沙知代没後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 23:15 UTC 版)
「ミッチー・サッチー騒動」の記事における「沙知代没後」の解説
2017年12月に沙知代が死去した。訃報を受けて浅香は「あたしよか長生きすると思ってたのに、人間って分からない。こうなったら仏になりましたから、安らかにと手を合わせるしかないです。静かにしてほしいと願います」と語った。騒動後は全く交流はなく、東京駅で見かけた程度だったという。 沙知代のお別れ会を済ませた克也は2018年2月16日放送のTBS系列『爆報! THE フライデー』に出演し、沙知代死去直前の様子などを語った。その中で克也は、沙知代が自分に語った過去の経歴や家庭環境などの「履歴は100%、全部ウソでした」と告白、沙知代が自分に全部嘘を言っていたと明かした。克也はまた「ウソをついてでも自分と結婚したかったのだろう。愛情の変換でそうなったんじゃないのかな、と取った」と語った。克也の証言により、本騒動の最大の焦点で、裁判沙汰にまで発展した沙知代の経歴に関する議論は、一応の決着を見ることになった。 2019年3月、克也は手記『ありがとうを言えなくて』(講談社、ISBN 406515040X)を発表。同書には沙知代の生い立ちや経歴がすべて嘘であったと改めて記されている。 翌2020年1月、『週刊女性』1月28日号に浅香光代と、内縁の夫である世志凡太が、騒動当時について述懐したインタビュー記事が掲載された。その中で世志は「サッチーがしていたことって全部“野村監督”のためなんだよ。(中略)確かに度を越したところもあったけど、それだけ一生懸命だったんだなって今は思うね」と語っている。翌月11日、克也が84歳で死去した。同年12月14日にはもう一人の当事者であった浅香が膵臓がんのため92歳で没した。
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