経路の選択
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新潟県内の上越新幹線の経路については、日本有数の豪雪地帯であることから、保守の都合を考えて可能な限りトンネル内を通過するような経路を選択することにした。その上で、越後湯沢駅 - 長岡駅間は魚野川の左岸と右岸のどちらを通過するかが検討された。右岸案は地質的に建設がしやすいという利点があったものの、線路の総延長が長く、中間駅の設置にも難点があるとされ、相対的に有利であるとされた左岸案が選択された。左岸において、越後湯沢駅と浦佐駅の間では、在来線に近い案と西側の丘陵に入る案の2経路が比較され、前者は多数の家屋移転を伴い、雪害対策上必要とされるトンネル区間が短くなることから、後者の案が採用され、地滑り地帯を避け、工事用道路が短く、横坑や斜坑を使って長大トンネルを施工できるような経路が選択された。地質が悪いとされたことから、土被りを100メートル以内に抑える目的で、山裾の土被りが薄い場所を通って経路を設定した。これによりこの区間に塩沢トンネルが建設されることになった。 当初の実施計画では、この区間のトンネルは塩沢トンネルと六日町トンネルの2本に分かれていた。塩沢トンネルは全長5,720メートルで、入口から1,220メートルが下り列車に対して3パーミルの上り勾配、残り4,500メートルが12パーミルの下り勾配とされ、六日町トンネルは全長5,000メートルで下り列車に対して12パーミルの下り片勾配と計画された。しかし大宮起点165 km 800 m付近にある鎌倉沢について地質を精査した結果、地表付近の風化地層を避けるために施工基面を24メートル下げることになった。この結果2本のトンネルの間で地上に出ることがなくなり、1本の塩沢トンネルになった。しかし工事中は便宜上2本のトンネルのままとして扱われ、六日町トンネルの名称も引き続き用いられた。六日町トンネルは大宮起点171 km 209 m付近で、当時日本鉄道建設公団東京支社が建設中であった北越北線(開業後の北越急行ほくほく線)赤倉トンネルと立体交差することになっており、当初計画では29.0メートルの高低差を持つことになっていた。しかし前述の施工基面低下に加えトンネル前後での国道や河川などとの交差の制約もあり、交差部が非常に近接することになった。
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経路の選択
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 13:05 UTC 版)
「中山トンネル (上越新幹線)」の記事における「経路の選択」の解説
群馬県内における上越新幹線の経路としては、上越線のように利根川に沿う経路ではなく、それより西に寄った月夜野の高原地帯の下をトンネルで貫く経路が選択された。これに関しては、上毛高原駅周辺の土地開発に絡む利権からの決定であるという主張がある。一方、当時計画されていた沼田ダムとの関連を指摘する意見もある。新潟大学名誉教授の大熊孝は「群馬県に計画されていた沼田ダムでの水没予定地を避けて関越自動車道と新幹線の経路が選択されたと理解している」と発言している。 実際に建設された中山トンネルは、小野子山と子持山の間の火山活動でできた高原地帯の下を貫く経路が選択されている。これに関しては、子持山の東側を利根川に沿ってトンネルで貫く経路も検討されていた。実際に採用された経路ではなだらかな高原地帯の下に建設したため、トンネルの建設位置に取り付く経路として斜坑を建設するときわめて長大なものにならざるを得ないことから、鉄道のトンネルとしては前例の少ない立坑を掘らなければならなかったのに対して、子持山東麓経路では利根川沿いからトンネルへ取り付く経路を設定できて施工条件は良いとされた。事前の検討でも子持山東麓経路が本命で直行ルートは当て馬的に考えられていたという証言がある。しかし子持山東麓経路ではその手前で渋川の市街地を長く通過することになって土地買収の困難が予想されたことや、前後の駅設置位置との関係などの問題があった。また当時東北新幹線において水沢や花巻などの中間駅設置の要望が強かったが、国鉄としては新幹線の速達性を損なう中間駅の増設に否定的な立場であった。利根川沿いに北上する経路を採用した場合、渋川と水上に駅を設置することが検討されていたが、このような駅間距離の短い駅の配置を上越新幹線で採用する影響が東北新幹線に波及することを国鉄のトップが恐れたこともあり、最終的に現経路が選択された。
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経路の選択
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北九州地区は、北九州工業地帯を形成しており、地域の人口が多く九州各方面への交通の拠点ともなっていたことから、新幹線建設にあたり駅設置が必要であるとされた。新関門トンネルの経路との関係から九州の入口である門司区への駅設置は困難であるとされ、小倉駅周辺での駅設置が検討された。既設の小倉駅へ乗り入れる案、三萩野付近で日豊本線との交点に駅を新設する案、日豊本線の城野駅に乗り入れる案の3案を比較し、市街地を通過し用地の取得や工事で難航が予想されたものの、乗降客数がもっとも多くなり投資効果の面で有利であるとされたことから、小倉駅に乗り入れる案が選択されることになった。 小倉から博多に至る経路は、筑豊炭田地帯における鉱区権や鉱害地域などが路線選定の大きな要因となった。遠賀川流域の炭鉱跡を回避して筑前植木駅北側で筑豊本線と交差することや、北九州市の河内貯水池、畑貯水池を回避する必要などからトンネル経路が選定された。なるべく市街地を回避して山地をトンネルで貫く方針であったが、小倉駅乗り入れが決定されたため、建設基準と斜坑や横坑の位置に制約されて、全長の約4分の1の区間で密集市街地の下にトンネルを設ける結果となった。
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経路の選択
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:45 UTC 版)
山陽新幹線を三原駅から広島駅まで建設するにあたっては、この中間の地形が問題となった。三原駅も広島駅も標高はほぼ0メートルであるが、この間には標高が300メートルから700メートルに達する山地があり、西条から黒瀬に至る地帯(現在の東広島市内)が標高200メートル程度の西条盆地となっている程度であった。このため、西条盆地をいかにして通り抜けるかが経路選択の問題であった。 経路選択に当たって北限は現行の山陽本線程度、南限は西条盆地南端程度と考えて、その間に9通りのルートを設定して比較検討した。その結果いずれの経路であっても最長で13キロメートル程度の長大トンネルは避けられないとされた。制限勾配が12パーミル、曲線半径が4,000メートルを満たし、地質の条件が良く経済的で、工期短縮のための斜坑を設けられることや、工事用道路や土捨場の立地条件といったことが比較の上での考慮対象となった。北側を通る案は、酒どころである西条に大渇水を起こす恐れが高く、それを避けるためにさらに北側に迂回させると、広島駅への取り付け工事が不利になるとされた。一方南側に振ると、地質的な問題は少ないがトンネル延長が長くなって経済的に不利であるとされた。竹原市田万里町付近の断層の回避も考慮に入れて、最終的に竹原市葛子を西進し上田万里で南西に方向を変え、西条盆地を地上で通り抜けて黒瀬町において全長約13キロメートルの安芸トンネルに入って北西に向きを変え、海田町国信に出て瀬野川を渡る案に決定された。この案は、トンネル延長も短く明かり区間に軌道工事の基地を建設でき、斜坑建設に適当な地点があり、近くの谷に土捨て場を設けられるといった有利な条件があった。 結果的にこの経路で選ばれた安芸トンネルは、3つの斜坑を利用して5工区に分割して工事したこともあり、早期に着工でき、トンネル残土(ずり)の処理も容易で、大きなトラブルもなく所定の工期で建設でき、「急がば回れ」で選定してうまくいった代表例だとされる。トンネル名は、広島県を代表するトンネルとして安芸トンネルと命名された。
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