開設からタクト・システムの導入まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 17:02 UTC 版)
「名古屋鉄道鳴海工場」の記事における「開設からタクト・システムの導入まで」の解説
名鉄の前身事業者の一つである愛知電気鉄道が、神宮前駅にあった「神宮前車庫」と矢作橋駅にあった「矢作分庫」の機能移転として1930年(昭和5年)3月28日に開設した検修施設が「鳴海車庫」である。愛知電気鉄道と名岐鉄道の合併による現・名鉄発足後の1940年(昭和15年)に鳴海工場と改称され、太平洋戦争中の混乱期には自社向けの電車および電気機関車の新製も行った。 戦後の1954年(昭和29年)1月より、鳴海工場は幹線系統に所属する車両を対象とした重要部検査および全般検査業務の専門工場となった。この際、検修能力の向上と作業の合理化を目的として「タクト・システム」と称される作業工程が導入された。 「タクト・システム」は、従来一箇所で集中して行っていた車両検修作業を、作業内容ごとに別工程へ分割した流れ作業とした上で一定時間ごとに次の工程へ一斉移行するシステムで、指揮者(タクト)の指示に従って次節へと移る楽団に擬してこの呼称が用いられた。「タクト・システム」では入場車両の仕様・状態などに関わらず各工程を同一期間で行う必要があることから、作業時間の過不足が発生する弊害は生じるものの、鳴海工場の検修設備の仕様などを鑑みて「タクト・システム」の導入が最適であると判断され、導入に至ったものであった。 名鉄では各作業工程を「タクト」と称し、各タクト間の車両の移動にはワイヤーロープが用いられ、全般検査時は1タクト/日、重要部検査時は2タクト/日の工程で検修作業が実施された。
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