ドイツ軍における使用状況と改修型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 06:09 UTC 版)
「ルノーB1」の記事における「ドイツ軍における使用状況と改修型」の解説
対フランス戦の勝利の結果、ドイツは多数のフランス製車輌を入手した。この中にはB1 bisも相当量が含まれており、ドイツ軍には外国兵器機材番号740(f)、B-2戦車の名称で登録された。しかしドイツ軍戦車と設計・運用思想が違いすぎる本車は、戦車型のままではあまり使われなかった。 B-2式戦車740(f)型 (Panzerkampfwagen B-2 740(f) 標準の戦車型。基本的には無改造だが、無線機はドイツ製に交換され、アンテナも専用のものが追加されている。 主にフランスに駐留する2線級部隊に配備された が、第223中隊は東部戦線で本車4輌を使用、バルカン半島でパルチザン掃討任務に当たっていたSS師団プリンツ・オイゲンは7輌を保有するなど、フランス以外での使用例もあるとされる。下記火焔放射戦車ともども、キューポラ上部を切り取って両開き式ハッチを付けている場合もある。また、一部の戦車型B1bisは砲塔を外され、操縦訓練用として使われた。 火焔放射式B-2(f)型戦車 (Flammwagen auf Panzerkampfwagen B-2(f) ドイツ軍初の制式火焔放射戦車であったII号戦車(火焔放射型)に続き、1941年春、B1bisベースの火焔放射戦車が発注された。この火焔放射戦車は、車体の75mm砲を撤去した後に、II号戦車(火焔放射型)と同様の、圧搾窒素により燃料を射出する火焔放射器を装着。砲塔の47mm砲はそのまま残されていた。 1941年6月20日、最初に生産された24輌を装備する第102(火焔)戦車大隊が編成され、バルバロッサ作戦開始直後に東部戦線に投入された。第102(火焔)戦車大隊は6月29日まで国境地帯のヴィエルキ・ジャル要塞攻略戦に参加し、若干の戦果を上げた後、翌月に解隊された。 B1bisベースの火焔放射戦車は改良が加えられて生産が続けられ、最終的に少なくとも60輌が生産されている。改良型は火焔放射器がポンプ駆動加圧方式となり、搭載燃料も増加。車体後部に燃料槽を収める装甲ボックスが追加されている。また、車体への火焔放射器の装着法も新型の球形銃架を介したものとなり、銃架直上の車体は増積されて50式装甲シャッターが装着された。改良型火焔放射戦車は、西部戦線の第100戦車師団、第213戦車大隊、ユーゴスラビアのSS師団プリンツ・オイゲン等に配備された。 10.5cm18式3型軽野戦榴弾砲(自走)搭載B-2(f)型火砲車(10.5cm leFH18/3(Sf) auf Geschützwagen B-2(f) 火焔放射戦車と同時期に計画・設計されたオープントップの自走榴弾砲。1942年までに16輌が改装され、フランス駐留の機甲砲兵大隊に引き渡された。 車体は基本的にB1bisのままだが、車体の75mm砲架は塞がれ、また砲塔を撤去したあとを薄い装甲で囲って10.5cmleFH18榴弾砲を搭載している。
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