東遊園地
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東遊園地(ひがしゆうえんち)は、兵庫県神戸市中央区加納町6丁目にある神戸市管理の都市公園。神戸市役所本庁舎の南隣にあって、フラワーロードの西側に位置する。
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- ^ 慰霊と復興のモニュメント
- ^ 【神戸市資料】慰霊と復興のモニュメント - 震災の記憶と復興の歩みを後世に伝えるために -
- ^ 2022年3月25日(金)、こども本の森神戸がオープンしました(図書館流通センター公式サイト内の「イチオシ図書館イベント」)
内外人公園
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開港直後の1868年(明治元年)クリスマスに、区画整理が遅れていた居留地東北部に設けられた馬場で競馬が催された。この開催を契機に競馬の他にクリケット・陸上競技などのスポーツが同地で行われるようになった。ただし居留外国人にとってこれはあくまでも区画整備が完了するまでの仮のグランドであり、スポーツを行うことができる正式なグラウンド設置を求める声が上がった。居留外国人には日本政府がグラウンドの設置を保証しているという認識があり、1871年4月29日(明治4年3月10日)から同年7月26日(明治4年6月9日)にかけて行われた旧生田川の付け替え工事に伴って居留地東側に広大な土地が出現すると、居留外国人の間ではその土地を利用してグラウンドが設置されると噂されるようになった。 1872年2月(明治4年12月/明治5年1月)、居留外国人の一部が独断で土地の一部に棒杭を打ち込んで所有権を主張するという行動に出た。日本政府はこの行動に反発したが、交渉の結果1874年(明治7年)11月、外国人と日本人が共同利用する公園という形でグラウンドの設置を認めた。建設費と維持費は外国人側の負担となったが、開港から約10年をかけて居留外国人はグラウンドを手に入れることができた。公園は1877年(明治10年)5月に完成し、内外人公園と名付けられた。 内外人公園のグラウンドは芝生のグラウンドであった。内外人公園で居留外国人がラグビー・テニスなどに興じている姿を日本人が目にしたことは、それらの競技が周辺に普及するきっかけとなったと評価されている。内外人公園は1899年(明治32年)の居留地撤廃に伴って日本に返還され、神戸市が管理する公園(加納町遊園地、1922年(大正11年)に東遊園地と改称)となった。公園が持つスポーツを行うためのグラウンドとしての機能は居留地返還後も、1962年(昭和37年)に磯上公園(神戸市中央区八幡通)に移されるまで約90年にわたって維持された。
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