映画的技法
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「トーキー (talking film) は歌の本 (singing book) と同様に無用である」とは、1927年、ロシア・フォルマリズム運動のリーダーの1人で評論家のヴィクトル・シクロフスキーの宣言である。このように映画と音声は相容れないと考える人もいたが、多くは新たな創造の場の始まりと見ていた。この宣言の翌年、セルゲイ・エイゼンシュテインを含むソ連の映画製作者らは映像と音声の並置、いわゆる対位法的な映像と音の使用が「前例のない力と文化の高み」に映画を引き上げるだろうと宣言し、「発声映画の手法は映画を単に演劇の撮影手段として国内市場に閉じ込めておくことはなく、映画的に考え方を表現することで世界的にその考えを流通させるという大きな可能性を秘めている」とした。 1929年3月12日、ドイツ初の長編トーキーとしてヴァルター・ルットマン監督の Melodie der Welt が公開された。Tobis Filmkunst の最初の作品で、劇映画ではなく海運会社をスポンサーとするドキュメンタリー映画である。この長編トーキーは、トーキーの芸術的可能性を探究しようとした最初の映画である。映画史家 William Moritz はこの映画について「複雑でダイナミックでテンポが速く……様々な国々の似たような文化を並置しつつ、見事な管弦楽曲を流し……映像に同期した効果音を多用している」と述べている。当時の作曲家 Lou Lichtveld はこの映画に感銘を受けたアーティストの1人である。彼は「Melodie der Welt は世界初の重要な音声付ドキュメンタリーであり、音楽やそれ以外の音が1つに合成された最初の作品であり、音と映像が同一の衝動によって制御された最初の作品である」と述べた。Melodie der Welt はオランダ人の前衛映画製作者ヨリス・イヴェンスの産業映画 Philips Radio(1931年)に直接的影響を及ぼした。Philips Radio での作曲を手がけた Lichtveld は次のように述べている。 複雑な工場の音に音楽的印象を与えるため、完全な音楽から純粋なドキュメンタリーの自然な雑音まで変化させた。この映画にはそのような変化する場面がいくつもある。機械音が音楽のように聞こえる場面や、機械の雑音が音楽の背景を支配している場面、音楽自身がドキュメンタリーとなっている場面、機械の純粋な音だけの場面がある。 同様の実験的手法はジガ・ヴェルトフの1931年の Entuziazm やチャップリンの1936年の『モダン・タイムス』にも見られる。 一部の先進的な監督は、音声を単なる台詞を伝える手段としてだけでなく、映画的ストーリーテリングに必須な部分として活用する技法を生み出した。ヒッチコックの『恐喝』では、登場人物の独白を何度も再現し、「ナイフ」という言葉がぼやけた音の流れから飛び出すようにし、主人公が刺殺事件への関与を隠そうと必死になっている心理を表現している。ルーベン・マムーリアンの最初の作品『喝采』(1929年、パラマウント)では、被写体との距離に比例させて周囲の音の音量を変え、音の深さの幻影を構築した。1人が歌い、別の1人が祈っている場面があり、マムーリアンは歌を観客に聞き分けて欲しかった。マムーリアンによると「彼らは歌と祈りという2つの音を1つのマイクロフォンと1つのチャンネルで録音できないと言った。そこで私は『2つのマイクと2つのチャンネルを使って、あとでそれらを合成してサウンドトラックにしたらどうか?』と提案した」という。後にそのような手法が映画製作で普通に行われるようになった。 録音による利点を最大限に引き出した初期の商業映画としては、ルネ・クレール監督の『ル・ミリオン』がある。1931年4月にパリで公開され、翌月にニューヨークで公開され、大ヒットとなり、批評家にも好評だった。単純なストーリーのミュージカル・コメディだが、音を徹底的に加工したという点が目新しかった。Donald Crafton はこれについて次のように述べている。 『ル・ミリオン』は音響が書き割りのセット以上のものであることを我々に記憶させた。台詞は韻を踏んでいてリズミカルに歌われている。クレールは画面内外の様々な音の間でからかうような混乱を引き起こした。また、彼は本来非同期なはずの音を同期させるという実験も行っている(画面に出てこないフットボールかラグビーの歓声と画面上の登場人物の動きを同期させるシーンがある)。 類似の技法は喜劇映画の一般的テクニックの1つとなったが、それは特殊効果または「色」としてであって、クレールが達成したような包括的かつ非自然主義的デザインの基盤としてではない。喜劇以外の分野では、Melodie der Welt や『ル・ミリオン』で例示されるような音の遊びは商業映画にはほとんど見られない。特にハリウッドでは音響はそれぞれのジャンル毎の映画製作システムにしっかり組み込まれており、ストーリーテリングという伝統的目的にそって映画が製作されている。このような状況を1928年に予見していたのが映画芸術科学アカデミーの Frank Woods である。彼は「将来のトーキーは無声映画によって発展してきた従来からの手法に沿って製作されるだろう……会話シーンは別の取り扱いが必要となる可能性があるが、映画製作の大筋は無声映画と同じになるだろう」としていた。 一般的には、1シーン1カット(台詞の間にカットを割らないで人物をとらえる)長廻しの手法が多くとられるようになった。
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