邸宅の建設とは? わかりやすく解説

邸宅の建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 06:50 UTC 版)

チジック・ハウス」の記事における「邸宅の建設」の解説

チジック・ハウスは、バーリントンによるルネサンス模倣ではなく典型的なローマ庭園 (Roman gardens) (英語版) の中にあるローマ邸宅 (Roman villa) (英語版) を作る試みだった。チジック・ハウス16世紀イタリア建築家アンドレーア・パッラーディオ彼のアシスタントヴィンチェンツォ・スカモッツィによるいくつかの建築物から、部分的に大きな刺激受けている。邸宅はしばしば、ヴィチェンツァ 近郊ヴィラ・アルメリコ・カプララ・ロトンダ (Villa Almerico-Capra La Rotonda) に直接触発されと言われるが 、これは建築家コーレン・キャンベル (1676年 - 1729年) が、ヴィラ・アルメリコ・カプラ極めて忠実に基づいたチジック・ハウス用の設計図バーリントン提供していたからである。しかしながらこれは明らかにバーリントン影響を与えたものの、彼は提案拒否し設計図ケント州ミアワース (Mereworth) のミアワース城 (Mereworth Castle) (英語版) で使ったチジック・ハウスにあるバーリントン蔵書目録によると、彼はパッラーディオだけに影響受けていたわけではなかった。セバスティアーノ・セルリオ (1475年 - 1554年頃) やレオン・バッティスタ・アルベルティ (1404年 - 1472年) などの影響力のあるルネサンス期イタリア人建築家の本も所有していたし、また蔵書にはジャン・コトール (Jean Cotelle、1642年 - 1706年) (英語版)、フィリベール・ド・ロルム (Philibert de l'Orme1514年 - 1570年) (英語版) 、アブラハム・ボッセ (Abraham Bosse、1602年 - 1676年) (英語版) 、ジャン・ビュラン (Jean Bullant、1515年 - 1578年) (英語版) 、サロモン・ド・コー (Salomon de Caus、1576年 - 1626年) (英語版) 、ローランド・フレアール・ド・シャムブレー (Roland Fréart de Chambray1606年 - 1676年) (英語版) 、ユーグ・サンバン (Hugues Sambin、1520年 - 1601年) (英語版) 、アントワーヌ・デコデ (Antoine Desgodetz、1653年 - 1728年) などの、フランスの建築家、彫刻家イラストレーター、あるいは建築理論家の著作クロード・ペロー (1613年 - 1688年) の著作Treatise of the Five Ordersをジョン・ジェームス (John James1673年 - 1746年) (英語版) が翻訳した本なども含まれていた。パッラーディオ業績はおそらく設計図古代ローマ建築復元通してバーリントン重大な影響及ぼした。これらの多く未出版一部だけが知られていたが、バーリントンはそれらを2回目グランドツアーの際に購入して、ブルー・ベルベット・ルーム (Blue Velvet Room) に収納し研究のために使ったローマ建築復元プランは、バーリントン邸宅における、八角形・円・長方形アプス などを含む多種多様な幾何学的形状発想源泉となった。 おそらく、パッラーディオにより復元されチジック・ハウスに最も影響与えた建物は、古代ローマ象徴的な建造物ディオクレティアヌス浴場 であったその影響は、ドーム型ホール(階上ホール)、ギャラリー図書室とそこから繋がる各部屋に見ることができる。 バーリントン使ったローマ様式は、邸宅急角度ドームからも見てとることができ、これはパンテオン神殿由来するものである。また、チジックにある階上ホール(Upper Tribunal) や階下ホール (Lower Tribunal) の八角形ドームは、ヴィンチェンツォ・スカモッツィによるヴィチェンツァ近郊のロッカ・ピサーナ (Rocca Pisana) (英語版) から影響受けた考えられている。バーリントンは、また八角形選択に関して、おそらくルネサンス期建築家セバスティアーノ・セルリオ (1475年 - 1554年) のデッサン図 、あるいは古代ローマ建築物影響受けた。(例えバーリントンは、クロアチアの都市スプリトにあるディオクレティアヌス宮殿八角形霊廟 (mausoleum) のパッラーディオによるデッサン図を所有していた。) レンガ造りチジック・ハウス正面玄関少量化粧しっくい混ぜたポートランド石 (Portland stone) (英語版) でできている。突き出した6列の柱廊の、ジョン・ボソン (John Boson) (英語版) により細かい装飾施されコリント式は、古代ローマカストルとポルックス神殿 (Temple of Castor and Pollux) に由来しており、インセットドアや突き出した台座トラヤヌスの記念柱由来している。円形装飾がついた銃眼のある短い壁が邸宅両側拡張しており、これは中世の (あるいは古代ローマの) 砦として外壁囲まれた街象徴していて、パッラーディオヴェネツィアサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂使った手法、あるいはイニゴー・ジョーンズ使った手法影響受けている。(パッラーディオ彼の1570年論文I quattro libri dell'architetturaでギザギザ部分を持つ壁のあるフォスカリ邸 (Villa Foscari) (英語版) の木版画製作したが、これは建築されなかった。) この繋がり明らかにするために、著名なフランドル出身彫刻家ジョン・マイケル・ライスブラック (John Michael Rysbrack、1694年 - 1770年) (英語版) 作のパッラーディオジョーンズ等身大像が壁のこの部分置かれている。パッラーディオ影響は、中央ホールなど全般的に立方形を使っていることからも感じられる邸宅21メートル (70フィート) × 21メートル (70フィート) × 11メートル (35フィート) のサイズで、立方体半分である。 ドーム型ホールに続く柱廊には、ローマ皇帝アウグストゥス胸像設置されている。アウグストゥス多く18世紀初頭イギリス貴族によって、最も偉大なローマ皇帝であると考えられていた。(初期ジョージ王朝時代、すなわちジョージ1世及びジョージ2世時代オーガスタン時代として知られていた。) アウグストゥス帝との繋がりは、チジック・ハウス庭園にある、「祭祀場」(temple) の前後象徴的に護衛しているスフィンクスオベリスク 、あるいはライオン石像からもうかがわれる。バーリントンや彼と同時代の人々は、アウグストゥスエジプト侵略し様々なものを持ち帰り、それらをローマで復元した事実意識していた。ローマ時代影響は、ボルゲーゼの剣闘士 (Borghese gladiator) (英語版) 、メディチヴィーナス像 (Venus de' Medici) (英語版)、伝説古代ローマ建国者であるロームルスとレムス (Romulus and Remus) のノスタルジック記憶想起するために使われるオオカミ像、アウグストゥス帝の誕生象徴する山羊座 (zodiac of Capricorn) のシンボルであるヤギ像、偉大なイノシシ猟を象徴するために邸宅の裏配置されイノシシ像などのバーリントンによる意図的な配置によって、明白になっている。邸宅内部にはローマ神話の愛と美の女神であり、トロイから逃れローマ共同建国したアイネイアースの母であるヴィーナス像置かれていることからも、ローマ時代影響うかがえる邸宅前庭には、ローマ神話における距離と空間の神テルミヌス (Terminus) をかたどったいくつかのターム」(Term) (英語版) があり、これらは境界線を示す印として使われている。 邸宅の裏にはギリシア神話の神、旅人達の守護神ヘルメスかたどったヘルマ」 (herma) が置かれており、これらはバーリントン庭園訪問したい全ての人を歓迎している。(チジック・ハウス庭園ロンドンにあるヴィラの中で来訪者が最も多い。) 第2代ハービー男爵ジョン・ハービー (John Hervey, 2nd Baron Hervey1696年 - 1743年) (英語版) はチジック・ハウス建てられたとき、「住むには狭すぎるし、時計飾りとしては大きすぎると書いている。ペニキュイック (Penicuik) のジョン・クラーク (John Clerk of Penicuik、1611年 - 1674年) (英語版) は、「便利というよりむしろ凝った」(Rather curious than convenient) と言いホレス・ウォルポール (1717年 - 1797年) は「美しモデル」(the beautiful model ) と呼んだバーリントン生前、その多く2度欧州へグランドツアー購入した167点を超える絵画チジック・ハウス展示したことからもわかる通り邸宅建築目的一つアートギャラリーであった

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