沙知代バッシング
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「ミッチー・サッチー騒動」の記事における「沙知代バッシング」の解説
沙知代が学歴詐称をしているのではないかという疑惑も取り沙汰された。発端は沙知代の衆議院選挙立候補に於いて、外国人記者クラブで記者を前に「私はコロンビア大学で聴講生として通っていた」と会見し、選挙公報にも最終学歴はコロンビア大学卒業となっていた。沙知代の実弟・伊東は彼女の学歴について、「中等学校で終了し、終戦後の数年間には、東京・新橋の第一ホテルで皿洗いのアルバイトなどをしつつ、進駐アメリカ人兵士相手のパンパンとして身を立てていた」としている。 騒動が過熱する中、1999年7月、1996年の第41回衆議院議員総選挙に沙知代が新進党から立候補した際、虚偽の経歴(アメリカ合衆国のコロンビア大学卒業、1972年に克也と結婚した等の経歴)で選挙活動を行ったとして浅香は沙知代を公職選挙法違反(虚偽事実公表罪)で計7件の告発を行った。この時、弁護士の若狭勝が沙知代の身辺調査を行った。浅香は東京地検に沙知代を公職選挙法違反であると告発するも、7月14日に不受理となり、浅香は同日に浅草のホテルで会見を行い、目にうっすら涙を溜めながら、「残念ながら受理されなかった。こんなことがあっていいのかと思います」と悔しさを滲ませていた。直ちに告発状を申し付け、東京地検が再告発を受理したことに合わせ、浅香、渡部、十勝を中心に沙知代の学歴詐称疑惑の調査を求める署名活動が行われ、浅香が最終的に集まった7万1,611通の署名を当時法務大臣だった陣内孝雄に提出した。当時与党の自民党議員の中に、この東京地検の告発不受理について衆院法務委員会で追及しようという声も上がっており、沙知代の学歴詐称・公職選挙法違反が国会登場となる可能性も示唆されていたほか、告発を不受理したことで東京地検に前代未聞の1万本近い抗議電話があったという。告発当時既に新進党は消滅しており、この騒動を受け小選挙区に立候補予定だった東祥三は立候補を取りやめたため、繰り上げ当選する可能性はなくなったが、沙知代は繰り上げ当選を辞退する意向を示していた。 マスコミはコロンビア大学に取材を試みたり、実際にコロンビア大学を卒業した日本人に取材を試みた。中にはロス疑惑で有名になったジミー佐古田に取材を試みたテレビ局まであった。この学歴詐称の疑いについては先に『ザ・ワイド』(日本テレビ)が、コロンビア大学を卒業した日本在留の外国人などに取材し、同大学の同窓会による卒業生名簿を調べており、沙知代の名前(出生名「伊東芳枝」と現本名「野村沙知代」双方)がないことを確認していた(検察の捜査員が、現地コロンビア大学で調査したところ、大学の事務当局には当時の留学生の学籍原簿や単位認定記録等自体が残っておらず、経歴詐称の証拠は得られなかった)が、この事実が地検の捜査に影響を及ぼしたかということについては一切報道されておらず、沙知代はこのことに対しコメントをしていない。なお、学歴詐称を指摘された沙知代は「コロンビア大学ではなく、コロラド大学に留学した。間違えたのは編集部のミス」と答えるなど、曖昧で非合理な対応に終始していた。その他、「コロンビア大学への留学を証明できる書類などが金庫ごと盗難に遭い、証拠は提出できない」とも述べていた。 また、婚姻歴については、息子・野村克則の誕生日から逆算し、1972年当時には克也と事実婚の状態であったと認定された。同年10月、これらの事実を受け、本件は全件7件の全てが、嫌疑不十分により不起訴とされた。この決定に対し、東京地検に抗議が殺到した。 不起訴の翌日、不起訴決定に納得しなかった十勝花子は、東京地検前にマスコミを呼び「検察の決定にカチンときた。何故、あれだけの証拠がありながら不起訴なのか分からない。もう検察は死んだと思っている。だから喪服を着て会見します」と怒りを露わにして会見を行った。 学歴詐称疑惑や美容整形などの料金踏み倒し疑惑、ドタキャン問題など騒動が頻発していた沙知代に対する視聴者の反発などもあり、レギュラー出演していた『快傑熟女!心配ご無用』を1999年8月12日放送分を以って降板した。 沙知代はこれらのバッシングにはほとんど黙認していたが、脱税による逮捕の執行猶予が付いた2002年5月、「もうこれ以上我慢する気はさらさらない」と堪忍袋の緒が切れたか大量提訴に踏み切った。騒動に関連した数多くの週刊誌(『週刊実話』のほかに『週刊ポスト』、『女性セブン』、『女性自身』、『週刊女性』、『FLASH』、『週刊朝日』など)や芸能人・著名人(浅香、渡部、デヴィ夫人、塩月、杉浦など)を相手取り、名誉を毀損されたとして裁判を起こした(名誉棄損件数は計31件、賠償請求額は合計5億円とも伝えられる)。この訴訟が公になった時、浅香は「えっ、私に?デヴィさんの間違いじゃないの!?」「疲れ切っちゃって」「腰と足を痛めちゃいまして」などと述べた。 2003年5月15日には「借金が10億円以上ある」、「出馬した衆院選で落選後、選挙事務所から1,000万円を持ち去った」などの記事を書き立てた『週刊実話』に対し、220万円の支払い(発行元の日本ジャーナル出版に対し)を、同年9月2日には塩月に1,100万の損害賠償を求めた訴訟の判決で、塩月に77万円の支払い(先述の著書でのイニシャルの件であり当時東京地裁の浅香紀久雄裁判長は「『28年前に自分の秘書をしていた人物』と特定しており、Yさんが沙知代を指すと分かる人は相当数に上る」と判断。「印税を横領したかのような記述で社会的評価を低下させた」と名誉棄損を認めた)を、同月22日には「(沙知代は)魔女どころか毒婦以下」と発言したデヴィ・スカルノに110万円の支払いを、それぞれ東京地裁が命じた。 そして2004年1月16日には、浅香に対して名誉毀損で1億1,000万円の損害賠償を求めていた訴訟の判決が下り、東京地裁は浅香に110万円の支払いを命じている。翌17日には『日刊スポーツ』が「サッチーがミッチーに辛勝、騒動に終止符」と題しこのことを取り上げた。浅香は東京高等裁判所に控訴するも、6月28日には東京高裁でも沙知代の訴えが認められる格好となった。ただし、浅香の名誉棄損は認めつつも、「真実相当性が認められるものもある」ということで、賠償金は1億1,000万円から110万円へ減額された。 当時東京高裁の赤塚信雄裁判長は浅香のマスコミへの情報提供について、「雑誌記者に情報を提供した段階で名誉棄損は成立した」と認めた。一方で「学歴詐称」に関しては、「留学経験があるなら、連日の疑惑報道に野村さんが何の反論もしないのは極めて不自然で、学歴を詐称していると信じる相当の理由があった」と、改めて真実相当性を認めている。 また、沙知代は「『舞台での共演を継続したい』という浅香の要望を断った直後に浅香が批判をし始めた」と述べている。
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