初舞台 から「花の海老さま」としてとは? わかりやすく解説

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初舞台 から「花の海老さま」として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 04:39 UTC 版)

市川團十郎 (11代目)」の記事における「初舞台 から「花の海老さま」として」の解説

1915年大正4年1月帝国劇場山姥』の怪童丸にて、6歳松本金太郎名乗り初舞台を踏む。暁星学園初等部入学1916年大正5年3月8歳時に、母・寿29歳若さ急逝翌年、父・幸四郎後妻娶るが、その後妻も1年足らず病死した。 1921年大正10年)、錦城中学校入学したが、芸道優先のため中学2年時中途退学1925年大正14年)、四代目坂東玉三郎(後の十四代目守田勘彌)らと共に『つぼみ座』という研究劇団を旗揚げ数回公演を行う。 1929年昭和4年4月帝国劇場源氏烏帽子折』の牛若丸にて、九代目市川高麗蔵襲名。翌5月肺結核罹り以後鎌倉にて4年間の療養生活を送る。その間次弟五代目市川染五郎襲名、三弟は六代目尾上菊五郎門下入門1933年に父が演じる「助六」の口上役で舞台復帰する演劇評論家辰野隆朝日新聞紙上で「大根の徽(しるし)が見えた」などと酷評される。発語訓練フランス語がよいとの辰野勧め今日出海からフランス語を習う。1935年10月20日市川三升夫妻媒酌人料亭開花楼」の娘・清水孝子(店主坂本彦平の姪)と結婚するも4か月離婚同年、三弟が二世尾上松緑襲名1936年昭和11年)から東宝劇団参加1939年昭和14年)、30歳時に東宝劇団離れ松竹へ復帰。父の師匠である九代目市川團十郎娘婿市川宗家市川三升十代目市川團十郎)に望まれ、翌1940年昭和15年4月市川宗家堀越家)へ正式に養子入った5月歌舞伎十八番の内『ういらう』の外郎売り実は曽我五郎にて、九代目市川海老蔵襲名この頃から「花の橘屋」と評され十五代市村羽左衛門似た美貌将来を嘱望されるうになる1944年昭和19年1月召集により入隊予定であったが、チフス罹患し3ヶ月入院する。翌1945年昭和20年1月2月各地慰問巡業を行う。 戦後1946年昭和21年6月六代目尾上菊五郎推挙され東京劇場上演された『助六由縁江戸桜』で初役助六つとめて評判を呼ぶ。同年8月長男夏雄十二代團十郎)が誕生1951年昭和26年)、『源氏物語』舟橋聖一訳)の光君演じ美貌憂い備えた光源氏役で記録的な大入りとなった翌年の『若き日の信長』(大佛次郎作)の信長などで芸を開花させて人気確立する。「海老さま」の愛称親しまれ空前海老蔵ブーム巻き起こし戦後の歌舞伎の人気停滞を救うきっかけとなった助六光源氏信長などの役は晩年まで幾度もつとめる当たり役となったが、他にも『勧進帳』の富樫左衛門、『天衣紛上野初花河内山)』の片岡直次郎河内山宗俊、『与話情浮名横櫛』(切られ与三)の与三郎、『青砥稿花紅彩画』(白浪五人男)の弁天小僧、『近江源氏先陣館盛綱陣屋)』の佐々木盛綱、『藤十郎の恋』の初代坂田藤十郎などを当たり役にした。当時相手役つとめたのは六代目中村歌右衛門七代目尾上梅幸などで、その華麗品格のある舞台今でも語り草となっている。 大佛次郎新歌舞伎には、『若き日の信長』の信長 (1952) のほかにも、『築山殿始末』の岡崎信康 (1953)、『江戸の夕映え』の幕臣本田小六 (1953)、『魔界道真』の藤原時平 (1957) など、海老蔵のために特に書いた作品多く、「海老蔵大佛」は、かつての「小團次と黙阿弥」や「左團次と綺堂」のような提携関係にあった。 しかし、それも1960年海老蔵が『大仏炎上』の平重衡を突然「辞退」して同作上演中止追い込むという一悶着があって解消となる。ただし海老蔵時折「突然の休演」をすることで知られ気難しい役者で、この一件喧嘩別れといったものではなかった。大佛後年事ある毎に團十郎生きていればなぁ」と故人偲んでいたことが伝えられている。 一方映画への出演はほとんどなく、大佛新歌舞伎映画化した江戸の夕映』 (1954) で舞台と同じ役を演じたのと、舟橋聖一東京新聞連載した小説映画化した絵島生島』(1955) で歌舞伎役者生島新五郎演じ劇中劇で『助六』を披露した。これが、海老蔵にとって生涯ただ2度映画主演となった1956年昭和31年2月養父市川三升死去海老蔵は、葬儀三升十代目市川團十郎名跡追贈した。 1960年昭和35年10月歌舞伎座シラノ』で初め洋物舞台出演。弟の緑が主役シラノ演じ海老蔵シラノ恋敵・ド・ギッシュ伯爵つとめた

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