装着法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 13:37 UTC 版)
円型略綬の衣服への装着法には、ラペルのボタンホールに差し込むようになっているものや、ピンズタイプのものがある。 長方形略綬は一般的に制服上着の左胸ポケットの上、或はそれに相当する位置(小綬章やメダルの装着位置)に取り付ける。複数着用する場合は、規定された序列に従って、向かって左側(自分から見た場合右側)から順に並べて着用する。ソ連軍やイギリス軍等のように、常勤服にリボンを直接縫い付けることもあるが、着替えや洗濯の都合から、着脱できるようにしていることの方が多い。イギリス空軍の服装規定では常温地域用の服には略綬を縫い付け、暑い地域用の服にはブローチ式の略綬を付けるとされている。 オリジナルの略綬にピンズやブローチ(安全ピン)が付いているものもあるが、個人でその様に改造したり購入する場合もある。 ブロンズスターメダルのセット(メダル・略綬・略章)裏面。メダルはブローチ式だが、略綬と略章はピンズ式になっている。アメリカの勲章・記章には、このような略綬が添付される前は、セットにリボンの切れ端が添えられていた。 シルバースターの連結金具用略綬裏面。 ベトナム共和国大統領部隊感状章。蝶バネで留めるピンズ式になっている。 クウェート政府発行のクウェート解放メダル。略綬もメダルと同様ブローチ式になっている。 しかし、複数の略綬を並べる場合着装が面倒であると共に見栄えも悪くなる。そのため、リボンを連結した板状や棒状のリボンラック (Ribbon rack) をあらかじめ作っておくことが広く行われている。アメリカ等では着用規定に合った連結金具と連結用のリボンを自分で購入して装着することも一般的だが、フランス軍のように布製の台座に縫い付けたものも見られる。そして、これらの作業を業者に依頼することも広く行われている。 布製の台座に縫い付けたフランス軍将校のリボンラック。 横から見たアメリカ沿岸警備隊下士官の略綬。一段(3個)のリボンラックを複数付けている。 一般的な配列で略綬を着用したアメリカ陸軍の将官(アーサー・エドモン・ブラウン・ジュニア陸軍大将)(1)。海軍とは違い、ユニットアワード等を右胸に着けている(マレン大将の例を参照)。 アメリカ陸軍の将官(ノーマン・シュワルツコフ陸軍大将)(2)。ブラウン大将と異なり、リボンラックは背広の襟に沿って階段状になったタイプを付けている(左側の長さを揃えると襟に隠れてしまう)。 リボンラックの衣服への取り付けにも様々な方法がある。連結金具の裏に付いた複数のピンを服地に刺して留め金(裏留め具)で止める方式は、第二次世界大戦中のアメリカ軍で使われるようになったもので、自衛隊等でも見られる。 アメリカ軍のリボンラック用連結金具 アメリカ軍の5連用リボンラックの裏面。 連結金具。 連結金具の裏面。 連結金具への略綬の装着。 ブローチで直接衣服に留める方式は単体や少数の場合には見られるが、多数を繋げたものにはあまり使われない。リボンラック用のピンが太いブローチは衣服へ直に刺さず、あらかじめ作っておいた糸掛かりに通して取り付ける。この糸掛かりは連結された勲章・記章の金具や連装用の吊金具と共通して使えるので、TPOによって略綬と勲章を付け替えることもできる。 旧日本軍の遺品にもその様にしているものが多く見られる。しかし、日本の勲4等又は功4級以下の勲章及び記章にオリジナルで付いている取り付け金具はブローチ式ではないので、勲章を単独で取り付けるためには別の形状の糸掛かりが必要になる。そのため、個人によっては従軍記章や記念章の着用を略す場合等のために、勲章用と略綬用の糸掛かりを別個に作っている例も見られる。 旧日本軍の勲章と略綬板旧日本軍の略綬板 同裏面 裏面のピンを上げたところ 左から旭日章、明治三十七八年従軍記章、日本赤十字社有功章(上)。瑞宝章、明治三十七八年従軍記章、大正乃大礼記念章(下)。上の略綬板は旧軍では新しいタイプで、小さな金属板に個別の略綬を巻いたものを長い金属板に嵌め込むようになっている。但し、簡単に着脱することはできない。衣服への取り付け金具がピンではなく板状になっているものは日本以外の国ではあまり見られない。下のタイプの方がやや古いタイプで、細長い金属板に直接巻き付けたもので、縫い目が見えている。ドイツ軍でも第一次大戦以降裏面がこれらと同様の構造をしたものも見られたが、裏にフェルトを貼ったものも多く見られた。アメリカ軍でも上記のリボンラックが導入される前は下のものと同様のタイプが使われていた。 勲章吊金具裏面 勲章・記章を装着した勲章吊金具の裏面(勲六等瑞宝章と昭和六年乃至九年事変従軍記章) 勲六等瑞宝章の裏面 勲章類を外した軍服秩父宮雍仁親王 古荘幹郎 鳥飼恒男 甘粕正彦 秩父宮と古荘の軍服の左胸には、勲章の吊金具や略綬版を取り付けるための糸掛かりが見える。また、古荘の右肋には勲2等用の糸掛かりも見える。鳥飼は5個の略綬を2個と3個の2段に分けて着けているが、その右側に糸掛かりが1つ見えている。これは4個を1列にしていたときのものだが、勲章・記章を着ける際には使用できる。甘粕の左胸にある糸掛かりは、日本の勲章類を金具等を用いずに直接着用するためのもの。 第一次世界大戦中のオーストリアオーストリア軍将校 オーストリアの勲章の綬 オーストリアの勲章類は日本と同様に綬を折って掛ける形式なので、日本軍の勲章専用糸掛かりと同様のものが付けられる(右写真)。左のオーストリア将校は甘粕正彦と同様の糸掛かりを付けている。中の将校の軍服には、メインの糸掛かりの下に勲章と綬の連結部分を固定するための小さなループ状の糸も付けられている。この糸の端は服の裏側に出ており、糸を繰り出して勲章を通した後、裏から糸を引いて締めることができる。これも旧日本軍の一部に見られる。一方、当時のオーストリア軍の略綬の取り付け方は日本軍と異なり、略綬の裏にクリップを付け、或いは巻いたリボンの端をフラップ状にしてスナップボタンで留めるようにし、それらを勲章用の糸掛かりに掛けていた(右の将校)。因みに、現在のオーストリア軍では上記フランス軍のようなリボンラックを使用している。 勲章類を外したドイツの軍服ドイツ空軍将校(ヨーゼフ・カムフーバー) ドイツ陸軍将校(ヴィルヘルム・フォン・レープ) ヴィルヘルム・カイテル(1940年) ヴィルヘルム・カイテル(1942年) 戦前のドイツでは、勲章・記章を左胸に並べて着用するためには各自でマウンティング(勲章・記章を連結して取り付け用金具に装着すること)をしなければならなかったので、日本軍のように勲章用に別の糸掛かりを作るケースは見られない。ドイツの空軍と陸軍将校は何れも秩父宮のものと同様の糸掛かりを着けている。1942年のカイテルは略綬を2段にしており、上段の略綬板の向かって左側に糸掛かりが見える。2段にする前の1940年には略綬板はそこまでの長さがあったのだが、勲章を付けるために糸掛かりを残していると思われる。 英連邦王国の勲章と略綬常装のブレイ英陸軍大将 ヨーマン・ウォーダー 温暖地用常装のマッコール英陸軍大将 野戦服のラムスデン英陸軍中将 イギリスや英連邦王国に属する国では、制服の上着に略装時のための略綬が縫い付けられており、勲章・記章を着用する場合はその上に取り付ける。また、イギリスの勲章・記章には取り付け金具が付いておらず、着用するためには各自でマウンティングをしなければならない。そのため、略綬の上にブローチのピンを通す糸掛かりが作られる。左三人の略綬の上には勲章用の糸掛かりが見える。ヨーマン・ウォーダーは永年勤続章のリボンの色から海兵隊出身と推測できる。マッコールは温暖地用のNo.4 dress(自衛隊の第1種夏服に相当)に略綬を縫い付けているが、空軍ではこれに相当するNo.6 dressへ取り付ける略綬は取り外しができるブローチ式のものと規定されている。ラムスデンは野戦服に取り外しできる略綬を付けている。 正装のカーター陸軍中将 イギリス空軍の将校両側は准将で中央は大尉 正装のヒューストン豪空軍大将 アメリカ海軍作戦部長とオーストラリア軍高官前列左から二人目がヒューストン大将 正装のカーター中将は略綬の上に勲章を付けているが、ロイアル・ヴィクトリア勲章ナイトコマンダー章を受章しており、同章とその副章は左肋と首に佩用するため、左胸に付けている勲章類より略綬の方がその分幅が広く、下の略綬がはみ出てしまっている。3人の空軍将校のうち、両側の准将が略綬の上に勲章を付けているが、女性准将もカーターと同様に大英帝国勲章コマンダー章を首に佩用するため、その略綬がそのまま見えている。男性准将は従軍記章と記念章をそれらの略綬の上に付けており、従軍記章の略綬の端が見える。ヒューストンも左肋に佩用する勲章を2個、首に佩用する勲章を3個受章しているが、左胸に付ける勲章類を5個持っているため、10個の略綬を3段に分けて取り付けた略綬(集合写真参照)は勲章類の下からはみ出していない。勲章の装着に関しては、イギリス軍の服装規定には位置等しか記されていないが、オーストラリア陸軍の規定には「なるべく略綬を隠すように」との一文がある。
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