる。大抵の国では、国民から「大統領としての責任を果たしていない」と非難され、支持率が下がる。大抵の国では、大統領が責任をとって任期の中途で止める、ということは滅多に起きない。一般的なのは、任期を迎えた時、つまりふたたび(次の)大統領選挙が行われる時に(たとえ再度、大統領選挙に出馬しても)国民から票を入れてもらえず、(次の)選挙で負ける、という結果になる。なお、多くの国で法的には大統領の罷免の手続きが(一応)定められているものだが、実際にはそれを行うには様々な条件があり、実際に行うことは相当に困難な国は多く、(たとえ、ある大統領にかなり問題がある場合でも)実際に大統領の罷免が行われた、という国はかなり少ない。ただし、韓国の大統領は任期を満了後に、検察によって逮捕・起訴され、大統領としての任期中に行っていた数々の不法行為が暴かれ、投獄される、ということが何度も行われている。 選挙が正常に機能している民主主義国においては、もしも悪しき為政者によって、任期を複数回またいで継続的に悪政が行われ続ける場合などは、(もちろん直接的には、ひとりひとりの為政者に直接的な政治的な責任があることは言うまでもないが)そのような、質の低い為政者を選び続けてしまう国民の側にも責任がある、ということになる。国民が直接的に大統領を選ぶ制度であれ、国民が直接的には国会議員を選びその議員が首相を選ぶ制度であれ、つまり直接的であれ間接的であれ、質の低い為政者を選んでしまっているのは国民であるからである。したがって、選挙がある国においては、ひとりひとりの国民が、議員として適切な判断ができる人物を選びその人物に投票する責任があり、また大統領として適切な判断ができる人物を選び投票する責任がある。ひとりひとりの国民が、(自分ひとりの個人的な、目先の利益だけを考えるのではなく)全ての国民の幸福や全世界の人々の幸福を念頭において、(議員なり、大統領として)最良の人物を見極めて、その人物に投票する責任を負っているのである。 たとえば、第二次世界大戦中にアドルフ・ヒトラーがとった政策についての責任は、直接的にはアドルフ・ヒットラーが負っている。だが、あのヒットラーという極悪人に権力を握らせてしまった責任は、当時のドイツ国民にもある。第一次世界大戦後、(当時、すぐれて民主的な憲法であった)ヴァイマル憲法下のドイツにおいて、ドイツ国民がドイツ労働者党(ナチス党)に投票し、同党に強大な権力を持たせてしまった結果、アドルフ・ヒトラーが首相にもなり、国家元首(総統)にもなり、人類史上に残る悪行を行う結果を生んでしまったのである。もしも当時のドイツ国民がもっと賢明で、国民の感情を煽るような言葉は危険だと見抜き、ナチス党に投票するというような愚かなことをしなければ、ナチス党が権力を握ることもなく、ヒトラーが国家元首(総統)になることもなく、あのような人類史に残る悲惨な出来事を人類は経験せずに済んだわけである。その意味で、第二次世界大戦時にドイツが起こした数々の非人道的な行為、政策の政治的な責任は、アドルフ・ヒトラーにもあり、ナチス党員らにもあり、ナチスに投票した当時のドイツ国民にもある。第二次世界大戦後、ドイツ国内では、「一体何が悪かったのか?」という議論が行われるようになった。第二次世界大戦中にホロコーストが行われていたことを知っていたドイツ人もいたが、それを知らなかったドイツ人もいた。ヒトラーの責任も当然追及されたが、同時に、ホロコーストが行われていたことを知らなかったドイツ人にも、たとえ当時は知らなかったとしても、やはりヒトラーを選んでしまった責任はある、ということに気付いたドイツ人は多かった。そのような非人道的なことを(たとえ国民に隠す形であれ)行うようなヒトラーを選んでしまった自分たちドイツ人ひとりひとりも責められるべきだ、せっかく民主主義的な制度があったのにもかかわらず(ヒトラーの言説にまんまと騙されて)ナチス党に投票して全体主義的な体制を選びとってしまった責任はドイツ国民にある、まっとうな政治家を選ぶべき責任はひとりひとりのドイツ人にあったのだ、と戦後になって気づくドイツ人は多かったのである。その結果、現在でもドイツでは、(小学校や中学校や高校の)社会科の授業などで、選挙で議員や政治家を選ぶ時のひとりひとりの国民の責任についてもディスカッションが教室で行われ、ひとりひとりに自覚が生まれるような機会が義務教育の場にもうけられており、ドイツでヒトラーのような為政者が二度と登場しないように努力が積み重ねられている。この努力は後に世界にも拡がった。例えば、日本ではあまり知られていないが、世界的にナチスの制服に似た服装やナチス式敬礼が厳格に禁止されており、特にヨーロッパではナチス式の軍服を着たり、右手を真っ直ぐ上に挙げる事は禁止されている国があり、もし他者に発見された場合は罪に問われる可能性がある。日本も例外ではなく、選手宣誓や、発言の際の挙手や、アイドルの衣装・振り付けも、海外諸国(あるいは海外出身者)からナチスに関連付けて強く批判される事がある。 戦争責任については、当該項目を参照。
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