歌丸時代の豪華賞品とは? わかりやすく解説

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歌丸時代の豪華賞品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:50 UTC 版)

大喜利 (笑点)」の記事における「歌丸時代の豪華賞品」の解説

好楽が「芸は身をたすく」を獲得。(2006年12月24日放送同年ブレイク果たしたレイザーラモンHGゲイは身をたすける)のコスプレだった。 この回は2006年最後の放送だったため、歌丸が「10獲得者が出なくても、1番座布団多かった方に賞品与える」と発言したが、好楽はちゃんと10獲得した上で賞品獲得した楽太郎が「天災は忘れた頃にやってくる」を獲得。(2007年4月29日放送韓国・済州島旅行楽しんでいる最中木久蔵好楽乱入韓国の「天才少女楽太郎が「天災は忘れた頃にやってくる杯」と題したゴルフ対決をすることに。結果楽太郎敗れ罰ゲームとしてお馬さんごっこの馬役やらされた。6代目円楽襲名最後10獲得昇太が「花より団子」を獲得。(2008年3月9日放送 昇太、初の座布団10獲得) 「花より団子」と輪島功一団子屋経営するボクシング世界チャンピオン)が揮毫した掛け軸だった。 昇太が「耳をすませば」を獲得。(2008年12月14日放送5代目圓楽笑い声流れお守り袋(笑い袋)だった。 たい平が「渡りに船」を獲得。(2009年9月13日放送歌丸賞品説明では海外豪華クルージングだったが、実際ベトナムジャングルの川をスコールの中、小さな船で自分漕いで下るというものであったその後ホーチミン市移動アオザイまとったベトナム美女食事デートを楽しむが、好楽シクロ運転手レストラン店員扮して邪魔をし、最後スパイとなった好楽携帯電話たい平の妻・千これまでの事を密告電話に代わったたい平携帯電話向かって土下座するオチとなったコーナー終わりテロップは「こんなこと 錦江湾でも あったよね [楽]」。 昇太が「身から出たサビ」を獲得。(2009年12月20日放送ネタ(身)からわさび(サビ)のはみ出しマグロ握り寿司だった。暫く食べるのをためらい意を決して食べるも余り辛さ悶絶し、リアクションどころではなかった。 木久扇が「瞳を閉じて」(平井堅楽曲)を獲得。(2010年6月6日6月13日放送歌丸瞳を閉じて考えた結果木久扇ネタ一つ河童にちなんでのトルコ・カッパドキアの旅を贈呈前編陶器絵付熱気球乗ってカッパドキア遺跡巡り後編イスタンブール行った山田同行する事になり、木久扇最初嫌がっていたものの、結局は2人旅を楽しんだ現地描いたカッパドキアラーメン食べ河童」(ほか2種類の計3枚)の絵皿は、視聴者抽選プレゼントされた。ナレーションたい平担当6代目円楽が「至福の時」を獲得。(2011年6月12日放送賞品内容台湾での温泉旅行。「世界ひとつだけ温泉」という触込みだったが、実際自分河原掘って入るものだったその後市内観光するが、途中で小遊三好楽乱入続いて2人食事をしたが、勝負小遊三好楽敗れ罰ゲーム臭豆腐食べさせられた。最後に台湾タイワンな目にあっちゃった(友達できないね)」と締め括っている。ナレーション前回続いてたい平担当好楽が「会いたかった」(AKB48楽曲)を獲得。(2012年4月8日放送) 思わず「あー、痛かったと言ってしまう、番組特製健康マットプレゼントされた。 たい平が「晴れたらいいね」(DREAMS COME TRUE楽曲)を獲得。(2012年8月12日放送) 「張れたらいいね」で賞品テントだった。この時、たい平一時的に13まで座布団増やした当初獲得したたい平がこのテント使ってキャンプ挑戦するロケ企画予定されていたが、撮影間近に台風接近していたなどの諸事情により中止となった木久扇が「人の振り見て我が振り直せ」を獲得。(2013年4月14日放送賞品33年前と同じ「徳島・阿波踊り」だった。この放送分は四国放送開局60周年のため、徳島収録行っていた。 小遊三が「日本テレビ開局60周年因んだものすご賞品」を獲得。(2013年12月1日放送同年汐博アトラクション幸せを呼ぶ歌丸スライダー」の一部分である巨大な歌丸人形だった。両手には扇子持ち、頭には「祝日テレ60年」の旗が付いている。歌丸は「笑点史上最大賞品」と称したその後落語芸術協会備品となり、芸協のイベントなど担ぎ出されることもある。 木久扇たい平が「お・も・て・な・し」(2013年流行語大賞)を獲得。(2014年6月29日放送歌丸地元横浜もてなしを受けるもの。歌丸行きつけ蕎麦屋歌丸蕎麦湯注文するが、2人は沢山注文する最後に歌丸代金払おうとするが想像超える額だったため(金額非公開)、「歌丸こんなになるとはおもってなし」というオチだった。ナレーション当時日本テレビアナウンサー桝太一担当好楽が「銀の匙」を獲得。(2014年11月16日放送) 「銀のスプーン咥えて生まれてきた子供は、一生食べるのに困らない」という西洋言い伝えにちなんで、日本テレビ社員食堂無料利用できる利用カード贈呈された。さらに、限度額は「無制限」、有効期限は「死ぬまで」、本人連れてきた家族や一門も対象となった(ただし、10達成時に渡され巨大パネル型のカード持参しなければならないので大変不便)。獲得日の翌週放送で(実際訪問日は獲得した収録日翌日)、好楽息子の王楽を始めとした家族親類、とむなどの一門の者、さらに王楽と親交があるガッポリ建設など30名を従え巨大カード持ち込んで日テレ社食訪れて食事する模様放送された。その際社食責任者登場し、「金額無制限、死ぬまで有効」の確約得たナレーションたい平担当。 このカードあくまでも番組ネタであり、これ以降日本テレビカード保管しているため、実際に好楽がこのカード使用したのはこの1回のみだった。 たい平が「笑点50年にふさわしいものすご賞品」を獲得。(2015年5月24日5月31日放送日本テレビ地下3階の鍵が貸し出され、その鍵で開いた麹町分室地下3階の扉の先にある日テレビ歴史詰まった番組記録写真保管され部屋から、その中にある写真の中から気に入った1枚持ち帰られるという賞品だった。その中には笑点写真以外にも日本テレビの他番組多く写真保存されていた。最終的にたい平選んだ写真5月31日放送大喜利冒頭発表され1967年ご両人登場」から歌丸歌丸の妻の冨士子が出演した際の写真選ばれた。ナレーション徳光和夫担当昇太が「笑点50年にふさわしい超ものすご賞品」を獲得。(2016年5月8日放送昇太大喜利回答者として最後座布団10獲得賞品50万円南部箒で、この箒を用いて翌週50周年記念特番向けて舞台上の掃除をすることを命じられた。 さらに、昇太賞品獲得してからは6代目円楽発言により、10達した者が昇太掃除手伝うというルール大喜利続行その結果6代目円楽たい平木久扇の3人が歌丸計らいによって即座に10達し手伝うことになった

※この「歌丸時代の豪華賞品」の解説は、「大喜利 (笑点)」の解説の一部です。
「歌丸時代の豪華賞品」を含む「大喜利 (笑点)」の記事については、「大喜利 (笑点)」の概要を参照ください。

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