歌丸時代の豪華賞品
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「大喜利 (笑点)」の記事における「歌丸時代の豪華賞品」の解説
好楽が「芸は身をたすく」を獲得。(2006年12月24日放送) 同年にブレイクを果たしたレイザーラモンHG(ゲイは身をたすける)のコスプレだった。 この回は2006年最後の放送だったため、歌丸が「10枚獲得者が出なくても、1番座布団が多かった方に賞品を与える」と発言したが、好楽はちゃんと10枚獲得した上で賞品を獲得した。 楽太郎が「天災は忘れた頃にやってくる」を獲得。(2007年4月29日放送) 韓国・済州島で旅行を楽しんでいる最中に木久蔵・好楽が乱入、韓国の「天才」少女と楽太郎が「天災は忘れた頃にやってくる杯」と題したゴルフ対決をすることに。結果は楽太郎が敗れ、罰ゲームとしてお馬さんごっこの馬役をやらされた。6代目円楽襲名前最後の10枚獲得。 昇太が「花より団子」を獲得。(2008年3月9日放送 昇太、初の座布団10枚獲得) 「花より団子」と輪島功一(団子屋を経営する元ボクシング世界チャンピオン)が揮毫した掛け軸だった。 昇太が「耳をすませば」を獲得。(2008年12月14日放送) 5代目圓楽の笑い声が流れるお守り袋(笑い袋)だった。 たい平が「渡りに船」を獲得。(2009年9月13日放送) 歌丸の賞品の説明では海外で豪華クルージングだったが、実際はベトナムのジャングルの川をスコールの中、小さな船で自分で漕いで下るというものであった。 その後ホーチミン市へ移動。アオザイをまとったベトナム美女と食事デートを楽しむが、好楽がシクロの運転手やレストランの店員に扮して邪魔をし、最後はスパイとなった好楽が携帯電話でたい平の妻・千華にこれまでの事を密告、電話に代わったたい平が携帯電話に向かって土下座するオチとなった。コーナー終わりのテロップは「こんなこと 錦江湾でも あったよね [楽]」。 昇太が「身から出たサビ」を獲得。(2009年12月20日放送) ネタ(身)からわさび(サビ)のはみ出したマグロの握り寿司だった。暫く食べるのをためらい、意を決して食べるも余りの辛さに悶絶し、リアクションどころではなかった。 木久扇が「瞳を閉じて」(平井堅の楽曲)を獲得。(2010年6月6日・6月13日放送) 歌丸が瞳を閉じて考えた結果、木久扇のネタの一つ・河童にちなんでのトルコ・カッパドキアの旅を贈呈。前編は陶器の絵付や熱気球に乗ってのカッパドキア遺跡巡り、後編はイスタンブールに行った。山田も同行する事になり、木久扇は最初嫌がっていたものの、結局は2人旅を楽しんだ。現地で描いた「カッパドキアでラーメンを食べる河童」(ほか2種類の計3枚)の絵皿は、視聴者に抽選でプレゼントされた。ナレーションはたい平が担当。 6代目円楽が「至福の時」を獲得。(2011年6月12日放送) 賞品の内容は台湾での温泉旅行。「世界にひとつだけの温泉」という触れ込みだったが、実際は自分で河原を掘って入るものだった。その後市内を観光するが、途中で小遊三と好楽も乱入。続いて2人と食事をしたが、勝負で小遊三と好楽に敗れ、罰ゲームで臭豆腐を食べさせられた。最後に「台湾でタイワンな目にあっちゃった(友達できないね)」と締め括っている。ナレーションは前回に続いてたい平が担当。 好楽が「会いたかった」(AKB48の楽曲)を獲得。(2012年4月8日放送) 思わず「あー、痛かった」と言ってしまう、番組特製健康マットがプレゼントされた。 たい平が「晴れたらいいね」(DREAMS COME TRUEの楽曲)を獲得。(2012年8月12日放送) 「張れたらいいね」で賞品はテントだった。この時、たい平は一時的に13枚まで座布団を増やした。 当初は獲得したたい平がこのテントを使ってキャンプに挑戦するロケ企画が予定されていたが、撮影間近に台風が接近していたなどの諸事情により中止となった。 木久扇が「人の振り見て我が振り直せ」を獲得。(2013年4月14日放送) 賞品は33年前と同じ「徳島・阿波踊り」だった。この放送分は四国放送開局60周年のため、徳島で収録を行っていた。 小遊三が「日本テレビ開局60周年に因んだものすごい賞品」を獲得。(2013年12月1日放送) 同年の汐博のアトラクション「幸せを呼ぶ歌丸スライダー」の一部分である巨大な歌丸の人形だった。両手には扇子を持ち、頭には「祝日テレ60年」の旗が付いている。歌丸は「笑点史上最大の賞品」と称した。その後は落語芸術協会の備品となり、芸協のイベントなどで担ぎ出されることもある。 木久扇とたい平が「お・も・て・な・し」(2013年流行語大賞)を獲得。(2014年6月29日放送) 歌丸の地元の横浜でもてなしを受けるもの。歌丸行きつけの蕎麦屋で歌丸は蕎麦湯を注文するが、2人は沢山注文する。最後に歌丸が代金を払おうとするが想像を超える額だったため(金額は非公開)、「歌丸もこんなになるとはおもってなし」というオチだった。ナレーションは当時日本テレビアナウンサーの桝太一が担当。 好楽が「銀の匙」を獲得。(2014年11月16日放送) 「銀のスプーンを咥えて生まれてきた子供は、一生食べるのに困らない」という西洋の言い伝えにちなんで、日本テレビの社員食堂を無料で利用できる利用カードが贈呈された。さらに、限度額は「無制限」、有効期限は「死ぬまで」、本人が連れてきた家族や一門も対象となった(ただし、10枚達成時に渡された巨大パネル型のカードを持参しなければならないので大変不便)。獲得日の翌週の放送で(実際の訪問日は獲得した収録日の翌日)、好楽が息子の王楽を始めとした家族や親類、とむなどの一門の者、さらに王楽と親交があるガッポリ建設など30名を従え、巨大カードを持ち込んで日テレ社食を訪れて食事する模様が放送された。その際社食の責任者が登場し、「金額無制限、死ぬまで有効」の確約を得た。ナレーションはたい平が担当。 このカードはあくまでも番組のネタであり、これ以降は日本テレビがカードを保管しているため、実際に好楽がこのカードを使用したのはこの1回のみだった。 たい平が「笑点50年にふさわしいものすごい賞品」を獲得。(2015年5月24日・5月31日放送) 日本テレビ地下3階の鍵が貸し出され、その鍵で開いた麹町分室地下3階の扉の先にある日本テレビの歴史が詰まった番組の記録写真が保管された部屋から、その中にある写真の中から気に入った1枚を持ち帰られるという賞品だった。その中には笑点の写真以外にも日本テレビの他番組の多くの写真が保存されていた。最終的にたい平が選んだ写真は5月31日放送の大喜利の冒頭で発表され、1967年「ご両人登場」から歌丸と歌丸の妻の冨士子が出演した際の写真が選ばれた。ナレーションは徳光和夫が担当。 昇太が「笑点50年にふさわしい超ものすごい賞品」を獲得。(2016年5月8日放送、昇太、大喜利回答者として最後の座布団10枚獲得) 賞品は50万円の南部箒で、この箒を用いて翌週の50周年記念特番に向けて、舞台上の掃除をすることを命じられた。 さらに、昇太が賞品を獲得してからは6代目円楽の発言により、10枚に達した者が昇太の掃除を手伝うというルールで大喜利を続行。その結果、6代目円楽・たい平・木久扇の3人が歌丸の計らいによって即座に10枚に達し、手伝うことになった。
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