部落排外主義への批判とは? わかりやすく解説

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部落排外主義への批判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 15:09 UTC 版)

朝田理論」の記事における「部落排外主義への批判」の解説

部落民だけが部落解放運動に関われる、部落出身者非部落出身者から跪いて拝まれ立場であるとする部落排外主義には批判がある。岐阜大学藤田敬一はかつて部落解放同盟運動参加したものの、狭山同盟休校異論唱えた折、部落出身はないために「部落民でない君に何がわかるか。わかるはずがない」と疎外され差別扱いされて運動離れた藤田は、「体験立場資格固定化絶対化はときに奇妙な倒錯現象ひきおこす自分部落外の人間だと思っていた人が実は祖父母どちらか被差別部落出身であることがわかって両手をあげて喜んだという話が十数年前にあった彼にしてみれば拝跪する側から拝跪される側への変身であり、ある種の被抑圧感、劣等感からの解放だったのだろう」と記している。 藤田によると、「ある言動差別にあたるかどうかは、その痛み知っている被差別者にしかわからない」「日常部落生起する部落にとって、部落民にとって不利益な問題一切差別である」という「差別判断資格基準」が、「関係の固定化対話途切れ」を生んでおり、「被差別者自身引き受けるべき責任まで他人世間転嫁する態度生んでいるという。これに対し部落解放同盟中央本部1987年6月第44回全国大会藤田名指し非難し、「差別思想持ち主」と決めつけて指弾した。 京都産業大学灘本昌久被差別部落民祖先持ちつつ当人被差別部落出身ではなかったが、部落解放運動内部では部落民として扱われ、「部落解放運動をやる上では、部落出身であるというお墨付きは非常に有効でして、運動の中では非常に発言権認められることになった」、「私が今まで部落解放運動の中で自由に発言し部落解放同盟に対してはっきり批判的なことを言ってもそれほど重大事には至らなかったが、それは「部落民」の看板があったことにもおおいに助けられていたと思う。これが一般の人で同じよう発言をしていたら、たちどころに差別発言」として、問題視され糾弾されていたに違いない部落外からのまっとうな批判に対して部落解放運動が「差別者」のレッテル貼って、口を封じ、職を奪った社会的に抹殺した例は枚挙にいとまがないほどである」と述べている。 出身による差別発言認定有無 水平社博物館館長の守安敏司の妻は高校教師であったが、部落解放奨学生合宿相部屋になった部落出身女子生徒に「集合遅れるわよ。鏡を見るのが好きね」と声をかけたところ、これを部落差別発言曲解され十数名の奨学生から深夜2時まで糾弾された。しかし、守安の妻もまた被差別部落出身であることが判明した途端に当の女子生徒から「ごめんね。先生苦し思いをしてきたんだね」と謝罪を受け、へたり込んでしまった。守安の妻は「怒り批判対象ですら、同じ部落民わかった途端に兄弟姉妹…こんなものが優しさ温もりなのか? 部落解放運動の、怒り批判矛先にあるものは、一体ぜんたい何なのか」と疑問感じたという。 1970年代には中学校3年生用の同和副読本友だち』に、以下の記述登場した結婚は、お互いが好きであればそれでよいと私も思ったでも、生活には社会があるの、差別結婚によって解決したはしないのよ、本当にその人好きやったら一緒になったらあかん。 この記述は、1976年2月開会の第154兵庫県議会県議古賀哲夫から「部落住民部落住民結婚すべきではないなどという特殊な理論である」と批判受けて削除された。 身体障害者への差別序列付け 1973年7月24日から7月26日同年8月11日兵庫県立八鹿高等学校部落研の生徒対象行われた合宿学習会では、部落解放同盟兵庫県青年部などが「部落のもんでもないもんがなんで部落研をやるんか」と、部落問題を扱うのは部落民専売特許であるとの見解示した部落研のメンバーである小児麻痺女生徒が「いま聞いていたら部落だけが差別されてて、その他のどうでもいいみたいに聞こえた」と違和感表明すると、「部落立場アンタ場合は違うやろ。身体障害アンタ一代限り苦しみアンタだけで終わるやろ」と被差別者同士の間に序列作られた。このほか、部落解放同盟兵庫県連から、部落出身生徒とそれ以外生徒では授業分けろ要求され教師もいた。 朝田理論本質は「部落民以外は全て差別者」と要約されることがあるが、部落解放同盟このような発言存在否定し、「日共差別デマ宣伝」であると主張し1976年3月部落解放同盟大会方針でも同じことを言っている。しかし、対立団体中西義雄はこれに反論し部落解放同盟が 「階級的搾取の一形態として差別厳然と存在し、この差別社会のなかでは、個人は、とくべつ意識することなしに、差別社会のしくみにしばられて、差別観念持たされている。日本における封建的身分直接起源をもつ部落差別このようにして日本資本主義のなかで社会意識として個々人とらえている」 と、別の言い方で同じ意味のことを書いていると指摘。さらに、朝田部落外の人民に対して差別する側に生まれている」ことを自覚するよう求め、「差別意識」をもつ「自己闘い社会闘う」ことを要求している、とも指摘部落解放同盟の主張を「『解同』が反動支配勢力ではなく、『労働者及び一般勤労人民』を『差別観念』の持ち主として敵視した、すでにきびしく批判され破産している『命題』をとりつくろうため」の詭弁である、と批判している。 外山恒一は、以下のように部落排外主義批判している。 部落運動疑問を抱く第二の点は、部落人間を「一方的な被差別者」として認識して、彼らの云い分を絶対化してしまう点である。 このことは、高部連(引用者注、福岡県高等学校部落解放研究連絡協議会総会の後にぼくらと話をした部落研の顧問教師言葉端的に表れている(森田との筆談参照)。いわく「部落の者しか差別問題論じることはできない」、いわく「踏みつけにされる側にしか差別苦しみ分からないetcいいかげんにしろって感じだ。これらの物云いはすベて部落人間を「一方的被差別者」として認識することから発している。 ここまで端ではないにしろ、部落研の人に「差別」の基準何かと問うたら、たいてい、「差別される側が差別だと感じた差別だ」と答えてくれる。 そんなバカな話があるものか。部落出身者だってそのへんの人と何ら変わらないんだから、マトモなやつもいればアホなやつもいるわけだ。差別されても差別だと感じない人もいるだろうし(女性差別なんて存在しない思い込んでいるバカ女も世の中にはたくさんいる)、別に何でもないことを差別だと主張する人もいるはずだ。 それなのにどうして相手部落出身者であるというだけでその価値観全面的に受け入れる必要があろうか。 しかし部落研の運動の世界では部落生徒の云い分は必ず聞く価値のあるものなのだ。部落出身者はきっと間違ったことを云わないのだろう。 バカバカしい。彼らの世界では部落出身者一方的被差別者絶対善>なのだ。 こうして部落研の運動かかわった部落出身生徒自分被害者意識絶対化させ、たとえばぼくなんかが、「おまえは高校中退者であるぼくを差別する加害者だ」と云ってみてもさっぱりそのこと理解できなくなるのであるそれどころ逆に怒るだろう。 差別されているのは部落人間だけではない。障害者在日外国人差別されているし、女性差別されているし、低学歴者も差別されているし、プー太郎差別されるし、思想的差別され場合もあるのだ。その中でどの差別が一番苦しということなければ、「部落に住む在日朝鮮人学歴もなく職もない障害をもった女性共産主義者がもっと抑圧されているということもないのだ。 誰だってある場面で差別者になり得るし、被差別者なり得るのだ。それを何か固定され関係性のようにとらえて被差別者」に抑圧されるのはまっぴらだ。

※この「部落排外主義への批判」の解説は、「朝田理論」の解説の一部です。
「部落排外主義への批判」を含む「朝田理論」の記事については、「朝田理論」の概要を参照ください。

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