歌人としての通秀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/11 06:48 UTC 版)
『実隆公記』を見ると、通秀は歌人として実隆や宗祇らと共に歌会に参加している様子が窺える。 文明15年(1483年)10月には足利将軍家から和歌打聞について打診があった。通秀は実隆らとかねてから盛んに歌会や和漢御会を催して参加していたので、以後も実隆らと歌会や和漢御会に参加していくのである。
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