レガッタ
レガッタ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/28 04:31 UTC 版)
「ネグロ川 (アルゼンチン)」の記事における「レガッタ」の解説
ネグロ川では世界でもっとも長いカヤックボートレースが行われている。「レガッタ・デル・リオ・ネグロ」は653kmが6ステージに分割されており、8日間で(2日間は休養日)行なわれる。 カテゴリー K1(男子シニア) K2(男子シニア) K2(男子ジュニア)17歳-20歳 K2(女子シニア) K1(男子36歳以上) K2(男子36歳以上) ツーリング(オープンカテゴリー、ノンプロ)
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レガッタ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 21:26 UTC 版)
早慶野球戦に次いで行われた早慶の対校戦。概ね毎年4月中旬の日曜日に隅田川にて開催される。一般的に「早慶レガッタ」という言葉はメインレースである「対校エイト」を指すことが多いが、実際は「対校女子舵手付クォドルプル」「対校舵手付フォア」を含めた全3種目の対戦であり、OB・OG戦、招待試合等を含めると当日は10種目以上のレースが行われている。 なお「対校エイト」は、かつてはテレビ東京が地上波で生中継していたが、現在はCS放送の日テレG+に中継放送権が移り、日テレG+によるテレビ放映が行われている。 第1回は1905年5月8日、隅田川にて開催された。野球同様、早稲田が先輩格の慶應に試合を申し入れた事に端を発している。レースは慶應有利の下馬評を覆して早稲田の勝利(第1回のみ「エイト」ではなく「シックス」によるレース)。大いに評判となった早慶レガッタだったが、早慶野球戦のあおりを受け中断、第2回開催は1930年であった。 戦時体制下、1943年の第15回大会を最後に再び中断。 1944年には、観衆・審判の居ない、選手だけによる「幻の早慶レガッタ」が行われたと言われている。公式大会は終戦後の1947年に復活した。 1957年の第26回大会は荒天により川面に白波が立つ中でのレースとなった。ボートの浸水が予想される中、早稲田クルーは「ボートを沈めることなくゴールする事」を重視し、ボートを漕ぐ選手とボートに浸入した水を食器で掻き出す選手に分けてレースに臨んだ。一方の慶應クルーは「選手全員で最後まで漕ぎ続ける事」を重視し、ボートが沈む前にゴールまで辿り着く事を選択した。レースは序盤慶應が早稲田を大きく引き離したが、慶應艇がレース途中で浸水により失速、そのまま沈没。早稲田は浸水を避けゴールし、審判は早稲田の勝利を宣言した。早稲田側は好天下での再レースを申し入れたが、慶應側は「審判の裁定に従う」と主張し、再レースは行われなかった。 このエピソードは『スポーツマンシップのお手本になるもの』と多くの関係者に深い感銘を与えると同時に、後に小学校6年生国語の教科書(学校図書発行)において「あらしのボートレース」という題名で1961年から1970年まで取り上げられた。 隅田川でのレースは橋梁工事や水質汚濁の影響に伴い1961年の第30回大会を最後に一旦中断。戸田漕艇場・荒川・相模湖等に会場を移しながら開催を続けた。しかし多くのファン、OBから隅田川での開催復活が望まれ、川の水質浄化も進んだことから1978年に再び隅田川へ回帰。以降は現在まで隅田川にてレースが開催されている。 2010年では開始直前に慶應艇が沈没をしたため開始時刻が大幅にずれた。 2011年の第80回は3月の東日本大震災の発生に伴う社会的状況を考慮し、開催場が当初予定の隅田川から戸田漕艇場に変更され、開催日も当初予定の4月17日から23日へと順延となった。 ※早慶レガッタ(定期戦)に倣って、各大学の対抗戦が行われている。1991年から始った「グリーンレガッタ」(4月29日に実施)中央大学・法政大学・東京経済大学・日本体育大学 4大学対抗戦もその一例である。現在2016年日体大は参戦していない。
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