開花楼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:45 UTC 版)
坂本家の家業だった料亭・開花楼は、神田明神境内の崖の上に所在し、木造4階建てで、2階に120畳の大広間があった。明神のご神体が縁結びの神・大国主命であることから結婚披露宴の会場としてよく利用された(島崎藤村などがここで結婚式を挙げた)。場所柄東京大学関係者の利用も多かったという。 店主は初代も2代目も(つまり、坂本朝一の父親も祖父も)坂本彦平といい、揃って芝居好きで自ら「坂本猿冠者」と名乗り、舞台付大広間で同好者たちと芸事を楽しんだという。芸事好きの店主の計らいで、文学座の稽古場としても使われたこともあった。荒木十畝、鳥居清忠らの画会(絵画の展示・販売会)など催し物の会場としても用いられた。 また坂本朝一によれば、開花楼は「へなちょこ」という語を生んだ場所であるという。1881年か1882年ごろ、朝一の祖父・初代彦平が酔狂な思いつきとして、遊びで明神の崖上の粘土を使って素焼きの猪口を作り、友人である出版人の山田風外や新聞記者の野崎左文らを楽しませたのが起こりで、「埴土(へなつち)の猪口」が転じたのだという(野崎は「変な猪口」が由来としている)。素焼きの猪口は注いだ酒を全て吸ってしまうので、酒器として役に立たない。ここから役に立たないものを「へなちょこ」と呼ぶようになったと坂本は父・猿冠者から聞いたとしたうえで、江戸時代を舞台としたフィクション等で「このヘナ猪口野郎」というセリフを設定するのは時系列的に間違いだと断じている。
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