神戸レガッタアンドアスレチッククラブとは? わかりやすく解説

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神戸レガッタアンドアスレチッククラブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/30 09:36 UTC 版)

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一般社団法人神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部

神戸レガッタアンドアスレチッククラブ本部
団体種類 一般社団法人
設立 1905年3月17日[1](創設は1870年9月23日)
所在地 兵庫県神戸市中央区八幡通2-1-20 磯上公園内
法人番号 4140005001496
活動地域 日本
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神戸レガッタアンドアスレチッククラブ: Kobe Regatta & Athletic Club, KR & AC)は、兵庫県神戸市中央区にあるスポーツクラブ。運営団体は一般社団法人神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部(会社法人等番号:140005001496)である。

概要

1870年9月23日(明治3年8月28日)、アレキサンダー・キャメロン・シムの提唱により、神戸外国人居留地内に発足[2][3]。日本の近代スポーツ発祥とされる。

1888年3月、横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ(YC&AC)との間でインターポートマッチが開催された。なお、YC&ACとの対戦は日本で最も古いサッカーの対抗戦と位置づけられている[4]

第二次世界大戦後に現在地の磯上公園に移転した。2007年4月、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するヴィッセル神戸と提携を結んだ。

体育館

発足から3か月後の1870年12月(明治3年閏10月/11月)、KR & ACは居留地内に体育館を建設[5]した。1874年(明治7年)11月、日本政府が居留外国人に対し居留地東側へのグラウンド(内外人公園、後の東遊園地の設置を認めた[6]。グラウンドは1877年(明治10年)5月に完成[7]ことに伴い、体育館はグラウンド内に移設された。

体育館はKR & ACのクラブハウスとして機能し、ボクシングフェンシングといったスポーツが行われたほか、会員以外にも開放され、居留地内の市民ホールとしての役割も果たした[8][9]。演劇や音楽会、ダンスパーティーなども催された[10][11]。演劇界においては「横浜外国人居留地内の『ゲーテ座』、長崎外国人居留地内の『パブリックホール』とともに、明治以降の日本演劇史に残る重要な施設」とされており[12][13]1927年(昭和2年)の新築を経て太平洋戦争中の1945年(昭和20年)に空襲で焼失するまでの間、神戸における「アマチュア演劇のメッカ」として機能した[14][15]。劇場としての機能から、体育館は「体育館劇場」、「居留地劇場」と呼ばれた。

1945年の焼失後、体育館は東遊園地内に再建されたが、1962年(昭和37年)に磯上公園(神戸市中央区八幡通)に移設された[16]

アクセス

脚注

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注釈

出典

参考文献

  • 楠本利夫『増補 国際都市神戸の系譜』公人の友社、2007年。ISBN 4-87555-514-8
  • 棚田真輔、松村浩貴・高木応光『神戸居留外国人のスポーツ50年』神戸スポーツ史研究会、1993年。
  • 高木応光『神戸スポーツはじめ物語』神戸新聞総合出版センター、2006年。 ISBN 4-343-00362-0
  • 棚田真輔、松村浩貴・高木応光『神戸居留外国人のスポーツ50年』神戸スポーツ史研究会、1993年。
  • 『居留地の窓から』神戸外国人居留地研究会(編)、ジュンク堂書店、1999年。
  • 『神戸外国人居留地』ジャパン・クロニクル社(編)・土居晴夫(解説)、堀博・小出石史郎訳、神戸新聞出版センター、1980年。

関連項目

外部リンク

座標: 北緯34度41分28秒 東経135度11分56秒 / 北緯34.69111度 東経135.19889度 / 34.69111; 135.19889


神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部

(神戸レガッタアンドアスレチッククラブ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/15 03:38 UTC 版)

一般社団法人神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部

神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部本部
団体種類 一般社団法人
設立 1905年3月17日[1](創設は1870年9月23日)
所在地 兵庫県神戸市中央区八幡通2-1-20 磯上公園内
法人番号 4140005001496
活動地域 日本
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神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部(こうべリガッタ・アンド・アスレチック・くらぶ、: Kobe Regatta & Athletic Club, KR & AC)は、兵庫県神戸市中央区にあるスポーツクラブ。

概要

1870年9月23日(明治3年8月28日)、アレキサンダー・キャメロン・シムの提唱により、神戸外国人居留地内に会員43名で発足。初期の会員にはシムのほかに六甲山の開祖として知られるアーサー・ヘスケス・グルームが名を連ねている[2][3][4]

1888年3月、横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ(YC&AC)との間でインターポートマッチが開催された。なお、YC&ACとの対戦は日本で最も古いサッカーの対抗戦と位置づけられている[5]

第二次世界大戦後に現在地の磯上公園に移転した。2007年4月、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するヴィッセル神戸と提携を結んだ。

体育館

発足から3か月後の1870年12月(明治3年閏10月/11月)、神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部(KR & AC)は居留地内に体育館を建設[6]した。1874年(明治7年)11月、日本政府が居留外国人に対し居留地東側へのグラウンド(内外人公園、後の東遊園地の設置を認めた[7]。グラウンドは1877年(明治10年)5月に完成[8]ことに伴い、体育館はグラウンド内に移設された。

体育館はKR & ACのクラブハウスとして機能し、ボクシングフェンシングといったスポーツが行われたほか、会員以外にも開放され、居留地内の市民ホールとしての役割も果たした[9][10]。演劇や音楽会、ダンスパーティーなども催された[10][11]。演劇界においては「横浜外国人居留地内の『ゲーテ座』、長崎外国人居留地内の『パブリックホール』とともに、明治以降の日本演劇史に残る重要な施設」とされており[12][13]1927年(昭和2年)の新築を経て太平洋戦争中の1945年(昭和20年)に空襲で焼失するまでの間、神戸における「アマチュア演劇のメッカ」として機能した[11][12]。劇場としての機能から、体育館は「体育館劇場」、「居留地劇場」と呼ばれた。

1945年の焼失後、体育館は東遊園地内に再建されたが、1962年(昭和37年)に磯上公園(神戸市中央区八幡通)に移設された[12]

アクセス

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 楠本利夫『増補 国際都市神戸の系譜』公人の友社、2007年。ISBN 4875555148 
  • 棚田真輔、松村浩貴・高木応光『神戸居留外国人のスポーツ50年』神戸スポーツ史研究会、1993年。 
  • 高木応光『神戸スポーツはじめ物語』神戸新聞総合出版センター、2006年。 ISBN 4343003620 
  • 棚田真輔、松村浩貴・高木応光『神戸居留外国人のスポーツ50年』神戸スポーツ史研究会、1993年。 
  • 神戸外国人居留地研究会(編) 編『居留地の窓から』ジュンク堂書店、1999年。 
  • ジャパン・クロニクル社 編、堀博・小出石史郎 訳『神戸外国人居留地』土居晴夫(解説)、神戸新聞出版センター〈のじぎく文庫〉、1980年。0021-0419-2284。 

関連項目

外部リンク

座標: 北緯34度41分28秒 東経135度11分56秒 / 北緯34.69111度 東経135.19889度 / 34.69111; 135.19889


神戸レガッタアンドアスレチッククラブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:53 UTC 版)

神戸外国人居留地」の記事における「神戸レガッタアンドアスレチッククラブ」の解説

「神戸レガッタアンドアスレチッククラブ」も参照 神戸レガッタアンドアスレチッククラブ (KRAC) は、1870年9月23日明治3年8月28日)にアレキサンダー・キャメロン・シムの提唱により発足したスポーツクラブである。KRAC は発足当初から居留地東部グラウンド確保し発足から3か月後の1870年12月明治3年10月/11月)にボートハウスと体育館を、1871年6月明治4年4月/5月)に水泳場完成させるなど順調に活動開始した。KRAC の会員競技するスポーツレガッタ陸上競技・ラグビー・テニス・水泳水球ライフル射撃など多岐にわたった1871年明治3年/4年)、KRAC は横浜居留地において横浜ボート・クラブ、日本ローイング・クラブとレガッタ対抗戦行った。これがきっかけとなって神戸横浜スポーツクラブとの間で定期的にレガッタ陸上競技・クリケット・フットボール(ラグビー・サッカー)などの対抗戦(インポートマッチ)が開催されるようになった。インポートマッチは第二次世界大戦中一時期除き居留地返還後続けられている。 KRAC の体育館会員以外にも開放され、KRAC のクラブハウスとしてだけではなく居留地内の市民ホールとしても機能した。この体育館劇場として使用され、「体育館劇場」、「居留地劇場」などと呼ばれた。KRAC は単なるスポーツ組織ではなくスポーツ通じて居留外国人親睦を深めるという役割果たしボランティア活動などの社会活動行った

※この「神戸レガッタアンドアスレチッククラブ」の解説は、「神戸外国人居留地」の解説の一部です。
「神戸レガッタアンドアスレチッククラブ」を含む「神戸外国人居留地」の記事については、「神戸外国人居留地」の概要を参照ください。

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