映画的技法とは? わかりやすく解説

映画的技法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 19:56 UTC 版)

トーキー」の記事における「映画的技法」の解説

トーキー (talking film) は歌の本 (singing book) と同様に無用である」とは、1927年ロシア・フォルマリズム運動のリーダー1人評論家ヴィクトル・シクロフスキー宣言である。このように映画音声相容れない考える人もいたが、多く新たな創造の場の始まり見ていた。この宣言翌年セルゲイ・エイゼンシュテインを含むソ連映画製作者らは映像音声並置いわゆる対位法的な映像音の使用が「前例のない力と文化高み」に映画引き上げるだろうと宣言し、「発声映画の手法は映画を単に演劇撮影手段として国内市場閉じ込めておくことはなく、映画的考え方表現することで世界的にその考え流通させるという大きな可能性秘めている」とした。 1929年3月12日ドイツ初の長編トーキーとしてヴァルター・ルットマン監督Melodie der Welt公開された。Tobis Filmkunst の最初作品で、劇映画ではなく海運会社スポンサーとするドキュメンタリー映画である。この長編トーキーは、トーキー芸術的可能性探究しようとした最初映画である。映画史家 William Moritz はこの映画について「複雑でダイナミックテンポ速く……様々な国々似たような文化並置しつつ、見事な管弦楽曲流し……映像同期した効果音多用している」と述べている。当時作曲家 Lou Lichtveld はこの映画感銘受けたアーティスト1人である。彼は「Melodie der Welt世界初重要な音声ドキュメンタリーであり、音楽それ以外の音が1つ合成され最初作品であり、音と映像同一衝動によって制御され最初作品である」と述べたMelodie der Weltオランダ人前衛映画製作者ヨリス・イヴェンス産業映画 Philips Radio1931年)に直接的影響及ぼしたPhilips Radio での作曲を手がけた Lichtveld は次のように述べている。 複雑な工場の音に音楽的印象与えるため、完全な音楽から純粋なドキュメンタリーの自然な雑音まで変化させた。この映画にはそのような変化する場面いくつもある。機械音が音楽のように聞こえ場面や、機械雑音音楽背景支配している場面音楽自身ドキュメンタリーとなっている場面機械純粋な音だけの場面がある。 同様の実験的手法ジガ・ヴェルトフ1931年の Entuziazm やチャップリン1936年の『モダン・タイムス』にも見られる一部先進的な監督は、音声単なる台詞伝え手段としてだけでなく、映画的ストーリーテリング必須部分として活用する技法生み出したヒッチコックの『恐喝』では、登場人物独白何度も再現し、「ナイフ」という言葉ぼやけた音の流れから飛び出すようにし、主人公刺殺事件への関与隠そう必死になっている心理表現している。ルーベン・マムーリアン最初作品喝采』(1929年パラマウント)では、被写体との距離に比例させて周囲音の音量変え音の深さ幻影構築した1人歌い別の1人祈っている場面があり、マムーリアンは歌を観客聞き分けて欲しかったマムーリアンによると「彼らは歌と祈りという2つの音を1つマイクロフォン1つチャンネル録音できないと言った。そこで私は『2つマイク2つチャンネル使って、あとでそれらを合成してサウンドトラックにしたらどうか?』と提案した」という。後にそのような手法映画製作普通に行われるようになった録音による利点最大限引き出した初期商業映画としては、ルネ・クレール監督の『ル・ミリオン』がある。1931年4月パリ公開され翌月ニューヨークで公開され大ヒットとなり、批評家にも好評だった。単純なストーリーのミュージカル・コメディだが、音を徹底的に加工したという点が目新しかったDonald Crafton はこれについて次のように述べている。 『ル・ミリオン』は音響書き割りセット上ののであることを我々に記憶させた。台詞は韻を踏んでいてリズミカルに歌われている。クレール画面内外様々な音の間でからかうような混乱引き起こしたまた、彼は本来非同期なはずの音を同期させるという実験行っている(画面出てこないフットボールラグビー歓声画面上の登場人物動き同期させるシーンがある)。 類似の技法は喜劇映画一般的テクニック1つとなったが、それは特殊効果または「色」としてであってクレール達成したような包括的かつ非自然主義的デザイン基盤としてではない。喜劇以外の分野では、Melodie der Welt や『ル・ミリオン』で例示されるような音の遊び商業映画にはほとんど見られない。特にハリウッドでは音響それぞれのジャンル毎の映画製作システムにしっかり組み込まれており、ストーリーテリングという伝統的目的にそって映画製作されている。このような状況1928年予見していたのが映画芸術科学アカデミーFrank Woods である。彼は「将来トーキー無声映画によって発展してきた従来からの手法に沿って製作されるだろう……会話シーン別の取り扱いが必要となる可能性があるが、映画製作大筋無声映画同じになるだろう」としていた。 一般的には、1シーン1カット台詞の間にカット割らない人物をとらえる)長廻しの手法が多くとられるようになった

※この「映画的技法」の解説は、「トーキー」の解説の一部です。
「映画的技法」を含む「トーキー」の記事については、「トーキー」の概要を参照ください。

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