国連軍の攻勢とカタンガ国の消滅とは? わかりやすく解説

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国連軍の攻勢とカタンガ国の消滅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 07:04 UTC 版)

コンゴ動乱」の記事における「国連軍の攻勢とカタンガ国の消滅」の解説

1960年7月14日採択されコンゴ情勢に関する最初安保理決議の後、国連7月22日国連安保理決議145号を採択して143号の迅速な履行迫った8月9日採択した国連安保理決議146号ではカタンガ存在について初め言及して143号の履行迫ったが、同時にONUCいかなる紛争の解決にも介入してならないという項目も追加された。1961年には、ONUC2万人近く兵士編成されていた。彼らはカタンガ憲兵隊協力する外国人傭兵逮捕出来権限持っていた。1961年9月には武力行使せずにカタンガ傭兵部隊拘留するための試み「モーソー作戦」が展開されたが失敗し銃撃戦になったONUC主張するどちらの側にも偏らないという公平性9月中旬ジャドヴィルにおいて、ONUCアイルランド人部隊兵数に勝るカタンガ憲兵隊6日間に及ぶジャドヴィル包囲戦英語版)を繰り広げた末に敗北して捕らえられたことで損なわれた。カタンガ国連の活動とその支持者屈辱与え戦争捕虜としてアイルランド兵の拘留続けた1961年9月18日には、ハマーショルドONUCカタンガ憲兵隊との停戦協議するためにコンゴとの国境近くにある北ローデシア都市ンドラ飛んだ。しかし、彼の搭乗していた航空機ンドラ空港着陸しようとする手前で謎の墜落事故起こしてしまい、ハマーショルド含めて搭乗者全員死亡した(1961年国連チャーター機墜落事故)。事件の状況はまだ明らかになっていないが、最近になってカタンガ兵によって飛行機撃墜されたという証言や、イギリス撃墜関与していたことを示唆するいくつかの証拠浮上している。 コンゴに対して穏健な政策追求したハマーショルドとは対照的に彼の後任ウ・タントコンゴ紛争積極的に介入する、より急進的な政策支持したカタンガONUCが軍を撤退させることに同意した停戦協定一環として10月中旬捕虜としていたアイルランド兵を釈放した国連カタンガ政策対すアメリカジョン・F・ケネディ新政権全面的支持表明1961年11月にギゼンガ政府支配下にあったポールタンパンで発生したONUC参加したイタリア空軍パイロット13人が殺害されキンドゥ虐殺英語版)の後、コンゴ分離活動解決に向かわせようとする国際的な需要高まった。「共産主義者」と見なしていたルムンバ失脚アメリカ庇護の下で中央政府シリル・アドゥラ政権樹立され結果、「反共の砦」を自認するチョンベに対してアメリカ好意的に接す必要性薄れた。何千人もの民間人虐殺され国民軍による4ヶ月に及ぶ軍事作戦結果1961年12月30日カロンジ逮捕され南カサイ国消滅した1961年2月21日採択され国連安保理決議161号は悪化する人権状況対処して本格的な内戦の勃発防止するために、ONUC部隊武力行使を含むあらゆる措置講じることを認めたものであった同年11月24日米国ソ連一致して採択され国連安保理決議169号はカタンガ独立国家であるとの言い分を「完全に拒絶」して、「法と秩序回復維持においてコンゴ中央政府支援」するために、ONUC部隊あらゆる措置講じることを認めるという、より踏み込んだ内容になっているカタンガ挑発行為エスカレートさせ、ONUCはこれに対してカタンガ憲兵隊築いたバリケード解体し戦略上重要なエリザベートヴィル周辺地域奪取することを目的とした「ウノカト作戦」を開始した国際的な圧力直面したチョンベは1962年12月中央政府権威受け入れカタンガ国憲法放棄カタンガ地域分離独立要求放棄することに原則的に同意するキトナ協定署名した。しかし、宣言の後にカタンガ憲兵隊ONUC対す嫌がらせをし続けてチョンベとアドゥラの話し合い行き詰まり達したカタンガ国対す支援減少し最大支援国であったベルギーですら支援をためらうようになっていき、この国家の先がもう長くないことが予感された。 1962年12月24日には、ONUCカタンガ憲兵隊エリザベートヴィル近郊衝突し戦闘勃発した停戦交渉が行われたが失敗終わりONUCエリザベートヴィル占領した直後停戦合意成立したONUCインド人部隊命令に背く行動起こしてジャドヴィル占領しカタンガ国支持者再編成未然阻止したONUCカタンガ他の地域徐々に制圧し1963年1月21日にチョンベが最後拠点としていたコルヴェジ明け渡したことでカタンガ国事実上消滅した

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「国連軍の攻勢とカタンガ国の消滅」を含む「コンゴ動乱」の記事については、「コンゴ動乱」の概要を参照ください。

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