肯定側主張についてとは? わかりやすく解説

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肯定側主張について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:07 UTC 版)

百人斬り競争」の記事における「肯定側主張について」の解説

民衆殺害について “民衆対す殺害”に関し研究者次の留意記している。中支では民衆に「抵抗することが要求され」た。(ただし、中国住民側からこのようなことが求められたとの証言はほとんど見られないまた、この主張をする者は抵抗戦闘との区別ついているのかも不明である。)「上海日本軍歓迎旗を振る婦人の列の陰か便衣隊一斉射撃をした。不意を衝かれた日本軍死体は、見る見るうちに山と築かれていった。「老婆といえども情報探って通報する恐れ」があった。某カメラマンの言「一度自分がやられそうになった時、相手をやらなければ自分やられるのだな、ということをしみじみ痛感させられた」。なお昭和20年小磯國昭内閣本土決戦のために「国民義勇隊」を組織化する発表したとき、南原繁教授東京帝国大学法学部長)は次のように語っている。「ゲリラをしますとね、虐殺されても仕方ないです。本当戦闘員ですと、捕虜として待遇され、そうにひどい目遭うことはないですが、ゲリラですと直ち殺されても文句はいえません。あれは一番ひどい目合います」。 志々目彰および回想記1971年発表)について 志々目彰が野田から聴いたという講演内容によれば「「占領した敵の塹壕むかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろ出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る」。一方、「百人斬り訴訟裁判原告側は「中国国民党は、ドイツ式組織防衛戦を行い日本軍遜色ない武器携帯した近代軍隊でありニーライライと呼びかけられ、塹壕から出てくることはあり得ない」と主張した処刑について「日本の新聞ニュースさえ報道していない」。野田同期生手島清忠も「銃殺されたことを知ったのは後のことである」と1972年語っている。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}志々目が“新聞記事”を読み銃殺は当たり前」と考えたのは極東裁判(1948年)当時ではない。後の情報次に話題になるのは23年後)を基に考えたことを、当時の話として語っている[誰によって?]。(ただし、この主張はあまり意味がある思えない前年酒井隆陸軍中将同年3月田中久一陸軍中将銃殺されたことや、野田らに12月死刑判決出たことはそれぞれ当時新聞でも報じられている。志々目がそのような記事出た当時から思いこむことがあったとしても不思議はない。) 望月五三郎の回想記1985年刊)について 望月の回想記に「重機関銃軽機関銃猛射城壁破壊されていく」「戦車城門めがけて激突破した」などとあるが、本当体験記なのかと思うほど間違いが多いと阿羅健一は言う。 「百人斬り勇士と・・・一躍有名になった人である」。望月はこれを昭和12年11月27日-11月28日の条に記している。東京日日新聞第1報が出るのが昭和12年11月30日有名になるのはその後である。また、第1報が出るまでに“競争”が始まっていないことは、名誉棄損訴訟に於ける佐藤振寿の証言がある。これについては、日記回想記混同しているとする反論がある。 望月の回想記では、「連隊長大隊長知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した」としている。が、野田士官学校同期生吉田司からは、伝聞の形ではあるものの片桐連隊長野田厳しく戒めた聞く、あるいは叱ったらしいとの証言もある。(ただし、同じ連隊向井はかなり後まで何百人斬りといった形で続けていたことが当時その後の報道にも出ている。(「当時の報道参照)) 遺族名誉棄損による賠償訴訟担当した弁護士稲田朋美は、望月の親族電話取材対し「だれもあんな人のいうことを信用していませんよ。親族にも迷惑ばかりかけていましたそういう本を書いて関係者方々送ったということですが、だれも相手にしていない思います」と語ったという。 本多勝一ルポについて ほとんど知られることのなかった「百人斬り伝説」を「本多勝一記者中国旅行中に南京聞きこん」で「『朝日新聞』の連載でむし返し」たと非難する意見がある。鈴木明は、「ルポは、そのネタとなった35年前の『毎日』の記事比べて1.戦闘中の手柄話が、故意平時殺人ゲームスリかえられている。2.『上官命令』というフィクションがつけ加えられている。3.『百人斬り』が3回もくり返されたように誇張され表現となっている、など、明らかに『勘ちがい』とはいえない『作りかえ』が成されており・・数十倍も強烈である」という。これに対しては、実際に現地そのように伝わっている、さらに当時この裁判模様裁判所内に入りきれない人に公開できるよう所内発言拡声機ピーカーで外に中継されたことは研究者で知る者は比較多く、その中継内容と言い伝えとの関係すら調べずこのような批判ができるのかという反論寧ろ戦闘中このようなことを行うのは困難だからこそ戦闘外での捕虜の処刑ではないか人々疑っている方こそ正しいのではないかといった反論がある。(なお、実際に当事者からそれぞれ300人を超す人間を斬ったという話が出ていたことがその後分かっている。「当時の報道参照名誉棄損裁判後述)に原告側証人として出廷した佐藤振壽証人尋問で、本多取材手法検証のなかったことを批判した佐藤は「私に聞かない百人斬りの話なんか分かるはずはないと思って、従って、朝日新聞記事はうそであるという結論至りましたジャーナリスト一つ事実報道する場合に、あくまでそれが真実であると確信しなければ原稿書いてはいけないことなんですよ」と語った。ただし、この主張に対しては、その論法であれば虚偽の話が流れているときに元の話が事実でないかもしれないから其れについて語ってはいけないという事になり反って嘘が流れるままにしなければならないという理屈になってしまう、本多中国そういう話が伝わっているというまさに事実の方を伝えたものだ、そもそもジャーナリズムには引用という手法確立しているという反論がある。 秦郁彦は、田中正明本多を"無責任なレポーター"と評したことを紹介している。

※この「肯定側主張について」の解説は、「百人斬り競争」の解説の一部です。
「肯定側主張について」を含む「百人斬り競争」の記事については、「百人斬り競争」の概要を参照ください。

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