国際連合安全保障理事会決議84とは? わかりやすく解説

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国際連合安全保障理事会決議84

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/25 17:07 UTC 版)

国際連合安全保障理事会
決議84
日付: 1950年7月7日
形式: 安全保障理事会決議
会合: 476回
コード: S/1588
文書: 英語

投票: 賛成: 7 反対: 0 棄権: 3
主な内容: 大韓民国への侵略に対する非難
投票結果: 採択

安全保障理事会(1950年時点)
常任理事国
 中国
フランス
イギリス
アメリカ合衆国
ソビエト連邦
非常任理事国
 キューバ
エクアドル
エジプト
インド
 ノルウェー
ユーゴスラビア

1950年の北朝鮮の攻勢

国際連合安全保障理事会決議84(こくさいれんごうあんぜんほしょうりじかいけつぎ84)は、1950年7月7日国際連合安全保障理事会で採択された決議

北朝鮮軍による韓国への侵攻が平和の破壊を構成すると判断した安保理は、国際連合加盟国に対し、北朝鮮の攻撃を撃退し、この地域の平和と安全を回復するために必要な援助を韓国に提供するように勧告した。さらに、安保理は、韓国に軍事力その他の援助を提供している全て加盟国が、これらの軍事力と援助をアメリカ合衆国の下にある統一司令部に提供するよう勧告した。そして、安保理はアメリカに対し、その軍の司令官を指定するよう要請し、同司令官が北朝鮮軍に対する作戦の過程で自らの裁量で国際連合の旗を使用することを許可した。最後に、安保理はアメリカに対し、統一司令部がとった行動について適宜報告するよう要請した。

この決議は、賛成7、反対0、棄権3で採択された。賛成したのはイギリス中華民国キューバエクアドルフランスノルウェー、アメリカ、棄権したのはエジプトインドユーゴスラビアである[1]ソビエト連邦は1950年1月以降、中国の国連における代表権が中華人民共和国ではなく中華民国に割り当てられていることに抗議して国連の全ての会合をボイコットしていたため、この安保理の会合にも出席しておらず、ソ連の拒否権は行使されなかった[2]

脚注

  1. ^ “Strength on Double Seven”. Time Magazine. (1950年7月17日). http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,934971,00.html 2008年11月16日閲覧。 
  2. ^ Malkasian, Carter (2001). The Korean War: Essential Histories. Osprey Publishing. pp. 16 

関連項目

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