佐賀戦争とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 佐賀戦争の意味・解説 

佐賀の乱

(佐賀戦争 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 13:28 UTC 版)

佐賀の乱(さがのらん)は、1874年明治7年)2月に江藤新平島義勇らをリーダーとして佐賀で起こった明治政府に対する士族反乱の一つである。佐賀の役[1]佐賀戦争とも。不平士族による初の大規模反乱であったが、電信の情報力と汽船の輸送力・速度を活用した政府の素早い対応もあり、激戦の末に鎮圧された。


注釈

  1. ^ 維新後は中央・佐賀県の支配機構に所属しておらず、開墾、閑居で生活を送っている[4]
  2. ^ 香月は出納中属に任命されて、旧佐賀藩の武庫を横領して火薬を製造して、大砲鋳造を試みた。石井貞興は、第八、第九大区の「民積金」1万2千円余を戸長らと横領した。また、旧知事家禄代金のうち2万5千円を搾取した[5]
  3. ^ 佐賀藩では大配分と呼ばれて、知行地を独自に支配して家臣団を組織していた。
  4. ^ 元佐賀藩主の鍋島直大は留学中で、動向は不明。旧佐賀藩の支藩主や親類、親類同格などの邑主は関与しない態度にあった[6]
  5. ^ 多久団は690名。武雄団、多久団は憂国党に出兵を強要されて、少数の兵を出兵した。その後、両団は撤兵して2月26日に長崎に上陸した海軍の陸戦隊の指揮下に入り、嚮導などを行った[8]
  6. ^ 戊辰戦争出兵時の旧小城藩士は、田尻種博(旧家老)を中心に3個小隊300~350人前後[9]
  7. ^ 唐津の戸長である安住百太郎は、旧多久士族で旧唐津藩士の士族111人を征韓党に結集する役割を果たした[10]
  8. ^ なお、大崎長寛大尉との記述も存在する[13]
  9. ^ これは前月上旬、東京において、江藤新平と県士族との間で、征韓論を県内に拡大することが相談された[15]
  10. ^ 集会で三つの方針を決定した。その一は、「征韓党先鋒請願事務所」の設置。その二は、世事務所の場所に、旧藩校の弘道館を県から借り受ける。その三は、県庁機構の掌握である[16]
  11. ^ 前年12月に県令の岩村通俊が上京して、1月28日に辞任した。その間、県の行政は森参事が大属以下を指揮していた[17]
  12. ^ 征韓党幹部の説得により、占拠した弘道館を引き払い、与賀馬場の延命院を事務所とした[18]
  13. ^ 森参事は征韓党を統制するために、香月経五郎らの征韓党幹部を採用したが、意図とは逆の結果になった。1月下旬、県官の辞職者が増大した[20]
  14. ^ 電報を受けたのは香月経五郎であった[21]

出典

  1. ^ 佐賀の役(佐賀戦争)さがの歴史・文化お宝帳公式サイト
  2. ^ 徳富 1961.
  3. ^ 鈴木 1989.
  4. ^ a b 長野 1987, p. 233.
  5. ^ a b 長野 1987, pp. 218–220.
  6. ^ 長野 1987, pp. 300–302.
  7. ^ a b 長野 1987, pp. 282–283.
  8. ^ 長野 1987, pp. 228–229.
  9. ^ 長野 1987, p. 299.
  10. ^ 長野 1987, p. 230.
  11. ^ 記録材料・佐賀征討始末・乾・外史本課 福岡県電報”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 太政官 (1874年). 2024年4月11日閲覧。
  12. ^ 中田 1978.
  13. ^ 園田 1974.
  14. ^ 英国で「佐賀の乱」公文書発見 駐日公使が母国に報告 佐賀新聞-2009年10月26日
  15. ^ 長野 1987, p. 204.
  16. ^ 長野 1987, pp. 204–205.
  17. ^ 長野 1987, pp. 216–220.
  18. ^ 長野 1987, pp. 206–207.
  19. ^ 長野 1987, pp. 207–208.
  20. ^ 長野 1987, pp. 217–219.
  21. ^ 長野 1987, p. 219.


「佐賀の乱」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐賀戦争」の関連用語

佐賀戦争のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐賀戦争のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐賀の乱 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS