ゴーモン・ブリティッシュ映画社
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「ライム・グローブ・スタジオ」の記事における「ゴーモン・ブリティッシュ映画社」の解説
1922年、イシドア・オストラー (Isidore Ostrer) が、その兄弟マーク (Mark) とモーリス (Maurice) とともにゴーモン・ブリティッシュの経営権を親会社であるフランス法人から獲得した。1932年、ライム・グローブ・スタジオの大規模な改修が完成し、当時としては最高水準の設備を備えたスタジオ施設が誕生した。新装なったスタジオで最初に制作された映画はウォルター・フォード (Walter Forde) 監督のサスペンス映画『南欧横断列車510 (Rome Express)』で、この映画はイギリスの発声映画(トーキー)としては初めて、アメリカ合衆国において批評においても高く評価され、商業的にも成功した作品となった。米国ではユニバーサル・ピクチャーズが、この作品を配給した。 ライム・グローブ・スタジオは、ゴーモン・ブリティッシュの下で繁栄し、同社や、姉妹会社であったゲインズボロ映画の作品多数がこのスタジオで制作されたが、1941年にランク・オーガニゼーション (Rank Organisation) に会社ごと買収され、「イーリング・コメディ (Ealing Comedies)」と称されたイーリング・スタジオを中心に制作された多数のコメディ映画の撮影にもしばしば使用されるようになった。1945年の映画『妖婦 (The Wicked Lady)』も、この時期にライム・グローブ・スタジオで撮影された作品である。
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