赤螺家とは? わかりやすく解説

赤螺(あかにし)家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 12:56 UTC 版)

カムカムエヴリバディ」の記事における「赤螺あかにし)家」の解説

赤螺吉兵衛あかにし きちべえ) 演 - 堀部圭亮 安子編(岡山編)に登場。赤螺家の人物の中で唯一ひなた編に登場していない。 朝丘町商店街にある荒物屋あかにし店主町内会長町内いち早くラジオ入手していた。その性格から、周囲からは「ケチ兵衛」と呼ばれている。ぶっきらぼう頑固な性格であるが一人息子の吉右衛門には甘い。時には阿漕なやり方をしてまで金儲けをするのも吉右衛門良い暮らしさせたいがためである。 戦時中基礎英語講座」(当時敵性語)を聴くため毎朝ラジオ体操遅刻する安子米英スパイ呼ばわりし糾弾する岡山大空襲直前にも金儲けのための買い占め行い堪りかねて意見する妻の清子文句があるなら出て行け暴言吐いた事で吉右衛門怒りを買い、母と共に出て行く告げられ、「ケチ兵衛」と痛罵され見限られる直後大空襲時に身を挺して息子戦火から守ったが、その際自身命を落とすそれぞれ彼を非難痛罵したのが最後やり取りとなってしまった事は清子、吉右衛門母子にとって後年まで残る大きなとなってしまった。 赤螺清子あかにし きよこ) 「#赤螺家(ひなた編)」を参照赤螺吉右衛門あかにし きちえもん) 「#赤螺家(ひなた編)」を参照

※この「赤螺(あかにし)家」の解説は、「カムカムエヴリバディ」の解説の一部です。
「赤螺(あかにし)家」を含む「カムカムエヴリバディ」の記事については、「カムカムエヴリバディ」の概要を参照ください。


赤螺家(ひなた編)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 12:56 UTC 版)

カムカムエヴリバディ」の記事における「赤螺家(ひなた編)」の解説

赤螺清子あかにし きよこ) 演 - 松原智恵子若年期安子編):宮嶋麻衣全編通して登場(「るい編」ではるいと錠一郎京都移住してからの登場)。 岡山朝丘町商店街荒物屋あかにし」の店主赤螺吉兵衛の妻。優しく控え目な性格岡山大空襲で夫を亡くし故郷京都息子の吉右衛門と「あかにし」を立て直しつつましく暮らす。 岡山時代のことは良く覚えておらず、吉右衛門生まれた日に起きた算太によるラジオ窃盗をひなたに話した際も、「近所和菓子屋の息子がやった悪戯」としか覚えておらず、店の名前が「御菓子司 たちばなということも、盗人の名前が算太だったことも思い出せなかった。しかし、1993年クリスマスにるいを訪ねてやって来た算太のダンスを観たことで岡山時代のことを思い出し、病で死を待つばかりの身となった算太のもとへ吉右衛門と共に駆けつける正確な時期明かされていないが、1994年終わり曾孫小夜吉が誕生したのを見届けた後に死去したことがひなたによって語られている。 赤螺吉右衛門あかにし きちえもん) 演 - 堀部圭亮(二役)(乳児期角野彩晴、幼少期中川聖一朗、少年期石坂大志(二役)) 全編通して登場(「るい編」ではるいと錠一郎京都移住してからの登場)。 吉兵衛清子一人息子初代桃山剣之介デビューした昭和8年1933年)に出生岡山大空襲で父を亡くし、母と共に京都のあかね通り商店街移住し、「あかにし」を復活させた(後年電器屋転業)。1964年ごろに初美結婚。あかね通り商店街会長息子吉之丞はひなたと同級生家族揃って甘味大好物で、岡山では「たちばな」の、京都では「大月」の常連客となっている。 幼少期は父を理詰め諭す冷静沈着しっかり者で、前述買い占めをした父に清子抗議したことで暴言吐いたことに怒り痛罵した末に見限ったこともあるが、成長するにつれ風貌性格も父そっくりとなる。しかし、家族以外の人間牽制するうな目をしていた父よりは目つき柔和で、錠一郎のモモケン談義乗って共にチャンバラ興じるなど、ノリ良い面もある。人情もあり、るいが「あかにし店内倒れた際には、自転車練習をする錠一郎元へ息せき切って走り知らせている。また、息子の吉之丞がひなたに誤ってケガをさせてしまった際は、るいたちのもとを訪れて深く謝罪しお詫び福引10回分(100枚)の券を渡す。この福引でるいが3等賞品である年代物真空管ラジオFIRE AFTER」を当てる京都にるいと錠一郎移住してたばかりの頃、前述の錠一郎とのチャンバラで腰を痛め、これに怒って2人商店街から出ていくよう言放ったが、母の説得矛を収める。この時にるいから回転焼き渡されており、これを口にすると「懐かしい味がする」と呟き舌鼓を打つ。 かつて父が自身に対してそうだったように、幼少期の吉之丞には甘く溺愛している。 清子と吉右衛門岡山大空襲から40年近く経って(1984年)も、それぞれ非難痛罵したのが最後吉兵衛とのやり取りになってしまった事を後悔しており、「そば処うちいり」内でひなたの前で思い出話の末たまらず号泣する。 1993年クリスマス、母と共に病床の算太のもとに駆け付ける2004年京都訪れた安子60年ぶりに再会するが、対面当初安子は、一緒に連れてきた小夜吉を吉右衛門だと勘違いしていた。 赤螺初美あかにし はつみ) 演 - 宮嶋麻衣(二役) るい編(京都編)・ひなた編(京都編)に登場。 吉右衛門の妻(旧姓不明)。嵐電北野白梅町駅近くの「そば処うちいり」(京都市北区)の店員だったが、「あかにし」へしばしば出前届けに来る内に吉右衛門意中の人となる。店の主人業務用自転車買い替え今までのをどうしようかと困っていた際、おりしも自転車求めあかにし」に来店したるい夫婦出会い無償譲渡した若い頃清子瓜二つ赤螺吉之丞(あかにし きちのじょう) 演 - 徳永ゆうき幼少期石坂大志(二役)) るい編(京都編)・ひなた編(京都編)に登場赤螺吉右衛門初美一人息子吉兵衛清子の孫。ひなたの幼馴染同級生ガキ大将小学生時代はひなたとよくトラブル起こす。ひなたとは長じても相変わらずケンカ友達のような関係だが、吉之丞が憎まれ口叩いてもひなたがあっさり認めやりとり変わっている1983年時点では吉右衛門店番させられつつも、本人大型家電量販店進出による商売先細り予想しており、店を継ぐ気はなかった。一度一般企業就職するが、1992年時点では退職し家業継いでいる。1992年夏に同級生小夜子再会し交際発展1993年ごろ結婚。後に2児の父となる。 母初美ともども美咲すみれ大ファン演者徳永は、自身趣味特技活かし劇中登場する京都市路面電車車掌アフレコ行っている(ノンクレジット)。 藤井小夜子(ふじい さよこ)→赤螺小夜子あかにし さよこ) 演 - 新川優愛幼少期竹野谷咲) るい編(京都編)・ひなた編(京都編)に登場。 ひなたの同級生小学4年生夏休み、傘を忘れて雨宿りしていたところをひなたに傘を貸してもらい、後日返し大月家訪れた際にひなたの宿題手伝った事で親友となる。優等生で、英会話ピアノ書道長けている優しくおしとやかお嬢様学校の先生になるのが夢。 高校卒業後の1984年4月4年制大学進学1992年時には桃太郎の通う京都西陣高校国語教師となっている。 1992年夏、大月家訪ねた際に吉之丞と再会し交際発展翌年春には彼と婚約し結婚1994年終わり息子小夜吉を出産し、それから数年後には第2子伝吉出産するその後あかにしの手伝いをするために教師退職したが、2025年時点では、自宅学習塾開業させている。 赤螺小夜吉(あかにし さよきち) 演 - 石坂大志三役)(幼少期中川聖一朗)(二役)) ひなた編(京都編)の後半登場。 吉之丞と小夜子長男。吉右衛門初美の孫で、吉兵衛清子曾孫1994年12月生まれ幼少期の吉右衛門瓜二つで、かなりのしっかり者1999年の春、祖父母と共に大月」を訪れ、「だんご3兄弟ブーム回転焼き売り上げ減少していることに対しどうかくじけずにおきばりやす」と、ひなたに励まし言葉をかける赤螺伝吉あかにし でんきち) 演 - 中川聖一朗(三役) ひなた編(京都編最終回)に登場。 吉之丞と小夜子次男。吉右衛門初美の孫で、吉兵衛清子曾孫

※この「赤螺家(ひなた編)」の解説は、「カムカムエヴリバディ」の解説の一部です。
「赤螺家(ひなた編)」を含む「カムカムエヴリバディ」の記事については、「カムカムエヴリバディ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「赤螺家」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「赤螺家」の関連用語

赤螺家のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



赤螺家のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのカムカムエヴリバディ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS