黒瀬町
黒瀬町
読み方:クロセチョウ(kurosechou)
所在 三重県伊勢市
黒瀬町
黒瀬町
黒瀬町
読み方:クロセマチ(kurosemachi)
所在 石川県白山市
〒924-0064 石川県白山市黒瀬町
〒410-0819 静岡県沼津市黒瀬町
〒516-0018 三重県伊勢市黒瀬町
黒瀬町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/14 10:12 UTC 版)
くろせちょう 黒瀬町 | |||||
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廃止日 | 2005年2月7日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 賀茂郡黒瀬町、河内町、豊栄町、福富町、豊田郡安芸津町 → 東広島市 | ||||
現在の自治体 | 東広島市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 |
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地方 | 中国地方(山陽地方) | ||||
都道府県 | 広島県 | ||||
郡 | 賀茂郡 | ||||
市町村コード | 34402-8 | ||||
面積 | 63.84 km2 | ||||
総人口 |
24,522人 (2004年3月31日) | ||||
隣接自治体 | 広島市、呉市、東広島市、安芸郡熊野町、豊田郡安浦町 | ||||
町の木 | サクラ | ||||
町の花 | サクラ | ||||
黒瀬町役場 | |||||
所在地 |
〒724-0692 広島県賀茂郡黒瀬町丸山1333番地 | ||||
座標 | 北緯34度19分29秒 東経132度40分34秒 / 北緯34.32469度 東経132.67617度座標: 北緯34度19分29秒 東経132度40分34秒 / 北緯34.32469度 東経132.67617度 | ||||
特記事項 |
町役場は東広島市役所黒瀬支所として使われた後、現・黒瀬支所に建て替えられた。 現在は郵便番号が変更されている。 | ||||
ウィキプロジェクト |
黒瀬町(くろせちょう)は、かつて広島県賀茂郡に存在した自治体である。町内を通る国道や県道が整備されたこともあり、広島・呉・東広島各市のベッドタウンとして発展してきた。
平成の大合併においては市外局番 (0823) が同じで町内を流れる黒瀬川の下流にある呉市の一部になるか、元々同じ郡であった東広島市(1974年4月20日賀茂郡のうちの西条・志和・高屋・八本松各町が合併して発足)の一部になるかで揉めたが、結局発展性が高いこと(東広島市は広島県の市町の中では数少ない人口増加自治体である)や同じ西条盆地の中にあることから東広島市との合併に傾き、2005年2月7日に賀茂郡の河内・豊栄・福富各町及び豊田郡安芸津町とともに東広島市に編入された。
地理
河川
山
- 小田山 (719.1m)
- 石岳山 (559.0m)
- 前平山 (501.2m)
- 茂助山 (434m)
- 虚空蔵山 (431.5m)
- 二ツ山 (413m)
- 本岳 (393m)
- 岩幕山 (352.5m)
- 金剛山 (343.9m)
- 海老根山 (315.4m)
大字(2005年2月6日当時のデータ)
- 市飯田(いちいいだ)
- 大多田(おおただ)
- 小多田(おただ)
- 学園台(がくえんだい)
- 春日野一丁目・春日野二丁目(かすがの)
- 兼沢(かねさわ)
- 兼広(かねひろ)
- 上保田(かみぼうだ)
- 川角(かわすみ)
- 切田(きりた)
- 切田が丘一丁目・切田が丘二丁目・切田が丘三丁目(きりたがおか)
- 国近(くにちか)
- 桜が丘一丁目(さくらがおか)
- 菅田(すげた)
- 津江(つえ)
- 楢原(ならはら) 楢の右上の「八」は「ソ」が正当
- 乃美尾(のみのお)
- 松ケ丘(まつがおか)
- 丸山(まるやま)
- 南方(みなみがた)
- 宗近柳国(むねちかやなくに)
歴史
町名の由来
- 町内を南北に流れる川の名前から命名。
沿革
- 1889年4月1日 市町村制施行。黒瀬町域には当時いずれも賀茂郡に属していた板城(いたき)・上黒瀬(かみぐろせ)・下黒瀬(しもぐろせ)・中黒瀬(なかぐろせ)・乃美尾の各村が存在した。
- 1954年3月31日 賀茂郡上黒瀬・下黒瀬・中黒瀬・乃美尾の4村が合併してその区域をもって賀茂郡黒瀬町が発足する。
- 1955年3月31日 賀茂郡板城村のうちの小多田・国近を編入する。※賀茂郡板城村の残部は賀茂郡西条町に編入。
- 2005年2月7日 賀茂郡河内・豊栄・福富各町及び豊田郡安芸津町とともに東広島市に編入される。
経済
- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、篤農家は上黒瀬村に「村上萬太郎」、中黒瀬村に「土肥元忠、室田等、日高宇右衛門、平賀迅夫、田坂茂樹、田坂佐右衛門、小橋隆治、小西友次、村瀬源四郎」、下黒瀬村に「狩屋静男」、乃美尾村に「進藤七郎、金光良純、藤本良一、藤本弾」などがいた[1]。
地域
健康
- 医療機関
- 医師
医師は上黒瀬村に「行友静眞」、中黒瀬村に「室田茂人、清水致」、下黒瀬村に「濱田久夫、濱田まき、碓井一人」、乃美尾村に「谷良作」などがいた[2]。
教育(2005年2月6日当時のデータ)
- 小学校
- 中学校
- 高等学校
- 特別支援学校
- 大学
- 広島国際大学黒瀬キャンパス(東広島市編入後東広島キャンパスに改称)
主要施設
- 黒瀬工業団地
- 広島国際ゴルフ倶楽部
- クロセパブリックゴルフ(閉鎖)
- 黒瀬ダム
交通(2005年2月6日当時のデータ)
鉄道
道路
高規格道路
国道
主要地方道
一般県道
姉妹都市
- この姉妹縁組に関連して、オシフィエンチムに所在したアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に関連する資料の永久貸与を受けて平和記念館を建設する構想が立てられたが、資金難や住民の反対により実現しなかった[3]。
出身・ゆかりのある人物
- 藤田一郎(実業家) - 藤田組(現・フジタ)創業者。広島商工会議所会頭。藤田定市の兄。広島県多額納税者で、貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[4]。
- 藤田定市(実業家) - フジタ工業会長。広島商工会議所会頭。参議院議長を務めた藤田正明の父。広島県知事を務めた藤田雄山の祖父。
- 藤田進(労働運動家、政治家) - 日本社会党参議院議員。総評議長。
- 日村勇紀(お笑いタレント、バナナマン) - 黒瀬町生まれ、神奈川県相模原市育ち。
脚注
- ^ 『大日本篤農家名鑑』150頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年9月10日閲覧。
- ^ 『大日本医師名簿』361頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年9月10日閲覧。
- ^ “繰り返さぬため新たな連帯を 「原爆とホロコースト」講演会 イスラエル出身准教授 共通点や交流史解説 東京”. 中国新聞. (2015年2月13日) 2018年4月22日閲覧。
- ^ 『貴族院多額納税者名鑑』467頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年6月25日閲覧。
参考文献
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 高崎雅雄編『大日本医師名簿』光明社、1925年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
関連項目
外部リンク
黒瀬町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 11:15 UTC 版)
市の南西部であり、業者ブランド「黒瀬牛」の生産地である。広島市に近くベッドタウンとしての性格を持つ一方、呉市との結びつきも強い。 町内を縦断する国道375号は道幅が狭く交通量が多いため朝と夕方には呉 - 東広島を行き来する車で混雑するが、東広島呉自動車道の黒瀬IC - 阿賀IC間が2012年に開通し、呉へのアクセスが以前より改善されたほか、供用区間の現道の混み具合が緩和された。2015年3月に残りの馬木IC - 黒瀬IC間が完成し全線開通したことで、渋滞の緩和に加えて東広島中心部へのアクセスも良くなっている。
※この「黒瀬町」の解説は、「東広島市」の解説の一部です。
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