国連軍の北進と中朝軍の攻勢とは? わかりやすく解説

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国連軍の北進と中朝軍の攻勢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:39 UTC 版)

朝鮮戦争」の記事における「国連軍の北進と中朝軍の攻勢」の解説

MiG-15導入による一時的な制空権奪還勢いづいた中朝軍は12月5日平壌奪回1951年1月4日にはソウル再度奪回した1月6日韓国軍民兵北朝鮮協力したなどとして江華島住民虐殺した江華良民虐殺事件)。韓国軍国連軍戦線はもはや潰滅し、2月までに忠清道まで退却したまた、この様激しく動く戦線追われ国民防衛軍事件などの横領事件によって食糧不足して9名の韓国兵が死亡した2月9日には韓国陸軍第11師団によって居昌良民虐殺事件引き起こされた。 37度線付近に後退した国連軍は、西からアメリカ第1軍団、アメリカ第9軍団アメリカ第10軍団韓国第3軍団韓国第1軍団第一線配置し後方アメリカ第1騎兵師団配置アメリカ第1海兵師団韓国第11師団太白山脈智異山付近ゲリラ討伐任じていた。 国連軍士気低下し中国軍前線から姿を消していた。12月23日、さらに第8軍司令ウォーカー前線視察中に交通事故死亡するという不運に見舞われた。マッカーサーウォーカー訃報聞くや、かつてよりこの状況挽回できる唯一の人物として考えていた統合参謀本部マシュー・リッジウェイ参謀長後任として推薦したトルーマン統合参謀本部評価マッカーサーより高く「リッジウェイが司令官だったら司令部遠く離れた別のにあって何が起きているか実際に知らず、まったく別の気楽な戦争やっているということはなかっただろう。」との評価で、アメリカ陸軍得た高の人物という評価であり、マッカーサー推薦承認しウォーカー後任命じた。 リッジウェイはすぐに東京向かいマッカーサー面談したが、マッカーサーは「マット第8軍君に任せる。一番よいと思うやり方でやってくれ」と部隊指揮前線のリッジウェイに任せることを伝えた。リッジウェイはウォーカー異なりアーモンド第10軍団指揮下に置くことができた。マッカーサーウォーカー事故死直前にあと4個師団増援がないと前線安定できないワシントン要求していたが、リッジウェイは現状朝鮮半島にいると予想される共産48名を現在の国連軍36名で十分処理できる考えていた。 リッジウェイは12月26日には朝鮮半島入りし、西部第1軍団第9軍団小部隊で偵察させたが、水原以南中国軍大部隊は存在せず小部隊に遭遇しただけであった。そこでリッジウェイ中将漢江以南地域威力偵察目的としたサンダーボルト作戦命じた1951年1月25日第25師団第1騎兵師団基幹とする部隊北上開始した中国軍抵抗微弱同日夕方水原-利川の線に進出した1月27日、リッジウェイ中将漢江南岸中国軍一掃するため、第一線部隊を5個師団増加させ、威力偵察から大規模な攻勢発展した北上するにつれて第50軍と第38軍の抵抗を受け、第8軍進撃遅々としたものになった第8軍は、10日間の激戦の末に中国軍撃退し2月10日には一部陣地残して漢江の線をほぼ回復した西部サンダーボルト作戦行っている頃に中東戦線国連軍偵察活動によって洪川付近に中国軍集結していることを掴んだ。その報告受けた第8軍は、サンダーボルト作戦成果東部にも拡張し洪川付近中国軍包囲してその後本格的な攻勢を行うためのラウンドアップ作戦発動させ、アメリカ第10軍団韓国第3軍団第1軍団洪川-大関嶺-江陵の線に進出するように命じた2月5日から北進開始し順調に進展していたが、横城付近強力な抵抗受けたため北進停滞した2月11日夜、中朝軍が横城正面に第404266軍の3個軍を集中して攻勢転じ、助攻として西方第39軍で砥平里の第23連隊包囲し東方では北朝鮮軍3個軍団平昌方向進撃した横城韓国軍3個師団撃退されたが、砥平里の第23連隊陣地死守した。 攻勢開始から1週間ほど経つと衝力は衰え始め2月18日には後退兆候見られるようになった国連軍中朝軍に立ち直り余裕与えず圧迫続け漢江-砥平里-横城-江陵進出して中朝軍の撃滅を図るキラー作戦発動した。2月21日国連軍全線わたって北進開始した豪雨中朝軍の抵抗を受けながらも3月初めに漢江南岸-砥平里-横城-江陵進出しキラー作戦の目標達成したが、中朝軍の撃滅はかなわなかった。 リッジウェイ中将キラー作戦成果を不十分と考え引き続き中朝軍を圧迫するためのリッパー作戦命じた3月7日アメリカ第9軍団第10軍団韓国第3軍団第1軍団北進開始した中朝軍の抵抗を受けながらも16日には洪川を、19日には春川奪回した一方西部では韓国第1師団15日漢江渡河ソウルを収復した4月9日、ラギット作戦開始されアメリカ第1軍団と第9軍団韓国第1軍団はカンザス・ライン(臨津江-全谷-華川-襄陽)を越えて進出し4月20日には次の目標線であるユタ・ライン(臨津江-金鶴山-広徳山-白雲山)を占領した中東部の第10軍団第3軍団険し地形補給悩まされながらもユタ・ラインに進出した各軍団は21日からワイオミング・ライン(漣川-鉄原-金化-華川)を目指し北上した4月22日夜、中朝軍の4月攻勢開始された。4時間に及ぶ攻撃準備射撃続き、全戦線わたって攻勢開始した中国軍11個軍をソウル攻略に向かわせた。国連軍空軍砲兵支援中朝軍に損害与えつつ逐次にノーネーム・ライン(ソウル北側-清平南側-洪川北側-襄陽北側)まで後退した新たに第8軍司令官として着任したヴァンフリート中将400門の火砲集め海軍空軍協力要請して中国軍火力撃滅した。第8軍中朝軍に休む暇を与えないため、直ち反撃命じ5月初めに4月攻勢失った土地半分回復した。ここでヴァンフリート中将は、再びカンザス・ラインに向かう攻勢計画した国連軍偵察部隊北進したが、5月10日頃になると激し抵抗を受けるようになり、中朝軍の攻勢予感したヴァンフリート中将全軍進撃停止させ、中朝軍の攻勢備えさせた。5月15日夜、中朝軍による5月攻勢開始された。西部に第19兵団東海岸沿いに北朝鮮第3軍団をもって牽制させ、中東戦線第3兵団と第9兵団北朝鮮軍3個軍団総計30師団であった。そして北朝鮮軍半島東部太白山脈沿いの韓国第3軍団攻撃矛先向けた韓国第3軍団ROK III Corp)が強力な防衛線を張る国連軍弱点見抜いていたのである攻撃受けた韓国軍は戦うことなく砲、重火器放棄しただけでなく敵の目につきやす輸送トラックあきらめ携帯武器捨てながら山岳地帯を南に逃走将校には捕虜になった際の用心として階級章もぎ取る者が続出した。去る11月鴨緑江再現である。17日韓国第3軍団崩壊し東部戦線崩壊危機瀕したヴァンフリート中将アメリカ第3師団韓国第1軍団反撃命じた第3師団第1軍団中朝軍の進出阻止し、やがて反撃転じた5月末に各軍団はカンザス・ラインを回復した。 カンザス・ラインを確保した第8軍は、同ライン防御陣地構築し、さらにこの陣地戦を完全なものにするために前方20キロ連なるワイオミング・ラインを占領して防御縦深を確保すべく、パイルドライバー作戦発動した。各軍団は北進続け6月11日には鉄原金化占領した東部では亥安盆地パンチボール南側まで進出したが、同地北朝鮮軍堅固な防御陣地築いていたため、それ以上進撃控えた7月29日国連軍東部戦線限定目標対す攻勢開始した。しかし6月中旬から防御固めていた中朝軍の陣地強固で、第10軍団正面蘆田坪、血の稜線、亥安盆地では激戦となり、数キロ前進するのに約3千人死傷者出した10月初旬国連軍は再び攻勢開始したアメリカ第1軍団は10キロ前進して漣川-鉄原兵站線安全にし、アメリカ第9軍団金城川南側高地韓国第1軍団は月比山、アメリカ第1軍団は断腸稜線、1211高地占領して陣地戦推進した

※この「国連軍の北進と中朝軍の攻勢」の解説は、「朝鮮戦争」の解説の一部です。
「国連軍の北進と中朝軍の攻勢」を含む「朝鮮戦争」の記事については、「朝鮮戦争」の概要を参照ください。

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