初舞台 から「花の海老さま」として
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「市川團十郎 (11代目)」の記事における「初舞台 から「花の海老さま」として」の解説
1915年(大正4年)1月、帝国劇場『山姥』の怪童丸にて、6歳で松本金太郎を名乗り初舞台を踏む。暁星学園初等部に入学。1916年(大正5年)3月、8歳の時に、母・寿枝が29歳の若さで急逝。翌年、父・幸四郎は後妻を娶るが、その後妻も1年足らずで病死した。 1921年(大正10年)、錦城中学校へ入学したが、芸道優先のため中学2年時に中途退学。 1925年(大正14年)、四代目坂東玉三郎(後の十四代目守田勘彌)らと共に『つぼみ座』という研究劇団を旗揚げ。数回公演を行う。 1929年(昭和4年)4月、帝国劇場『源氏烏帽子折』の牛若丸にて、九代目市川高麗蔵を襲名。翌5月、肺結核に罹り、以後鎌倉にて4年間の療養生活を送る。その間に次弟は五代目市川染五郎を襲名、三弟は六代目尾上菊五郎門下に入門。1933年に父が演じる「助六」の口上役で舞台復帰するも演劇評論家の辰野隆に朝日新聞紙上で「大根の徽(しるし)が見えた」などと酷評される。発語の訓練にフランス語がよいとの辰野の勧めで今日出海からフランス語を習う。1935年10月20日に市川三升夫妻を媒酌人に料亭「開花楼」の娘・清水孝子(店主・坂本彦平の姪)と結婚するも4か月で離婚。同年、三弟が二世尾上松緑を襲名。1936年(昭和11年)から東宝劇団に参加。 1939年(昭和14年)、30歳の時に東宝劇団を離れ、松竹へ復帰。父の師匠である九代目市川團十郎の娘婿、市川宗家の市川三升(十代目市川團十郎)に望まれ、翌1940年(昭和15年)4月に市川宗家(堀越家)へ正式に養子に入った。5月、歌舞伎十八番の内『ういらう』の外郎売り実は曽我五郎にて、九代目市川海老蔵を襲名。この頃から「花の橘屋」と評された十五代目市村羽左衛門に似た美貌で将来を嘱望されるようになる。 1944年(昭和19年)1月、召集により入隊予定であったが、チフスに罹患し3ヶ月入院する。翌1945年(昭和20年)1月ー2月、各地で慰問巡業を行う。 戦後の1946年(昭和21年) 6月、六代目尾上菊五郎に推挙され、東京劇場で上演された『助六由縁江戸桜』で初役の助六をつとめて大評判を呼ぶ。同年8月、長男・夏雄(十二代目團十郎)が誕生。 1951年(昭和26年)、『源氏物語』(舟橋聖一訳)の光君を演じ、美貌と憂いを備えた光源氏役で記録的な大入りとなった。翌年の『若き日の信長』(大佛次郎作)の信長などで芸を開花させて人気を確立する。「海老さま」の愛称で親しまれ、空前の海老蔵ブームを巻き起こし、戦後の歌舞伎の人気停滞を救うきっかけとなった。 助六、光源氏、信長などの役は晩年まで幾度もつとめる当たり役となったが、他にも『勧進帳』の富樫左衛門、『天衣紛上野初花(河内山)』の片岡直次郎や河内山宗俊、『与話情浮名横櫛』(切られ与三)の与三郎、『青砥稿花紅彩画』(白浪五人男)の弁天小僧、『近江源氏先陣館(盛綱陣屋)』の佐々木盛綱、『藤十郎の恋』の初代坂田藤十郎などを当たり役にした。当時相手役をつとめたのは六代目中村歌右衛門や七代目尾上梅幸などで、その華麗で品格のある舞台は今でも語り草となっている。 大佛次郎の新歌舞伎には、『若き日の信長』の信長 (1952) のほかにも、『築山殿始末』の岡崎信康 (1953)、『江戸の夕映え』の幕臣本田小六 (1953)、『魔界の道真』の藤原時平 (1957) など、海老蔵のために特に書いた作品が多く、「海老蔵と大佛」は、かつての「小團次と黙阿弥」や「左團次と綺堂」のような提携関係にあった。 しかし、それも1960年に海老蔵が『大仏炎上』の平重衡を突然「辞退」して同作を上演中止に追い込むという一悶着があって解消となる。ただし海老蔵は時折「突然の休演」をすることで知られた気難しい役者で、この一件も喧嘩別れといったものではなかった。大佛は後年、事ある毎に「團十郎が生きていればなぁ」と故人を偲んでいたことが伝えられている。 一方映画への出演はほとんどなく、大佛の新歌舞伎を映画化した『江戸の夕映』 (1954) で舞台と同じ役を演じたのと、舟橋聖一が東京新聞に連載した小説を映画化した『絵島生島』(1955) で歌舞伎役者・生島新五郎を演じ、劇中劇で『助六』を披露した。これが、海老蔵にとって生涯ただ2度の映画主演となった。 1956年(昭和31年)2月、養父の市川三升が死去。海老蔵は、葬儀で三升に十代目市川團十郎を名跡追贈した。 1960年(昭和35年)10月、歌舞伎座『シラノ』で初めて洋物の舞台に出演。弟の松緑が主役のシラノを演じ、海老蔵はシラノの恋敵・ド・ギッシュ伯爵をつとめた。
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