国連軍の展開
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首相ルムンバからの要請に応じた国連安全保障理事会は7月14日に、ベルギー軍がコンゴ、主にカタンガから撤退するように要求する国連安保理決議第143号を採択した。ルムンバはもし2日以内にベルギー軍が撤退しない場合にはソ連にサポートを求めると述べて圧力を掛けた。国連は迅速に対応してONUCが編成された。最初のONUCは翌15日に到着したが、その任務についてルムンバと国連の間に意見の相違があった。コンゴ軍の秩序が崩壊していたので、ルムンバは武力でカタンガを征服するためにONUCの力を利用したいと考えていた。決議第143号の文章を参照したルムンバはハマーショルドに「あなたの個人的な解釈に反して、これらの文章からカタンガの反乱政府を征服するために国連軍を用いることが出来るのは明らかである」と訴える手紙を送った。ハマーショルドは分離主義活動を国内の政治問題と位置付けていたし、国連憲章の第2章では武力介入は禁止されていた。 国連は7月22日に国連安保理決議第145号を採択してコンゴが「単一国家」であるべきと断言し、ベルギー軍がコンゴから撤退するようにより強く迫った。8月9日に採択した国連安保理決議第146号でカタンガの存在について初めて言及し、内部紛争の結果に影響を与えるものにならないと再確認する一方で、ONUCのカタンガ駐留を認めた。 9月14日にジョゼフ=デジレ・モブツが起こした無血クーデターでパトリス・ルムンバは失脚した。その後に逮捕されたルムンバはモブツによってカタンガ国家が首都を置くエリザベートヴィルに送り込まれ、1961年1月17日にチョンベらカタンガ政府閣僚3人の目の前でカタンガ憲兵隊の手で処刑された。 ルムンバの死から1ヶ月後、1961年2月21日に採択された国連安保理決議第161号は悪化する人権状況に対処して本格的な内戦の勃発を防止するために、ONUCの部隊に武力行使を含むあらゆる措置を講じる可能性を認めたものであった。同年11月24日に米国とソ連の一致で採択された国連安保理決議第169号ではカタンガが独立国家であるとの言い分を「完全に拒絶」して、「法と秩序の回復と維持においてコンゴ中央政府を支援」するために、ONUCの部隊にあらゆる措置を講じることを認めた。
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