歌人としての木喰とは? わかりやすく解説

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歌人としての木喰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 14:03 UTC 版)

木喰」の記事における「歌人としての木喰」の解説

木喰歌人としても知られ生涯渡り多く和歌読んでいる。木喰和歌後年多く詠まれ類歌重複歌も存在するが、2008年時点で約560首が確認されている。 木喰和歌は、天明元年1781年7月7日年記を持つ自身背面記された「皆人の心にきさし白蓮花花はきちてもなねはのこらむ」が初見とされる天明元年5月木喰信濃長久保において弟子白道別れ同年5月には佐渡島渡っている。終見は文化5年1808年)に甲斐善光寺納めた画軸の26とされる木喰歌集7点確認されており、名号和歌記した書画存在する木喰歌集初見天明2年1782年12月8日佐渡編まれた『集堂帳』で、22首を収める寛政8年1798年1月6日には長崎歌集編まれたが、これは表題がなく、柳宗悦により『青表紙歌集』と名付けられた。35首を収める寛政12年1800年5月には遠江国で『心願』が編まれる。これはいろは唄の各文字初句初めに置いた和歌含まれ88首が納められている。 享和2年1802年2月21日には甲斐国丸畑四国堂を建立した際に『四国道心願鏡』が編まれ四国堂の縁起自伝添えた和歌7首と、建立協力した「拾三人講中」に与えた和歌5首の12首が収められている。同年同月日には加持祈祷修法呪文真言記した懺悔経諸鏡』が著され、10首の和歌収められている。享和3年1803年)閏1月12日には越後国長岡青柳與清(清右衛門)家滞在中に心願集歌』が編まれ観音経終わり25文字初句初めにおいた25首が収められている。同年3月10日には同じ青柳家廻国の行願十八大願記した木喰うきよ風りふわさん』が著され、14首の和歌収められている。

※この「歌人としての木喰」の解説は、「木喰」の解説の一部です。
「歌人としての木喰」を含む「木喰」の記事については、「木喰」の概要を参照ください。

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