北朝鮮による奇襲攻撃とは? わかりやすく解説

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北朝鮮による奇襲攻撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:53 UTC 版)

ダグラス・マッカーサー」の記事における「北朝鮮による奇襲攻撃」の解説

第二次世界大戦後南北韓国北朝鮮)に分割独立した朝鮮半島において、1950年6月25日に、ソ連ヨシフ・スターリン許可受けた金日成率い朝鮮人民軍北朝鮮軍)が韓国侵攻開始し朝鮮戦争勃発した当時マッカーサーは、アメリカ中央情報局CIA)やマッカーサー麾下諜報機関(Z機関)から、北朝鮮南進準備報告再三なされていたにもかかわらず、「朝鮮半島では軍事行動発生しない」と信じ、真剣に検討しようとはしていなかった。北朝鮮軍侵攻してきた6月25日マッカーサーにその報告なされたが、マッカーサーは全く慌てることもなく「これはおそらく威力偵察にすぎないだろう。ワシントンが邪魔さえしなければ、私は片腕後ろ手しばった状態でもこれを処理してみせる」と来日していたジョン・フォスター・ダレス国務長官顧問らに語っている。事態飲み込めないマッカーサーは翌6月26日韓国駐在大使ジョン・ジョセフ・ムチオアメリカ人婦女子子供韓国からの即時撤収命じたことに対し、「撤収時期尚早朝鮮パニック起こすいわれはない」と苦言呈している。ダレス国務省面々には韓国軍潰走情報続々入ってきており、あまりにマッカーサーGHQ呑気さに懸念抱いたダレスは、マッカーサー韓国軍惨状報告すると、ようやくマッカーサー事態飲み込めたのか、詳しく調べてみると回答している。ダレス同行していた国務省ジョン・ムーア・アリソンはそんなマッカーサーらのこの時の状況を「国務省の代表がアメリカ軍最高司令官にその裏庭で何が起きているかを教え羽目になろうとは、アメリカ史上世にも稀なことだったろう」と呆れて回想している。 6月27日ダレスらはアメリカ帰国するため羽田空港向かったが、そこにわずか2日前に北朝鮮威力偵察片腕処理する自信満々語っていたときと変わり果てたマッカーサーがやってきた。マッカーサー酷く気落ちした様子で「朝鮮全土失われた。われわれが唯一できるのは、人々安全に出国させることだ」と語ったが、ダレスアリソンはその風貌の変化驚き「わたしはこの朝のマッカーサー将軍ほど落魄孤影悄然とした男を見たとがない」と後にアリソン回想している。 6月28日ソウル北朝鮮軍占領された。わずかの期間で韓国首都占領されてしまったことに驚き、事の深刻さ再認識したマッカーサーは、6月29日東京羽田空港より専用機の「バターン号」で水原飛んだが、この時点韓国軍死傷率は50%上る報告されていた。マッカーサーソウル南方32kmに着陸し漢江をこえて炎上するソウル眺めたが、その近くを何千という負傷した韓国軍兵士敗走していた。マッカーサー漢江北朝鮮軍支えきれると気休め言ったが、アメリカ軍存在しなければ韓国崩壊することはあきらかだった。マッカーサー日本に戻るとトルーマンに、地上軍本格投入第一段階として連隊規模アメリカ地上部隊現地派遣したいと申し出をし、トルーマン即時許可した。この時点トルーマンマッカーサー第8軍の他に、投入可能な兵力使用許可することを決めており、マッカーサーもまずは日本から2個師団投入する計画であった7月7日国際連合安全保障理事会決議84 により、北朝鮮対抗するため、アメリカ統一指揮執る国連軍編成決議され7月8日に、マッカーサー国連軍司令官任命された。国連軍United Nations CommandUNC)には、イギリス軍オーストラリア軍中心としたイギリス連邦軍や、ベルギー軍など16ヶ国の軍が参加している。 しかし、第二次世界大戦終結後大幅に軍事費削減していたアメリカ軍戦力の低下著しかった。ひどい資金不足砲兵部隊弾薬不足で満足な訓練もしておらず、フォート・ルイス基地などでは、トイレットペーパー1回用便につき2枚までと命じられるほどであった。しかし、この惨状でもマッカーサーら軍の首脳は、第二次世界大戦での記憶から、アメリカ軍過大評価しており、アメリカ軍介入すれば兵力圧倒的に勝る北朝鮮軍侵略終わらせるのにさほど手間は取るまいと夢想していた。熊本県より釜山空輸された、アメリカ軍先遣部隊ブラッド・スミス中佐率いスミス特殊任務部隊通称スミス支隊)が7月4日北朝鮮軍初め戦闘した。T-34戦車多数投入してきた北朝鮮軍に対してスミス支隊60mm( 2.36inch)バズーカ対抗したものの役に立たずスミス支隊壊滅した。(烏山の戦いその後到着した24歩兵師団本隊苦戦続きついには師団長ウィリアム・F・ディーン少将北朝鮮軍捕虜となってしまった。 第8軍司令官ウォルトン・ウォーカー中将マッカーサー信頼されておらず冷遇されており、優秀な士官日本派遣されると、第8軍からマッカーサー自分参謀掠め取ったので、第8軍には優秀な士官少なかった朝鮮戦争開戦時第8軍の9名の連隊長国防長官ジョージ・マーシャル評価したところ、朝鮮半島厳しい環境で、体力的に能力的にも十分な指揮が執れる優秀な連隊長評価されたのはたった1名で、他は55歳以下47歳までの高齢指揮能力疑問符がつく連隊長占められていた。壊滅した第24師団は、士官の他、兵、装備に至るまで国の残り物受け入れている最弱で最低の師団見られていた。師団士官のひとりは「兵員定数割れし、装備劣悪訓練不足したあんな部隊第24師団)が投入されたのは残念であり、犯罪に近い」とまで後に述懐している。 マッカーサーは、第24師団惨敗続けていた7月上旬に、統合参謀本部11大隊増援要求したが、兵力不足であったアメリカ軍兵力不足を補うために兵士確保強引な手段行った。まずは日本犯罪犯してアメリカ重営倉護送される予定兵士らに「朝鮮戦えば、犯罪記録帳消しにする」という選択肢与えられた。またアメリカ国内では、第二次世界大戦終わり普通の生活戻っていた海兵隊員を、かつての契約に基づき召集している。召集され海兵隊員予備役志願しておらず、自分らは一般市民考えていたので再召集可能と知って愕然とした強引に招集した兵士を6週間訓練して朝鮮に送るという計画であったが、時間がないため、朝鮮到着した10日訓練するという話になり、それがさらに3日短縮され結局は訓練をほとんど受けず前線送られた。国連軍押されている間に、アメリカ軍工兵部長ガソリン・デイヴィットソン准将が、釜山中心とする朝鮮半島東南端の半円形防御陣地構築した釜山橋頭堡)。ウォーカーはその防衛線まで国連軍撤退させるマッカーサー報告すると、翌朝マッカーサー日本から視察訪れウォーカーに対して「君が望むだけ偵察できるし、塹壕掘りたいと望めば工兵動員することができる。しかしこの地点から退却する命令を下すのは私である。この命令にはダンケルク要素はない。釜山への後退認められない」と釜山橋頭堡死守命じたウォーカーはそのマッカーサー命令受けて部下将兵らに「ダンケルクバターンもない(中略)我々は最後の一兵まで戦わねばならない捕虜になることは死よりも罪が重い。我々はチームとして一丸となって敵に当たろうではないか一人死ねば全員運命をともにしよう。陣地を敵に渡す者は他の数千人の戦友死にたいして責任をとらねばならぬ師団全員徹底させよ。我々はこの線を死守するのだ。我々は勝利を収めるのだ」といういわゆるStand or Die」(陣地固守か死か)命令発している。

※この「北朝鮮による奇襲攻撃」の解説は、「ダグラス・マッカーサー」の解説の一部です。
「北朝鮮による奇襲攻撃」を含む「ダグラス・マッカーサー」の記事については、「ダグラス・マッカーサー」の概要を参照ください。

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