親善人形を伴う交流の日本の事例とは? わかりやすく解説

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親善人形を伴う交流の日本の事例

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 04:19 UTC 版)

親善人形」の記事における「親善人形を伴う交流の日本の事例」の解説

日本場合幕末アメリカ黒船来航した際の贈り物として少数人形贈呈されたり、明治期ロシアドイツ要人への人形贈呈や、フランスからの人形請願があった等の数例にすぎなかった。日露戦争以降に関してさまざまな親睦団体出現して、文化の面での国同士小規模な交流が行われてはいたものの、スポーツ親善試合ほどの規模交流はまだ実現されておらず、人形交流においても大正時代ローマ法王庁雛祭り風習知ってもらうために雛人形献納したり、万国博覧会人形出品したりするなど、日本の文化紹介する程度で、人形交流本格的に行われるのはアメリカからの友情人形贈答以降になる。人形交流太平洋戦争以前頻繁に行われ後述事例の他、昭和6年(1931年)4月8日シャム国王族に市松人形日本皇后より寄贈されたのをはじめ、少年赤十字団などを通じて朝鮮1931年2月民族間の交流として)やハンガリー1933年8月)、アメリカ及びブラジル(同12月)、フィンランド1934年11月)、フランス1935年9月)、ドイツ(同12月)・イタリア1937年12月)、アルゼンチン及びウルグアイ1939年)などに市松人形雛人形贈られた。日本女子大学校長井上秀は、同校長を務め青い目の人形」を通じてアメリカとの友好図った渋沢栄一影響され人形交流重要視して海外人形贈り返礼として、ドイツ1936年)やフィンランド1938年)から答礼人形戴いている(人形は現在行方不明)。 日米交流友情人形詳細は「青い目の人形」を参照のこと。 昭和2年1927年3月アメリカ日本との軋轢避けるべく、民間慈善団体による呼びかけで、児童持ち寄った友情人形通称青い目の人形)を日本に贈ることにより、日米間の友好図った同年暮れ日本側も返礼として各地区の代表となる市松人形答礼人形)をアメリカ寄贈した日米開戦により、日本贈られ友情人形敵国人形とみなされ大半失われたものの、戦後辛うじて残った人形発見経て日米間の人形交流継続されている。 日満親善人形昭和8年1933年5月24日60体の市松人形送別会日比谷公会堂行われ5月27日6月13日にかけて、36体の人形この頃から日本代表する人形使節として「やまと人形」と呼ばれた)が満州国へ寄贈され新京などの地域配布された。満州国へはこれ以外にも度々人形贈られている。 ニューヨーク東京間の親善人形昭和10年1935年8月ニューヨーク市長から東京市長宛に友好の証として等身大人形ミスター&ミセス・アメリカ」が渡日日本側の等身大人形出迎え受けた後、日本各地域訪問しアメリカ帰国した防共親善人形1936年から1937年にかけて日本ドイツイタリア間で「日独伊防共協定」を結び、その中で国際人協会により、ヒトラームッソリーニらに日本人形寄贈されたほか、1938年2月に『防共親善の日』を記念しドイツイタリア満州国スペイン大使人形寄贈された。返礼として、ドイツ大使館から千葉県東金高等女学校ドイツ女学生人形贈られた。 終戦後様々な形式親善人形を伴う交流が行われている。 アメリカへの人形使節1953年戦後アメリカからもたらされ数々好意対しアメリカトルーマン大統領夫人マッカーサー元帥夫人らへ人形贈られた。 アジアへの人形使節1952年には日本独立記念してタイフィリピンインドインドネシア各国代表73体の人形寄贈された。 「世界友の会」による人形交流1948年2人篤志家により親善友好文化交流目的として設立された「世界友の会」は、世界各国人形などさまざまな産物交換し中でも人形に関して1963年までにのべ65か国への寄贈対し54か国から350体ほどが返礼人形として贈られた。 平和大使人国際児童年にあたる昭和54年1979年)、衆議院議員当時)の園田天光光呼びかけ児童らの1円募金企業・法人寄付により、「平和大使人形(大和太郎花子)」(市松人形一組当り50万円、計3,500万円100体が世界100カ国に寄贈され答礼として57カ国からそれぞれの国の人形117体が日本贈られた。元々は1978年東京三越で「青い目の人形」の展示会が行われた際、「どうしてここには日本アメリカの旗しかないの?」と来場した子供尋ねられ、これを聞いた園田世界の国々人形贈ろうとした事が発端になっている。これらの人形は、平成25年2013年)にオープンした天草市天草コレジヨ館』に展示されている。 横浜からの人形使節昭和58年1983年)春、横浜市民から集められ600余りの手作り人形ヨーロッパ各地へ、そして翌年には北米各地域贈られた。横浜人形の家開館式には、人形受け取った人たちも出席している。 からくり人形平成17年2005年)に九代目玉屋庄兵衛が『人形』を大英博物館寄贈した他、世界各地域にてからくり人形披露している。 ケネディ家との人形交流1962年当時ジョン・F・ケネディアメリカ大統領北海道北見市一般人より雛人形寄贈され返礼として2016年3月1日長女キャロライン・ケネディ駐日大使より1930年代スタイルアメリカ人形「キット・キトリッジ」が贈られた。同様の人形は、昭和2年アメリカ贈られ答礼人形ミス静岡富士山三保子)」が静岡県里帰りした際にも県知事に寄贈された。

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