周囲からの評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 06:15 UTC 版)
女子代表監督の園田隆二に「野性児」と呼ばれるだけあって、それまでは直情型の攻撃スタイルに走りがちだったが、2009年の世界選手権を契機に、野性味あふれる攻撃のみならず自らをコントロールして冷静に対処する術も身に付け始めるようになった。 かつて東福岡柔道教室で谷亮子を指導していた帝京大学女子柔道部監督の稲田明をして、「松本は、野性味のあるオオカミ。獲物を狙うような目にほれた。そんな目をした子は初めて見た」と言わしめた。 その野性味あふれる顔つきや柔道スタイルから、一部のマスメディアによって「野獣」「野生児」、海外メディアからは「アサシン(暗殺者)」というニックネームを付けられている。本人はもののけ姫と呼んでほしいと主張した。 Ippon.TV の実況を務めるシェルドン・フランコ=ロックスが、試合会場で常に鋭い眼差しを向ける松本のことを、度々「アサシン」と形容していた。もともとは2010年の世界選手権で同じく実況を務めていたデイヴィッド・マックフォールがこのような表現を使い始めた。 上記のような野性味あふれるイメージとは違い、大学時代の同級生からは「普段はどちらかと言うと天然」と松本を評している。 ロンドンオリンピックにおける松本の活躍を見てロック歌手の矢沢永吉は、「何が何でも金を獲るというあの目つき。カッコよかったです」「アレには先方(相手選手)もびびったんじゃないの!」、歌手で俳優の泉谷しげるは、「『野獣』松本薫にはコーフンした!(笑) あの獲物を捕らえる『鋭い目つき』は久しぶり!」「今どきっ子って、けっしてギラギラしないだろーと勝手にキメつけてはイカンなぁ(笑)。若くて凄くてナリフリかまわずのチカラこそに美しさを感じるのは今もムカシもないのだな〜!」、プロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスの監督だった星野仙一は、「彼女はええ目つきをしとる。あれぐらいじゃなきゃ、世界で戦えん」「講演だけじゃ分からんから、ウチのやつらに稽古をつけてもらいたい。まったくかなわんやろうけどな。道着で締め上げてほしいよ」と、それぞれ感想を述べた。 2010年の世界選手権52kg級で優勝した了徳寺学園職員の西田優香によれば、松本はケーキづくりが上手など女の子らしいところも一杯あるという。また、イベントや旅行を正確な段取りで全て取り仕切り、周囲への配慮にも余念がない。「松本にあるのは野生というより才能。緻密で努力家。なるべくしてなったチャンピオン」だと評している。 大学の4年後輩で同じベネシード所属の池田彩華は、2011年4月以来約8年にわたって松本のトレーニングパートナーを務め続けて松本を支えてきた。松本の引退と同時に自身も選手を引退すると、会社が立ち上げたアイスクリーム店に松本とともに携わることが決まった。
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周囲からの評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 21:37 UTC 版)
1936年ベルリンオリンピックの陸上競技で金メダルを獲得した田島直人は著書『根性の記録』の中で戦後日本の陸上選手に苦言を呈したが、安田に関しては「冷静沈着な試合態度は西田、大江のそれに劣らぬものがあった」と褒めている。第1回ユニバーシアードで監督を務めた釜本文男も「試合場での冷静かつ緻密な計算は今の選手には見られない」と賛辞を送り、日本インカレを観戦した河野一郎は「安田の試合態度を現代の選手たちは見習うべきだ」と述べ、安田のライバルであった山崎国昭も同じく「見習うべき」と言っている。 以上のように関係者からは冷静沈着な選手と思われていたが、本人は内向的であがり症だと語っている。実際に高2で初出場したインターハイでは、極度の緊張でポールをボックスでなく、その先の砂場に突き刺すことを3回繰り返し、宙ぶらりんになった姿を観衆に笑われるという恥をかいている。また初の国際大会であるパリの世界大学競技大会では、緊張のあまり事前に済ませたはずなのに尿意を催しトイレの位置を尋ねたが、係員は英語もドイツ語も解さなかったため聞き出せず、モジモジしていたらようやく伝わったものの、笑われて恥ずかしい思いをしている。 教育大で同期だった大西暁志(走高跳専門)は大学時代の安田について、身長はそれほど高くないが胸板が厚く脚が長く、運動神経が抜群であったと評している。安田は棒高跳専門であったものの、「遊び」で跳んだ走高跳で大西の記録を超してしまった。当時主流になり始めていたベリーロールの習得も安田の方が大西より早く、大西を悔しがらせた。妻の景子も教育大出身で学生時代の安田をよく知っており、「徹底した練習で生傷が絶えなかった」と語っている。 静岡県湖西市では長年、安田の名を冠した「西田修平・安田矩明記念室内棒高跳湖西大会」を開催し、日本のトップレベルの選手を招待する大規模な室内棒高跳大会になっていた。しかしこの大会運営で中心をなしていた人物(湖西市議)が逮捕されたため2018年(平成30年)大会を中止し、2019年(平成31年)からは西田・安田の名を下ろし「西部室内棒高跳記録会湖西大会」として規模を縮小、地元の選手育成に軸足を移した。
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