国連軍の苦戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:39 UTC 版)
7月7日に国連安保理は北朝鮮弾劾・武力制裁決議に基づき韓国を防衛するため、加盟国にその軍事力と支援を統一部隊に提供するよう求め、アメリカにその司令官の任命を要請する国際連合安全保障理事会決議84を賛成7:反対0:棄権3で可決した(中立的なユーゴスラビアとインドとエジプトの3カ国は棄権した)。これを受け、マッカーサーを司令官とするアメリカ軍25万人を中心として、日本占領のために西日本に駐留していたイギリスやオーストラリア、ニュージーランドなどのイギリス連邦占領軍を含むイギリス連邦諸国、さらにタイ王国やコロンビア、ベルギーなども加わった国連軍を結成し、7月30日に国連安保理も国際連合安全保障理事会決議85を賛成9:反対0:棄権1で可決して国連軍の司令部を承認した。なお、この国連軍に常任理事国のソ連と中華民国は含まれていない(詳しい参戦国は後述)。 なお、朝鮮戦争において国連は、国連軍司令部の設置や国連旗の使用を許可している。しかし、国連憲章第7章に規定された手順とは異なる派兵のため、厳密には「国連軍」ではなく、「多国籍軍」の一つとなっていた。 準備不足で人員、装備に劣る国連軍は各地で敗北を続け、アメリカ軍が大田の戦いで大敗を喫すると、国連軍は最後の砦、洛東江戦線にまで追い詰められた。また、この時韓国軍は保導連盟員や共産党関係者の政治犯などを20万人以上殺害したと言われている(保導連盟事件)。 また、北朝鮮軍と左翼勢力は、忠清北道や全羅北道金堤で大韓青年団員、区長、警察官、地主やその家族などの民間人数十万人を「右翼活動の経歴がある」などとして虐殺した。また、北朝鮮軍によりアメリカ兵捕虜が虐殺される「303高地の虐殺」が起きた。 この頃、北朝鮮軍は、不足し始めた兵力を現地から徴集した兵で補い人民義勇軍を組織化し(離散家族発生の一因となった)、再三に渡り大攻勢を繰り広げる。釜山陥落も危惧される情勢となり、韓国政府は日本の山口県に6万人規模の人員を収用できる亡命政府を建設しようとし、日本側に準備要請を行っている。金日成は「解放記念日」の8月15日までに国連軍を朝鮮半島から放逐し統一するつもりであったが、国連軍は「韓国にダンケルクはない」と釜山橋頭堡の戦いで撤退を拒否して徹底抗戦をして、釜山の周辺においてようやく北朝鮮軍の進撃を止めた。中朝軍の進撃が停滞した最大の理由として戦線がプサンにまで南下したことで補給路が伸びきったこと、それによって日本を基地とする米空軍(Far East Air Force)の航続距離内に入り、これの攻撃を受けるようになったこと、中朝軍が消耗する一方で米、国連軍の援軍が続々と到着し、ようやく数の劣勢が是正されたことがあげられる。8月には部隊の増加に伴ってアメリカ陸軍第1、第9、第10(後述)の3個軍団が編成され、第1軍団と第9軍団は第8軍の指揮下とされた。
※この「国連軍の苦戦」の解説は、「朝鮮戦争」の解説の一部です。
「国連軍の苦戦」を含む「朝鮮戦争」の記事については、「朝鮮戦争」の概要を参照ください。
- 国連軍の苦戦のページへのリンク