邸宅の建設
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チジック・ハウスは、バーリントンによるルネサンスの模倣ではなく、典型的なローマ式庭園 (Roman gardens) (英語版) の中にあるローマ式邸宅 (Roman villa) (英語版) を作る試みだった。チジック・ハウスは16世紀イタリアの建築家アンドレーア・パッラーディオと彼のアシスタント、ヴィンチェンツォ・スカモッツィによるいくつかの建築物から、部分的に大きな刺激を受けている。邸宅はしばしば、ヴィチェンツァ 近郊のヴィラ・アルメリコ・カプラ、ラ・ロトンダ (Villa Almerico-Capra La Rotonda) に直接触発されたと言われるが 、これは建築家コーレン・キャンベル (1676年 - 1729年) が、ヴィラ・アルメリコ・カプラに極めて忠実に基づいたチジック・ハウス用の設計図をバーリントンに提供していたからである。しかしながらこれは明らかにバーリントンに影響を与えたものの、彼は提案を拒否し、設計図をケント州ミアワース (Mereworth) のミアワース城 (Mereworth Castle) (英語版) で使った。チジック・ハウスにあるバーリントンの蔵書目録によると、彼はパッラーディオだけに影響を受けていたわけではなかった。セバスティアーノ・セルリオ (1475年 - 1554年頃) やレオン・バッティスタ・アルベルティ (1404年 - 1472年) などの影響力のあるルネサンス期のイタリア人建築家の本も所有していたし、また蔵書にはジャン・コトール (Jean Cotelle、1642年 - 1706年) (英語版)、フィリベール・ド・ロルム (Philibert de l'Orme、1514年 - 1570年) (英語版) 、アブラハム・ボッセ (Abraham Bosse、1602年 - 1676年) (英語版) 、ジャン・ビュラン (Jean Bullant、1515年 - 1578年) (英語版) 、サロモン・ド・コー (Salomon de Caus、1576年 - 1626年) (英語版) 、ローランド・フレアール・ド・シャムブレー (Roland Fréart de Chambray、1606年 - 1676年) (英語版) 、ユーグ・サンバン (Hugues Sambin、1520年 - 1601年) (英語版) 、アントワーヌ・デコデ (Antoine Desgodetz、1653年 - 1728年) などの、フランスの建築家、彫刻家、イラストレーター、あるいは建築理論家の著作やクロード・ペロー (1613年 - 1688年) の著作Treatise of the Five Ordersをジョン・ジェームス (John James、1673年 - 1746年) (英語版) が翻訳した本なども含まれていた。パッラーディオの業績はおそらく設計図や古代ローマ建築の復元を通して、バーリントンに重大な影響を及ぼした。これらの多くは未出版で一部だけが知られていたが、バーリントンはそれらを2回目のグランドツアーの際に購入して、ブルー・ベルベット・ルーム (Blue Velvet Room) に収納し、研究のために使った。ローマ建築の復元プランは、バーリントンの邸宅における、八角形・円・長方形・アプス などを含む多種多様な幾何学的形状の発想の源泉となった。 おそらく、パッラーディオにより復元されチジック・ハウスに最も影響を与えた建物は、古代ローマの象徴的な建造物、ディオクレティアヌス浴場 であった。 その影響は、ドーム型ホール(階上ホール)、ギャラリー、図書室とそこから繋がる各部屋に見ることができる。 バーリントンが使ったローマ様式は、邸宅の急角度のドームからも見てとることができ、これはパンテオン神殿に由来するものである。また、チジックにある階上ホール(Upper Tribunal) や階下ホール (Lower Tribunal) の八角形のドームは、ヴィンチェンツォ・スカモッツィによるヴィチェンツァ近郊のロッカ・ピサーナ (Rocca Pisana) (英語版) から影響を受けたと考えられている。バーリントンは、また八角形の選択に関して、おそらくルネサンス期の建築家セバスティアーノ・セルリオ (1475年 - 1554年) のデッサン図 、あるいは古代ローマの建築物に影響を受けた。(例えばバーリントンは、クロアチアの都市スプリトにあるディオクレティアヌス宮殿の八角形の霊廟 (mausoleum) のパッラーディオによるデッサン図を所有していた。) レンガ造りのチジック・ハウスの正面玄関は少量の化粧しっくい を混ぜたポートランド石 (Portland stone) (英語版) でできている。突き出した6列の柱廊の、ジョン・ボソン (John Boson) (英語版) により細かい装飾が施されたコリント式 の柱は、古代ローマのカストルとポルックス神殿 (Temple of Castor and Pollux) に由来しており、インセットドアや突き出した台座はトラヤヌスの記念柱に由来している。円形の装飾がついた銃眼のある短い壁が邸宅の両側を拡張しており、これは中世の (あるいは古代ローマの) 砦として外壁で囲まれた街を象徴していて、パッラーディオがヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂で使った手法、あるいはイニゴー・ジョーンズが使った手法に影響を受けている。(パッラーディオは彼の1570年の論文I quattro libri dell'architetturaでギザギザの部分を持つ壁のあるフォスカリ邸 (Villa Foscari) (英語版) の木版画を製作したが、これは建築されなかった。) この繋がりを明らかにするために、著名なフランドル出身の彫刻家ジョン・マイケル・ライスブラック (John Michael Rysbrack、1694年 - 1770年) (英語版) 作のパッラーディオとジョーンズの等身大像が壁のこの部分に置かれている。パッラーディオの影響は、中央ホールなど全般的に立方形を使っていることからも感じられる。邸宅は 21メートル (70フィート) × 21メートル (70フィート) × 11メートル (35フィート) のサイズで、立方体の半分である。 ドーム型ホールに続く柱廊には、ローマ皇帝アウグストゥスの胸像が設置されている。アウグストゥスは多くの18世紀初頭のイギリス貴族によって、最も偉大なローマ皇帝であると考えられていた。(初期のジョージ王朝時代、すなわちジョージ1世及びジョージ2世の時代はオーガスタン時代として知られていた。) アウグストゥス帝との繋がりは、チジック・ハウスの庭園にある、「祭祀場」(temple) の前後を象徴的に護衛しているスフィンクスやオベリスク 、あるいはライオンの石像等からもうかがわれる。バーリントンや彼と同時代の人々は、アウグストゥスがエジプトを侵略し様々なものを持ち帰り、それらをローマで復元した事実を意識していた。ローマ時代の影響は、ボルゲーゼの剣闘士 (Borghese gladiator) (英語版) 、メディチのヴィーナス像 (Venus de' Medici) (英語版)、伝説の古代ローマの建国者であるロームルスとレムス (Romulus and Remus) のノスタルジックな記憶を想起するために使われるオオカミ像、アウグストゥス帝の誕生を象徴する山羊座 (zodiac of Capricorn) のシンボルであるヤギ像、偉大なイノシシ猟を象徴するために邸宅の裏に配置されたイノシシ像などのバーリントンによる意図的な配置によって、明白になっている。邸宅の内部にはローマ神話の愛と美の女神であり、トロイから逃れローマを共同建国したアイネイアースの母であるヴィーナス像が置かれていることからも、ローマ時代の影響がうかがえる。邸宅の前庭には、ローマ神話における距離と空間の神テルミヌス (Terminus) をかたどったいくつかの「ターム」(Term) (英語版) があり、これらは境界線を示す印として使われている。 邸宅の裏にはギリシア神話の神、旅人達の守護神ヘルメスをかたどった「ヘルマ」 (herma) が置かれており、これらはバーリントンの庭園を訪問したい全ての人を歓迎している。(チジック・ハウスの庭園はロンドンにあるヴィラの中で来訪者が最も多い。) 第2代ハービー男爵ジョン・ハービー (John Hervey, 2nd Baron Hervey、1696年 - 1743年) (英語版) はチジック・ハウスが建てられたとき、「住むには狭すぎるし、時計飾りとしては大きすぎる」と書いている。ペニキュイック (Penicuik) のジョン・クラーク (John Clerk of Penicuik、1611年 - 1674年) (英語版) は、「便利というよりむしろ凝った」(Rather curious than convenient) と言い、ホレス・ウォルポール (1717年 - 1797年) は「美しいモデル」(the beautiful model ) と呼んだ。 バーリントンが生前、その多くを2度の欧州へのグランドツアーで購入した、167点を超える絵画をチジック・ハウスに展示したことからもわかる通り、邸宅建築の目的の一つはアートギャラリーであった。
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