部落排外主義への批判
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部落民だけが部落解放運動に関われる、部落出身者が非部落出身者から跪いて拝まれる立場であるとする部落排外主義には批判がある。岐阜大学の藤田敬一はかつて部落解放同盟の運動に参加したものの、狭山同盟休校に異論を唱えた折、部落出身ではないために「部落民でない君に何がわかるか。わかるはずがない」と疎外され、差別者扱いされて運動を離れた。藤田は、「体験、立場、資格の固定化、絶対化はときに奇妙な倒錯現象をひきおこす。自分は部落外の人間だと思っていた人が実は祖父母のどちらかが被差別部落出身であることがわかって両手をあげて喜んだという話が十数年前にあった。彼にしてみれば、拝跪する側から拝跪される側への変身であり、ある種の被抑圧感、劣等感からの解放だったのだろう」と記している。 藤田によると、「ある言動が差別にあたるかどうかは、その痛みを知っている被差別者にしかわからない」「日常部落に生起する、部落にとって、部落民にとって不利益な問題は一切差別である」という「差別判断の資格と基準」が、「関係の固定化と対話の途切れ」を生んでおり、「被差別者」自身が引き受けるべき責任まで他人や世間に転嫁する態度を生んでいるという。これに対し部落解放同盟中央本部は1987年6月の第44回全国大会で藤田を名指しで非難し、「差別思想の持ち主」と決めつけて指弾した。 京都産業大学の灘本昌久は被差別部落民を祖先に持ちつつ当人は被差別部落出身ではなかったが、部落解放運動の内部では部落民として扱われ、「部落解放運動をやる上では、部落出身であるというお墨付きは非常に有効でして、運動の中では非常に発言権を認められることになった」、「私が今まで、部落解放運動の中で自由に発言し、部落解放同盟に対してはっきり批判的なことを言っても、それほど重大事には至らなかったが、それは「部落民」の看板があったことにもおおいに助けられていたと思う。これが一般の人で同じような発言をしていたら、たちどころに「差別発言」として、問題視され、糾弾されていたに違いない。部落外からのまっとうな批判に対して、 部落解放運動が「差別者」のレッテルを貼って、口を封じ、職を奪ったり社会的に抹殺した例は枚挙にいとまがないほどである」と述べている。 出身による差別発言認定の有無 水平社博物館館長の守安敏司の妻は高校教師であったが、部落解放奨学生の合宿で相部屋になった部落出身の女子生徒に「集合遅れるわよ。鏡を見るのが好きね」と声をかけたところ、これを部落差別発言と曲解され、十数名の奨学生から深夜2時まで糾弾された。しかし、守安の妻もまた被差別部落出身であることが判明した途端に当の女子生徒から「ごめんね。先生も苦しい思いをしてきたんだね」と謝罪を受け、へたり込んでしまった。守安の妻は「怒りと批判の対象ですら、同じ部落民とわかった途端に皆兄弟姉妹…こんなものが優しさと温もりなのか? 部落解放運動の、怒りと批判の矛先にあるものは、一体ぜんたい何なのか」と疑問を感じたという。 1970年代には中学校3年生用の同和副読本『友だち』に、以下の記述が登場した。 結婚は、お互いが好きであればそれでよいと私も思った、でも、生活には社会があるの、差別は結婚によって解決したりはしないのよ、本当にその人好きやったら一緒になったらあかん。 この記述は、1976年2月開会の第154回兵庫県議会で県議の古賀哲夫から「部落住民は部落外住民と結婚すべきではないなどという特殊な理論である」と批判を受けて削除された。 身体障害者への差別・序列付け 1973年7月24日から7月26日、同年8月11日に兵庫県立八鹿高等学校の部落研の生徒を対象に行われた合宿学習会では、部落解放同盟兵庫県連青年部などが「部落のもんでもないもんがなんで部落研をやるんか」と、部落問題を扱うのは部落民の専売特許であるとの見解を示した。部落研のメンバーである小児麻痺の女生徒が「いま聞いていたら部落だけが差別されてて、その他のはどうでもいいみたいに聞こえた」と違和感を表明すると、「部落の立場とアンタの場合は違うやろ。身体障害はアンタ一代限り。苦しみはアンタだけで終わるやろ」と被差別者同士の間に序列を作られた。このほか、部落解放同盟兵庫県連から、部落出身生徒とそれ以外の生徒では授業を分けろと要求された教師もいた。 朝田理論の本質は「部落民以外は全て差別者」と要約されることがあるが、部落解放同盟はこのような発言の存在を否定し、「日共の差別デマ宣伝」であると主張し、1976年3月の部落解放同盟大会方針でも同じことを言っている。しかし、対立団体の中西義雄はこれに反論し、部落解放同盟が 「階級的搾取の一形態として差別が厳然と存在し、この差別社会のなかでは、個人は、とくべつ意識することなしに、差別社会のしくみにしばられて、差別観念を持たされている。日本における封建的身分に直接の起源をもつ部落差別はこのようにして日本資本主義のなかで社会意識として個々人をとらえている」 と、別の言い方で同じ意味のことを書いていると指摘。さらに、朝田が部落外の人民に対して「差別する側に生まれている」ことを自覚するよう求め、「差別意識」をもつ「自己と闘い、社会と闘う」ことを要求している、とも指摘。部落解放同盟の主張を「『解同』が反動支配勢力ではなく、『労働者及び一般勤労人民』を『差別観念』の持ち主として敵視した、すでにきびしく批判されて破産している『命題』をとりつくろうため」の詭弁である、と批判している。 外山恒一は、以下のように部落排外主義を批判している。 部落研運動に疑問を抱く第二の点は、部落の人間を「一方的な被差別者」として認識して、彼らの云い分を絶対化してしまう点である。 このことは、高部連(引用者注、福岡県高等学校部落解放研究連絡協議会)総会の後にぼくらと話をした部落研の顧問の教師の言葉に端的に表れている(森田との筆談参照)。いわく「部落の者しか差別の問題を論じることはできない」、いわく「踏みつけにされる側にしか差別の苦しみは分からない」etc。いいかげんにしろって感じだ。これらの物云いはすベて部落の人間を「一方的被差別者」として認識することから発している。 ここまで極端ではないにしろ、部落研の人に「差別」の基準は何かと問うたら、たいてい、「差別される側が差別だと感じたら差別だ」と答えてくれる。 そんなバカな話があるものか。部落出身者だってそのへんの人と何ら変わらないんだから、マトモなやつもいればアホなやつもいるわけだ。差別されても差別だと感じない人もいるだろうし(女性差別なんて存在しないと思い込んでいるバカ女も世の中にはたくさんいる)、別に何でもないことを差別だと主張する人もいるはずだ。 それなのにどうして相手が部落出身者であるというだけでその価値観を全面的に受け入れる必要があろうか。 しかし部落研の運動の世界では部落の生徒の云い分は必ず聞く価値のあるものなのだ。部落出身者はきっと間違ったことを云わないのだろう。 バカバカしい。彼らの世界では<部落出身者=一方的被差別者=絶対善>なのだ。 こうして部落研の運動にかかわった部落出身の生徒は自分の被害者意識を絶対化させ、たとえばぼくなんかが、「おまえは高校中退者であるぼくを差別する加害者だ」と云ってみてもさっぱりそのことが理解できなくなるのである。それどころか逆に怒るだろう。 差別されているのは部落の人間だけではない。障害者や在日外国人も差別されているし、女性も差別されているし、低学歴者も差別されているし、プー太郎も差別されるし、思想的に差別される場合もあるのだ。その中でどの差別が一番苦しいということもなければ、「部落に住む在日朝鮮人で学歴もなく職もない障害をもった女性の共産主義者」がもっとも抑圧されているということもないのだ。 誰だってある場面では差別者になり得るし、被差別者になり得るのだ。それを何か固定された関係性のようにとらえて「被差別者」に抑圧されるのはまっぴらだ。
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