特殊な政体を採る国家の元首とは? わかりやすく解説

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特殊な政体を採る国家の元首

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 23:59 UTC 版)

元首」の記事における「特殊な政体を採る国家の元首」の解説

ムアンマル・アル=カッザーフィーカダフィ大佐)が支配していた時代リビアジャマーヒリーヤ直接民主制)という特異な政体標榜しており、法的に国家元首存在しなかった。通常国家元首職務とされている権能一部は、全国人民会議書記担っており、同書記が事務的に元首代行ともいえる。事実上最高指導者革命指導者カッザーフィーであり、1979年までは革命評議会議長全国人民会議書記長という役職に就いていた名実ともに国家元首であったカッザーフィー1979年一切公職退いているが、それ以降革命指導者という肩書他国元首親書やり取りをするなど、対外的国家元首受け取れる役割担っていた。その一方でカッザーフィー1988年勃発したパンアメリカン航空103便爆破事件容疑者引き渡し問題国連コフィー・アナン事務総長会談した際には「私は国家元首でも首相でもないので、容疑者引き渡す権限持っていません」と語ったことがあるイランイスラム共和制を採っており、国家元首相当するのはイスラーム聖職者である最高指導者である。それとは別に直接選挙によって選ばれる大統領存在するが行政権首長にすぎず、最高指導者から解任され規定がある。ただ、対外的にはイランの大統領元首準ずる存在として扱われている。日本の外務省最高指導者大統領が「元首としての権能分有しているとしている。 バチカン市国国家元首ローマ教皇である。ローマ教皇バチカンという独立国国家元首であるとともに全世界ローマ・カトリック教会統治者であり、イエス・キリスト代理人とされている。教皇選出ローマ・カトリック教会高位聖職者である枢機卿による互選コンクラーヴェであるから大統領制のような国家元首公選制と見ることもできる。ただ、教皇任期定められていない上に本人意に反する退位認められておらず、事実上終身地位である。また教皇地位には特別な権威聖座)が認められている。そうした点ではバチカン市国国家元首としてローマ教皇地位大統領制大統領同等とはいえず、むしろ選挙君主制のもとでの君主に近い。 チベット1959年以降亡命政権)の国家元首は、チベット仏教ダライ・ラマ法王であったダライ・ラマ法王地位世襲でも選挙制でもなく「転生」という特異な方式により継承されていた。1959年チベット動乱によってダライ・ラマ14世チベット政府ガンデンポタン)はインド移って亡命政府樹立した1961年将来独立チベット国家体制指針であるとともに亡命チベット人社会統治するための自由チベット憲法制定されダライ・ラマ立憲君主制体制元首定められた。その後2011年ダライ・ラマ14世発議によって亡命チベット人憲章改訂されダライ・ラマは「チベットチベット人守護者であり象徴」となり、チベット亡命政府国家元首の座は亡命政府主席大臣移譲された。 サモア独立国1997年7月3日までは西サモア独立国))の国家元首は、オ・レ・アオ・オ・レ・マーローサモア国家元首)であり、独立前1960年10月28日起草よるものであり、1962年1月1日独立とともに施行され憲法定められ国家元首称号である。「アオ」「マーロー」は現地語(サモア語)でそれぞれ「頭(ここでは“長(おさ)”)」「政府/王国」を意味する詳細サモア国家元首の「概要」を参照)。 政治的な諸事情によって本来の国家元首を置くことができない場合、それに代わる存在国家元首となる場合がある。 第一次世界大戦後ハンガリー王国は、本来はハプスブルク家出身オーストリア大公ヨーゼフ・アウグストを国王とする王国として成立するはずであった。しかしハプスブルク家国王戴くことに内外反発強かったため、ヨーゼフ・アウグストは国王になることができず、さらにオーストリア=ハンガリー帝国最後の皇帝であったカール1世カーロイ4世)のハンガリー国王としての復辟運動とその失敗もあり、国王空位王国となった国王代わる国家元首として摂政置かれ建国から1944年まで海軍提督ホルティ・ミクローシュ摂政務めたスペイン内戦後のスペインでは、内戦勝利したフランシスコ・フランコ将軍独裁握り国家元首就任した国家元首としてフランコカウディーリョ(Caudillo、日本語では総統訳される)の称号用いた。なお、軍総司令官としてのフランコ称号はヘネラリッシモ(Generalísimo総帥)である。一方フランコ自分後継体制においては王制復古してスペイン王国に戻すべきだと考えていた。1947年フランコ総統は「国家首長継承法」を制定しスペインを「王国」とすること、フランコ王国の「摂政」として終身国家元首となること、フランコ後継国王指名付与されることなどを定めた満州国満洲国)は1932年建国の際、愛新覚羅溥儀国家元首となった。清の最後の皇帝であった溥儀は、満洲国でも皇帝となることを熱望していたが、同国実質上の支配者であった日本関東軍帝政を採ることによる新国家イメージ低下懸念してそれを許さなかったため、建国当初満洲国国家元首称号執政という曖昧なものとなった関東軍意向は「満洲国元首執政、ただし執政善政を敷くこと数年に及ぶならば、全国民推戴によって執政皇帝となる」というものであった1934年康徳元年3月1日満洲国帝政移行して溥儀皇帝即位、それによって「執政」の称号消滅したヴィシー政権フランス国号は「フランス国」、1940年 - 1944年)の国家元首フィリップ・ペタン元帥であった国家元首としてペタンフランス国家主席(フランス語: Chef de ltat français)の称号名乗っていた。この国は、憲法が「全権力をペタン将軍委任する」の1条だけから構成されるという、きわめて特異な国家体制を採っていた。

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