沙石集の舞台は宇都宮か
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「おしどり塚」の記事における「沙石集の舞台は宇都宮か」の解説
1964年(昭和39年)5月29日に、おしどり塚は宇都宮市の史跡に指定された。今となっては指定の根拠は不明であるが、おそらく鴛鴦塚之略記碑に書かれているような、「無住が宇都宮で聞いた話を『沙石集』に書いた」という伝承に基づいて指定したものと考えられる。 しかし、旧下野国の佐野市にも宇都宮と同様の民話が残っている。佐野市は旧安蘇郡安蘇郷であり、干拓されて残っていないが、安蘇沼が存在していた。『沙石集』に出てくる「アソ沼」を宇都宮の求喰沼と解釈するのは無理があり、佐野の安蘇沼と考えた方がより自然である。鴛鴦塚之略記碑の碑文は『下野国誌』の「鴛鴦塚」の記述に酷似していることから、柏村祐司は、碑文の著者は『下野国誌』を基に碑文を書き、『沙石集』は読んでいないのではないか、碑文の著者が宇都宮への郷土愛ゆえに『沙石集』と結び付けてしまったのではないか、と推測している。 ちなみに、佐野市浅沼町の八幡宮には藤原盛房が天保2年(1831年)建碑した「おしどり塚歌碑」があり、佐野駅前にはオシドリの夫婦の像、黒袴町には「おしどり塚」がある。オシドリは佐野市の鳥である。 同様の物語は日本各地で伝承されており、小泉八雲の『怪談』に収録されている。國學院大學栃木短期大学の細矢藤策は、おしどり塚の伝説が残る地域はほとんどが鳥の狩猟場であったことから、鷹匠など鳥猟師たちの「鳥供養の物語」であったと解釈している。
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