ゴーモン社の製作責任者に
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「アリス・ギイ」の記事における「ゴーモン社の製作責任者に」の解説
1901年発行のゴーモン社カタログに従えば、同社は1897年4月に本格的に映画製作を始めたが、それによりアリスはゴーモンから事実上の製作部門の責任者に任命され、1907年に退任するまでに映画監督またはプロデューサーとして活動した。在任中に監督または製作した作品は数百本から1000本を超えるともいわれている。アリスは同時代の多くの映画製作者が手がけていたジャンルであるトリック映画、旅行映画、ダンス映画だけでなく、メロドラマ、おとぎ話、コメディ映画、ファンタジー映画、ホラー映画など、さまざまなジャンルの作品に取り組んだ。 アリスの初期の作品は、リュミエールやジョルジュ・メリエスなどの同時代の映画製作者と主題と映像が共通している。カタログに記載された最初の作品『急流の釣り人』(1897年)は、リュミエールの『水をかけられた散水夫』(1895年)の影響を受けており、釣り人が近くで水遊びをする人に川へ突き落されるというコミカルな内容である。『手品の舞台』(1898年)の人体消失や変身、『世紀末の外科』(1900年)の人体切断などの魔術的な内容のトリック映画は、当時人気を博したメリエスの作品に基づいている。また、アリスはフィルムの逆回転、オーバーラップ、スローモーション、同じ画面上に別々に撮った画面を重ね合わせるマスキング(英語版)と二重露光など、当時ではまだ革新的だった特殊効果を使用した。『最初のタバコ』(1904年)では、当時の画期的な映画的技法だったクローズアップを使用して劇的効果を高めている。アリスの作品の多くは、女性従業員たちによる手作業で彩色(映画の着色化)された。 1902年、ゴーモン社は初期のトーキーの試みのひとつであるクロノフォン(フランス語版)というサウンドシステムを開発した。これは蓄音機に録音した音と映像を同期するというもので、アリスは同年から1907年にかけてこのシステムを使用したフォノシーン(フランス語版)(フォノセーヌとも、音の入った場面という意味)と呼ばれる短編サウンド映画を100本以上撮影した。アリスのフォノシーンの多くは、有名なオペラ歌手が出演した『カルメン』『ヴィラールの竜騎兵(フランス語版)』などの演目や、フェリックス・マイヨール(フランス語版)、ドラネム(フランス語版)などのミュージック・ホールの人気歌手の歌を収録した作品である。1905年にはアリスがフォノシーンを演出している様子を撮影した、最初期のメイキング映像『フォノセーヌ実験をするアリス・ギイ(フランス語版)』が作られている。 アリスの初期の作品は、当時の主流だった1、2分から数分程度の短編映画が多かったが、1905年頃からはより長尺の物語映画や野心的な作品も手がけた。その有名な作品の1本は、ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』が原作で、フィルムの長さが290メートルに及ぶ『エスメラルダ』(1905年)である。1906年には大規模な予算を投じた野心的な大作映画『キリストの生涯』を監督した。この作品はジェームズ・ティソが描いた聖書のイラストを基に、25個のシーンでイエス・キリストの生涯を描いており、出演者は300人、使用したセットは25杯、フィルムの全長は600メートル(上映時間は30分強)に及んだ。 アリスは女性ならではの視点による作品もいくつか撮影しており、これらにはアリス独自の女性の見方が反映されている。『フェミニズムの結果』(1906年)では男性と女性の役割が逆転した世界(男性は化粧や家事、子供の世話などをしている一方で、女性はタバコを吸ったり、カフェに集って談笑したりしている)を描いており、映画評論家のエリザベス・ワイツマンはダブルスタンダードの皮肉な考察により「非常に現代的」な作品と評している。『マダムの欲望』(1906年)では妊娠中の女性の食欲の渇望をユーモラスに描いている。映画史家のシェリー・スタンプによると、アリスはジェンダー規範や性差別に強い関心を持ち、アクティブで冒険的な女性を描くことを好んだという。また、キャロル・A・ヘブロンは、『キリストの生涯』で十字架にかけられるキリストの周りに大勢の女性を登場させていることを指摘し、それが男性のキリストの弟子たちの不在と忠実さの欠如とは対照的な、女性たちのキリストへの忠実さを表し、それによりアリスが女性とキリストの関係を特権的なものにしていると主張している。 ゴーモン社でのキャリア後期には、数人の助手を雇っており、その多くは初期のフランス映画を代表する人物となった。アリスのアシスタントを務めた主な人物には、『キリストの生涯』で助監督を務めたヴィクトラン・ジャッセ(フランス語版)、アリスが脚本家や監督として育成したルイ・フイヤード、後に映画監督となるエティエンヌ・アルノー(フランス語版)、美術監督のアンリ・ムネシエ(フランス語版)がいる。1904年にはパテ社の製作責任者だったフェルディナン・ゼッカ(フランス語版)を雇い、2週間だけ自身の助手として働かせた。しかし、アリスが30代になろうとする頃には、女性であるが故の偏見にさらされ始め、男性優位の映画業界の中でアリスの地位は脅かされた。アリスに敵意を持つ社員たちからさまざまな嫌がらせを受けることもあり、自伝ではアリスのことを疎ましく思うゴーモン社技術部門責任者のルネ・デコーに『キリストの生涯』の撮影を妨害されたことを明かしている。
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