ドイツ軍、2回目の反撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 05:29 UTC 版)
「ブダペスト包囲戦」の記事における「ドイツ軍、2回目の反撃」の解説
1945年1月20日、ドイツ軍は2度目の大規模な反撃を開始、赤軍の防衛線に20キロに及ぶ穴を開け、ドナウ川へ進撃、ブダペスト南方から赤軍の補給線を脅かした。 なんとしてもドイツ軍の攻勢を停止させるようにスターリンから命令を受けた赤軍は2個軍団を派遣し、ドイツ軍の攻撃に対応するために南へ急行させた。しかしブダペストまで後20キロ未満まで進撃していたドイツ軍はすでに兵員が不足しており、攻撃の維持ができず、結局問題を解決できなかった。そのため、ブダペストの防衛部隊は包囲からの脱出する許可を願ったが、ヒトラーは拒絶した。1945年1月28日、ドイツ軍は戦線を保持できなくなり、撤退せざるを得なくなった。そのため、ブダペスト防衛隊の運命は閉ざされることとなった。
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