歌人としてデビューとは? わかりやすく解説

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歌人としてデビュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:12 UTC 版)

寺山修司」の記事における「歌人としてデビュー」の解説

1954年昭和29年)、早稲田大学教育学部国文学科現・国国文学科)に入学した山田太一とは同級だった。早稲田大学短歌会に入る。寺山12歳から13歳頃から短歌詠み始めたというが、熱を入れて短歌詠み始めきっかけとなったのが短歌研究1954年4月号に掲載された、一般からの公募から選ばれ第一回五十首詠で特選となった中城ふみ子の「乳房喪失であった中城作品歌壇大きな反響を生み、第二回五十首詠の公募には第一回の約2倍の約800名からの応募があった。中城短歌歌壇の主に若手から強い支持受けたが、寺山もまた中城短歌感動し短歌詠む意欲高めた寺山短歌研究第二回五十首詠に「父還せ」と題して応募した短歌研究編長の中井英夫寺山作品特選とした。後に中井英夫は自らのことを「いいものをいち早く見てとる眼を持っていてほとんど誤らない」と、自負述べている。中央歌壇では無名であった中城ふみ子寺山修司という稀有才能を見い出したのは、名編集者中井英夫慧眼あったればこそであった中井英夫特選とした寺山修司の「父還せ」の発表に際して多く配慮をした。まず題名を「チェホフ祭」とし、既存歌壇からの反発などを考慮して17首を削り短歌研究1954年11月号に第二回五十首詠特選として発表した寺山短歌研究1954年12月号に「火の継走」と題した入選者の抱負発表している。その中で、 僕に短歌へのパッショネイト再認識決意与えてくれたのはどんな歌論でもなくて、中城ふみ子作品であったと書いている。 中城ふみ子の「乳房喪失」は、既存歌壇からの激しい反発浴びた一方寺山の「チェホフ祭」は当初比較反発少なかった。しかしまもなく寺山激し批判反発晒されることになる。寺山俳句世界で注目浴びていた。寺山短歌中村草田男西東三鬼らの俳句作品模倣であるとの批判が、俳句界から上がったのである楠本憲吉寺山短歌に対して俳句クロスワードパズルではない」と、激し反発露わにし、寺山のことを「模倣小僧」と揶揄する声が上がった実際中村草田男のよく知られ俳句短歌として引き写したのような作品もあって、批判を受けることはやむを得なかった。模倣問題明るみに出ると、俳句界から始まった批判歌壇にも広まり袋叩き様相を呈するようになった寺山第二回短歌研究五十首詠特選とした中井英夫は、歌壇からの批判真の意味での新人欲しない、守旧的な体質見た中井寺山擁護論陣張った中井写実基本とする既存短歌あり方疑問持たない歌壇激しい不満を抱いていた。乳がんで死を目前とした中城ふみ子の不幸の演技性帯び短歌、まだ十代みずみずしい青春ドラマのような寺山修司短歌は、作品としては極めて大きな違いがあるものの、ともに平板な日常詠をよしとした既存短歌世界からの極めて大きな飛躍であったという面において、同じ方向性持っていた。中井にとって生命力失いつつあった写実詠を基本とした既存短歌対すアンチテーゼとして、寺山修司短歌守っていかねばならないものであった寺山短歌は、当初から寺山本人自身短歌託すというよりも、あくまで自己表現一手段として使いこなす傾向顕著であった。そのため、短歌を自らの感情増幅させ、変換させたフィクションの世界として創り上げていった。寺山短歌による文壇デビュー以降評論、詩、演劇映像など多彩な才能開花させていくが、寺山にとっては別ジャンル媒体ではなく同時に繰り広げられていく世界のものであった。狭いひとつのジャンル留まることなく寺山自身のいわば寺山ワールド様々な形繰り広げていくのが寺山芸術大きな特徴であり、後に「職業寺山修司です」と自称した寺山は、コラージュモンタージュ等の技法駆使し事実虚構入り混じる世界構築していった。 1955年19歳寺山はすでに ほんとに自分に誠実であるためには、どんな手段もとっていいたいことをいうべきだ。そこになんかの形で修飾風刺や、演技ということ入ってくるんでそういうものを見ると目の色変えてポーズだなんてけなすのは滑稽だと思う。彼らにはほんとにいいたいとがないってことじゃないか…… と語っている。 「チェホフ祭」で第二回短歌研究新人賞受賞する混合腎臓炎社会保険中央総合病院入院1955年昭和30年)、ネフローゼ診断され長期入院となり、翌年在学1年足らず退学生活保護を受ける。この時代輸血技術洗練されたものではなかったが、当時としては唯一の治療法であったまた、前述説明医師から受けた寺山は、この頃から自身の死を意識し始め友人横尾忠則に「長く生きられない」ともらしていたと言う。そして、実際これが晩年肝硬変引き起こしたと言われている。

※この「歌人としてデビュー」の解説は、「寺山修司」の解説の一部です。
「歌人としてデビュー」を含む「寺山修司」の記事については、「寺山修司」の概要を参照ください。

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