映画界復帰とは? わかりやすく解説

映画界復帰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:53 UTC 版)

近衛十四郎」の記事における「映画界復帰」の解説

戦後新東宝からカムバック。『江戸群盗伝』『修羅』などに主演1953年新東宝系列芸能事務所「綜芸プロ」に所属したが、新東宝では端役同様の扱いからの出直し余儀なくされていた。そんな中松竹では、大映との契約が切れ、松竹時代劇支えていた阪東妻三郎死去した時代劇チーフ監督大曾根辰夫近衛気に入りスカウトする。1954年には正式に松竹移籍時代劇悪役筆頭主役同等の立ち役を務め阪妻亡き後松竹時代劇屋台骨高田浩吉支えることとなった1957年の『まだら頭巾剣を抜けば 乱れ白菊』で本格的に主演務め近衛主演スターとして売り出そうとなった矢先1959年松竹時代劇映画制作からの撤退発表した邦画会社観客動員No.1となっていた東映は、社長大川博が「日本映画収入半分東映がいただく」と豪語。その一方でテレビの普及動員数減少傾向見せ始める。1959年、1社による「2系統2本立て配給」を目指し前年社内発足していた「東映テレビ映画」が「第二東映」と改称され発足役者不足を補うため、同じ松竹高田浩吉東宝鶴田浩二と共に東映引き抜かれ1960年東映移籍同時期に移籍した品川隆二黒川弥太郎とともに第二東映看板スターとして活躍する。しかし第二東映は「東映」の名を冠しながらも片岡千恵蔵市川右太衛門クラススター出演できないルールがあり、興業収入はおよそ本家には及ばなかった。そこで現代劇作品絞りニュー東映」と名称を変更するが、状況変わらず1961年劇場用映画から撤退近衛はじめ所属俳優東映本社所属となる。その後、その主演作白黒作品ばかりではあったが、ヒーローとしないニヒル浪人役など阪東妻三郎的ともいえる役柄を得意とし、人気俳優となっていく。同年長男弘樹東映主演デビューした。『柳生武芸帳シリーズ1961年 - 1963年)で主役柳生十兵衛演じる。剣戟スターとしては器用ではないが異様な迫力人気呼んだ。また速い捌き迫力ある殺陣魅せるため、通常より柄(つか)の長い刀を使用したのも近衛発案よるものであった長いブランクからの映画界復帰、移籍だったため、既に確固としたスターシステム確立していた東映では、"よそもん"、"外様"扱いされ、二線級スターに扱われた(大作映画では準主役敵役筆頭などの扱いで、主演ほとんどない)が、この事について、フリーライター永田哲朗は著書殺陣 チャンバラ映画史』(現代教養文庫)で「昭和三十年代から四十二、三年ごろまで、東映大映松竹など、どの社の殺陣師聞いても『一番アブラ乗っているのは近衛だろう』という答え返ってきたぐらいで、私は『剣豪スター番付』を作ると必ず近衛横綱置いた」「電光石火のスピード流れるような美しフォーム他の追随を許さないほどだ」と絶賛。「東映近衛ほどの逸材擁しながら、二線級監督作ばかりに起用し、これを生かすことができなかった」と、近衛処遇惜しんでいる。

※この「映画界復帰」の解説は、「近衛十四郎」の解説の一部です。
「映画界復帰」を含む「近衛十四郎」の記事については、「近衛十四郎」の概要を参照ください。

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