ゴーモン・ブリティッシュ
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ゴーモン・ブリティッシュ映画社 (Gaumont-British Picture Corporation) は、かつてフランスの映画会社ゴーモンの傘下にあったイギリスの映画会社。1922年にイシドア・オストラー (Isidore Ostrer) が経営権を獲得し、ゴーモン傘下から独立した。1927年、無声映画時代のイギリスを代表する映画スタジオのひとつであったアイデアル映画を吸収合併した。
- ^ a b “gaumont-british.co.uk”. Nigel Ostrer. 2012年4月16日閲覧。
- ^ “Console Cases and Illuminated Surrounds”. The Compton List. 2008年12月6日閲覧。
- 1 ゴーモン・ブリティッシュとは
- 2 ゴーモン・ブリティッシュの概要
ゴーモン・ブリティッシュ
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「アルフレッド・ヒッチコック」の記事における「ゴーモン・ブリティッシュ」の解説
『リッチ・アンド・ストレンジ』『第十七番』の立て続けの失敗で不調となっていたヒッチコックは、BIPを去ったあとの1933年にロンドン・フィルム(英語版)のアレクサンダー・コルダと短期契約を結び、『ジャングルの上を飛ぶ翼』の監督を予定したが、資金を調達することができず、契約ごと解消となった。その次に独立系プロデューサーのトム・アーノルド(英語版)と契約を結び、ヨハン・シュトラウス2世が主人公の音楽映画『ウィンナー・ワルツ(英語版)』を撮影したが、この企画ははじめから絶望的で、ヒッチコックは撮影中に創作意欲がわかなくなった。後年にヒッチコックは「とてもわたしの作品だなんておおっぴらに言えた代物じゃない」と述べ、この時期を「最低の時代」と呼んだ。作品は1934年2月に公開されると、完全な失敗作と見なされた。 この作品の撮影中、マイケル・バルコンがヒッチコックのもとを訪れ、ヒッチコックがBIP時代にチャールズ・ベネットと共同執筆した脚本を映画化する提案をした。ヒッチコックはこれを再起のチャンスと考え、1934年にバルコンが製作担当重役を務めていたゴーモン・ブリティッシュと5本の映画を作る契約を結び、ロンドン西部のシェパーズ・ブッシュにあるライム・グローブ・スタジオに移った。映画化を決めた脚本は、同社第1作として『暗殺者の家』の題名で監督することになり、同年4月から5月にかけてベネットらとシナリオを作成し、5月から8月の間に撮影した。この作品でヒッチコックは自身が得意とするサスペンスのジャンルへ復帰し、サスペンスとユーモアの組み合わせという以後のヒッチコック作品の基本となるスタイルで、ある夫婦が大使を暗殺する計画に巻き込まれる物語を描いた。12月に公開されると大ヒットし、批評家からも賞賛され、『デイリー・エクスプレス』誌は「ヒッチコックは再びイギリスの監督の中でナンバーワンの座に躍り出た」と書いている。 この作品で名声を取り戻したヒッチコックは、作品の成功のおかげで自由に主題を選ぶことができるようになり、そこで自身が好きな作家だったジョン・バカンのスパイ小説『三十九階段』に基づく『三十九夜』を企画した。ヒッチコックはベネットらと原作に自由に改変して脚本を作り、1935年初めに撮影した。この作品も殺人に巻き込まれた男(ロバート・ドーナット)が、スパイや警察に追われながら自分の無実を証明するという物語を、前作と同様にユーモアとサスペンスを組み合わせながら速いテンポで描いた。同年6月にイギリスで公開されると前作同様に高い成功を収め、アメリカでもヒッチコック作品で過去最高のヒット作となった。 その次にヒッチコックは、サマセット・モームの短編小説集『アシェンデン』とそのいくつかのエピソードをもとにした戯曲が下敷きのスパイ映画『間諜最後の日』(1936年5月公開)を監督した。この作品は第一次世界大戦中にドイツのスパイを殺害する任務を受けたイギリスのスパイスパイ(ジョン・ギールグッド)を主人公にした物語であるが、前2作のような成功を収めることはできなかった。同作完成後の1936年1月、ヒッチコックはベネットらとスイスでジョゼフ・コンラッドの小説『密偵(英語版)』が原作の『サボタージュ』の脚本を執筆し、同年春に製作を開始した。これは妻(シルヴィア・シドニー)に内緒で破壊活動をするアナーキスト(オスカー・ホモルカ)を描いた作品で、同年に公開されると『バラエティ』誌に「監督の巧みで熟練した技が、職人的な手法で作られた巧妙なこの作品のあちこちで光っている」と評された。
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