部落解放同盟からの抗議、絶版
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「血だるま剣法/おのれらに告ぐ」の記事における「部落解放同盟からの抗議、絶版」の解説
1962年8月、部落解放同盟大阪府連から「差別と偏見を助長する」として日の丸文庫へ『血だるま剣法』に対する抗議が寄せられた。 糾弾会に呼び出された日の丸文庫社長の山田秀二が「文句があるならそっちから来るのが筋」と返答したところ、部落解放同盟大阪府連の同盟員ら5名が棍棒などを手に取り、トラックの荷台に乗って日の丸文庫本社に押しかけてきた。これに驚いた山田が平田を呼び出し、当時大阪府連の指導者だった松田喜一の自宅へ、日の丸文庫専務を交えた3人で出向くことになった。当時平田は極貧生活を送っていたため、自宅の奈良県天理市から大阪府浪速区までの電車賃が出せず、隣家の主婦に借金して日の丸文庫に出向いたという。 合計3回の糾弾会を経て、部落解放同盟の要求により日の丸文庫は本作を回収・廃棄・絶版処分とし、以降2004年になるまでどこの出版社からも復刊されることはなかった。部落解放同盟の監修を付けて改作版を出す企画もあったが、改作版を担当した『解放新聞』主筆土方鐵による原作が使い物にならず、土方が劇画を蔑視していたこともあり、山田が土方に不採用分の原作料を払った後、話はそれきりになった。紳士的だった松田とは対照的に、糾弾会に同席した他の5 - 6人の部落解放同盟員は柄が悪く、「ヤクザのように見えた」とも平田は語っている。 表向きには完全に処分されたと思われた『血だるま剣法』だったが、実際には回収・廃棄処分は徹底して行われてはいなかったようで、日の丸文庫の倉庫に大量に保管されていたという。同社に入社した山松ゆうきちや山上たつひこがそれを発見しており、山上にいたっては自作にて『血だるま剣法』のパロディを行っている。また、売れ残り品が古本屋や露店でひそかに売られていた可能性もあるという。 桜井昌一の著書『ぼくは劇画の仕掛人だった』には、本作を同盟員の目の前で焼却処分にしたとの記載があるが、平田は「回収は一部だけで、焼いた事実はない」と語っている。
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