映画監督としての出発
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「モンチョ・アルメンダリス」の記事における「映画監督としての出発」の解説
結局アルメンダリスは映画監督としての道を歩み始め、教職の道を去った。バスクの映画製作者の新組織であるエウスカル・シネギリェ・エルカルテアに参加し、『Barregwrien Dantza』(1979年)、『Ikusmena』(1980年)などの短編ドキュメンタリーを製作した。 『Ikusmena』は学校の絵画コンテストで受賞した10歳の少女を主人公に据え、彼女の芸術的創造性が検閲や社会的圧力でどのように抑制されていったかを、フラッシュバックを多用することで明らかにする物語である。短編映画だったために成功は限られた範囲だったものの、この作品は映画祭で成功をおさめた。 より社会に関連するドキュメンタリーのジャンルの方に向きを変え、1981年には『La ribera de Navarra』(ナバーラの河岸)のシリーズの11話を製作した。同年に監督した『Nafarrako Ikazkinack』(ナバーラの木炭労働者)は、炭焼き職人の厳しい生活の肖像である。この作品の製作過程でタシオ・オチョアに会い、オチョアはその後のアルメンダリスの初長編作品にインスピレーションを与えた。
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