赤螺(あかにし)家
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赤螺吉兵衛(あかにし きちべえ) 演 - 堀部圭亮 安子編(岡山編)に登場。赤螺家の人物の中で唯一ひなた編に登場していない。 朝丘町商店街にある荒物屋「あかにし」店主で町内会長。町内でいち早くラジオを入手していた。その性格から、周囲からは「ケチ兵衛」と呼ばれている。ぶっきらぼうで頑固な性格であるが一人息子の吉右衛門には甘い。時には阿漕なやり方をしてまで金儲けをするのも吉右衛門に良い暮らしをさせたいがためである。 戦時中「基礎英語講座」(当時敵性語)を聴くため毎朝ラジオ体操に遅刻する安子を米英のスパイ呼ばわりして糾弾する。 岡山大空襲直前にも金儲けのための買い占めを行い、堪りかねて意見する妻の清子に文句があるなら出て行けと暴言を吐いた事で吉右衛門の怒りを買い、母と共に出て行くと告げられ、「ケチ兵衛」と痛罵され見限られる。直後の大空襲時に身を挺して息子を戦火から守ったが、その際自身は命を落とす。それぞれ彼を非難、痛罵したのが最後のやり取りとなってしまった事は清子、吉右衛門母子にとって後年まで残る大きな傷となってしまった。 赤螺清子(あかにし きよこ) 「#赤螺家(ひなた編)」を参照。 赤螺吉右衛門(あかにし きちえもん) 「#赤螺家(ひなた編)」を参照。
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赤螺家(ひなた編)
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赤螺清子(あかにし きよこ) 演 - 松原智恵子(若年期(安子編):宮嶋麻衣) 全編通して登場(「るい編」ではるいと錠一郎が京都に移住してからの登場)。 岡山の朝丘町商店街の荒物屋「あかにし」の店主・赤螺吉兵衛の妻。優しく控え目な性格。岡山大空襲で夫を亡くし、故郷の京都で息子の吉右衛門と「あかにし」を立て直しつつましく暮らす。 岡山時代のことは良く覚えておらず、吉右衛門が生まれた日に起きた算太によるラジオ窃盗をひなたに話した際も、「近所の和菓子屋の息子がやった悪戯」としか覚えておらず、店の名前が「御菓子司 たちばな」ということも、盗人の名前が算太だったことも思い出せなかった。しかし、1993年のクリスマスにるいを訪ねてやって来た算太のダンスを観たことで岡山時代のことを思い出し、病で死を待つばかりの身となった算太のもとへ吉右衛門と共に駆けつける。 正確な時期は明かされていないが、1994年の終わりに曾孫・小夜吉が誕生したのを見届けた後に死去したことがひなたによって語られている。 赤螺吉右衛門(あかにし きちえもん) 演 - 堀部圭亮(二役)(乳児期:角野彩晴、幼少期:中川聖一朗、少年期:石坂大志(二役)) 全編通して登場(「るい編」ではるいと錠一郎が京都に移住してからの登場)。 吉兵衛と清子の一人息子。初代桃山剣之介がデビューした昭和8年(1933年)に出生。岡山大空襲で父を亡くし、母と共に京都のあかね通り商店街に移住し、「あかにし」を復活させた(後年電器屋に転業)。1964年ごろに初美と結婚。あかね通り商店街会長。息子吉之丞はひなたと同級生。 家族揃って甘味が大好物で、岡山では「たちばな」の、京都では「大月」の常連客となっている。 幼少期は父を理詰めで諭す冷静沈着なしっかり者で、前述の買い占めをした父に清子が抗議したことで暴言を吐いたことに怒り、痛罵した末に見限ったこともあるが、成長するにつれ風貌も性格も父そっくりとなる。しかし、家族以外の人間を牽制するような目をしていた父よりは目つきが柔和で、錠一郎のモモケン談義に乗って共にチャンバラに興じるなど、ノリの良い面もある。人情もあり、るいが「あかにし」店内で倒れた際には、自転車の練習をする錠一郎の元へ息せき切って走り知らせている。また、息子の吉之丞がひなたに誤ってケガをさせてしまった際は、るいたちのもとを訪れて深く謝罪し、お詫びに福引10回分(100枚)の券を渡す。この福引でるいが3等賞品である年代物の真空管ラジオ「FIRE AFTER」を当てる。 京都にるいと錠一郎が移住してきたばかりの頃、前述の錠一郎とのチャンバラで腰を痛め、これに怒って2人に商店街から出ていくよう言い放ったが、母の説得で矛を収める。この時にるいから回転焼きを渡されており、これを口にすると「懐かしい味がする」と呟き、舌鼓を打つ。 かつて父が自身に対してそうだったように、幼少期の吉之丞には甘く、溺愛している。 清子と吉右衛門は岡山大空襲から40年近く経って(1984年)も、それぞれ非難、痛罵したのが最後の吉兵衛とのやり取りになってしまった事を後悔しており、「そば処うちいり」内でひなたの前で思い出話の末たまらず号泣する。 1993年のクリスマス、母と共に病床の算太のもとに駆け付ける。 2004年、京都を訪れた安子と60年ぶりに再会するが、対面当初安子は、一緒に連れてきた小夜吉を吉右衛門だと勘違いしていた。 赤螺初美(あかにし はつみ) 演 - 宮嶋麻衣(二役) るい編(京都編)・ひなた編(京都編)に登場。 吉右衛門の妻(旧姓は不明)。嵐電北野白梅町駅近くの「そば処うちいり」(京都市北区)の店員だったが、「あかにし」へしばしば出前を届けに来る内に吉右衛門の意中の人となる。店の主人が業務用自転車を買い替え、今までのをどうしようかと困っていた際、おりしも自転車を求め「あかにし」に来店したるい夫婦と出会い、無償譲渡した。若い頃の清子と瓜二つ。 赤螺吉之丞(あかにし きちのじょう) 演 - 徳永ゆうき(幼少期:石坂大志(二役)) るい編(京都編)・ひなた編(京都編)に登場。 赤螺吉右衛門と初美の一人息子で吉兵衛と清子の孫。ひなたの幼馴染で同級生。ガキ大将で小学生時代はひなたとよくトラブルを起こす。ひなたとは長じても相変わらずケンカ友達のような関係だが、吉之丞が憎まれ口を叩いてもひなたがあっさり認めるやりとりに変わっている。 1983年時点では吉右衛門に店番をさせられつつも、本人は大型家電量販店の進出による商売の先細りを予想しており、店を継ぐ気はなかった。一度は一般企業に就職するが、1992年時点では退職し家業を継いでいる。1992年夏に同級生の小夜子と再会し交際に発展、1993年ごろ結婚。後に2児の父となる。 母初美ともども美咲すみれの大ファン。 演者の徳永は、自身の趣味特技を活かし、劇中で登場する京都市の路面電車の車掌のアフレコも行っている(ノンクレジット)。 藤井小夜子(ふじい さよこ)→赤螺小夜子(あかにし さよこ) 演 - 新川優愛(幼少期:竹野谷咲) るい編(京都編)・ひなた編(京都編)に登場。 ひなたの同級生。小学4年生の夏休み、傘を忘れて雨宿りしていたところをひなたに傘を貸してもらい、後日返しに大月家を訪れた際にひなたの宿題を手伝った事で親友となる。優等生で、英会話、ピアノ、書道に長けている優しくおしとやかなお嬢様。学校の先生になるのが夢。 高校卒業後の1984年4月に4年制大学へ進学。1992年時には桃太郎の通う京都西陣高校の国語教師となっている。 1992年夏、大月家を訪ねた際に吉之丞と再会し交際に発展、翌年春には彼と婚約し結婚。1994年の終わりに息子の小夜吉を出産し、それから数年後には第2子・伝吉を出産する。 その後「あかにし」の手伝いをするために教師を退職したが、2025年の時点では、自宅で学習塾を開業させている。 赤螺小夜吉(あかにし さよきち) 演 - 石坂大志(三役)(幼少期:中川聖一朗)(二役)) ひなた編(京都編)の後半に登場。 吉之丞と小夜子の長男。吉右衛門と初美の孫で、吉兵衛と清子の曾孫。1994年12月生まれ。 幼少期の吉右衛門に瓜二つで、かなりのしっかり者。1999年の春、祖父母と共に「大月」を訪れ、「だんご3兄弟」ブームで回転焼きの売り上げが減少していることに対し「どうかくじけずにおきばりやす」と、ひなたに励ましの言葉をかける。 赤螺伝吉(あかにし でんきち) 演 - 中川聖一朗(三役) ひなた編(京都編・最終回)に登場。 吉之丞と小夜子の次男。吉右衛門と初美の孫で、吉兵衛と清子の曾孫。
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