京都事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 12:02 UTC 版)
「永山則夫連続射殺事件」の記事における「京都事件」の解説
京都事件の現場地図(京都府京都市東山区祇園町北側625・八坂神社) 東京事件を起こした永山は逮捕される危険を感じたことに加え、まだ訪れたことのない京都を観光するためにも京都へ逃亡したが、1968年10月14日未明に八坂神社(京都府京都市東山区祇園町北側625番地)で神社警備員の男性B(事件当時69歳)を射殺した(第2の殺人事件)。 10月12日、永山は横浜駅で京都駅行きの切符を購入して夕方の列車で出発し、翌日(10月13日早朝)には実包6発を装填した拳銃を持って京都駅に到着した。同日、永山は市内見物をしたり映画を観たりして遊び、同日夜には市内を徘徊していたところで八坂神社へ出たため「神社の境内で野宿しよう」と考え、山門から境内に入った。しかし石畳(拝殿と本殿の間)に至った10月14日1時35分ごろ、神社境内を巡回していた警備員・被害者Bに発見され「どこへ行くんだ」と声を掛けられた。これに対し、永山は本殿の向こう側を指さして「あっちの方へ行く」と答えたが、Bから「(本殿の)向こうには何もない。おかしいだろう」と怪しまれたため、拳銃とともに盗み出したジャックナイフ1丁を取り出してBに突き付け「近づくと刺すぞ」などと脅し、逃走しようとしたが、Bはそれに怯まず警察への同行を強く求めた。 そのため米軍基地での窃盗事件・および東京事件の発覚を恐れた永山はとっさに「Bを射殺して逃走しよう」と決意し、隠し持っていた拳銃を取り出して被害者Bの顔面・頭部を計4回狙撃した。弾丸は4発とも被害者Bの頭部・顔面に命中し、Bは大和病院(京都市東山区大和大路通正面下る大和大路二丁目543番地)にて同日5時3分ごろに死亡した。永山はすぐに逃走を図ったが、直後に2人の制服警官姿が見えたため、(Bを狙撃してから約2,3分後には)茂みに身を隠したが、その茂みは落ち葉が溜まり、歩くと音がしたため、警官のうち1人が(警官から3,4 m離れた距離の)茂みの音に気付き「出て来い!」と大声を出した。しかしもう1人の警官が倒れている被害者Bに気付き「殺人だ」と叫んだところ、茂みの前にいた警官も同僚の方へ向かったため、永山はその隙に警官の目を盗んで三条大橋まで逃げ、Bを撃った際の薬莢を拳銃から抜き取って鴨川に投げ捨てた。その後、永山は京都駅から普通列車を乗り継ぎ、小田原から夜遅く新宿へ向かった。 京都府警察は松原警察署(現・東山警察署)内に「八坂神社警備員殺人事件特別捜査本部」を設置。被害者Bの遺体を京都府立医科大学で司法解剖したところ、左頬から銃弾が摘出され、凶器の拳銃について警察庁が調べた結果、東京事件と同じ22口径の回転式拳銃(6発)と判明したほか、摘出された銃弾も東京事件で使用された銃弾と同一のものであることが判明した。また科学警察研究所が2事件の現場状況を照合したところ「閑静な人通りの少ない場所」「犯行時間は深夜」「動機不明」「被害者は両事件とも警備員で、撃たれた部位はともに頭部(左こめかみ中心)」「発射距離は1,2mで射撃が上手い」など多数の共通点が見い出されたため、両事件を同一犯と断定した。そのため、10月18日17時には警察庁が両事件を「広域重要指定108号事件」に指定して大規模捜査を開始した。
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京都事件
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「京都・大阪連続強盗殺人事件」の記事における「京都事件」の解説
京都事件現場周辺の地図:京都府京都市北区紫野北舟岡町42番地(船岡山の山頂南側遊歩道) 廣田は以上のように、警察官から拳銃を奪う計画や、質屋を標的とした強盗がいずれも失敗に終わったことから、警察官を殺害して拳銃を奪い、その拳銃で強盗をしてまとまった金を得ようと決意。9月4日12時40分ごろ、船岡山公園(京都市北区紫野北舟岡町42番地)正門付近の公衆電話から、かつて勤務していた十二坊派出所に電話し、それに応対した男性巡査A(当時30歳)を騙して公園内におびき出した。通常、十二坊派出所は2人勤務だったが、同日は相勤者の巡査長が巡査部長昇任試験を受験するため、警察学校に出掛けており、Aが1人で勤務していた。Aは電話を受けた当時(12時42分ごろ)、昼の休憩時間中だったが、携行の署活系携帯無線機で西陣署指令室係員に対し、これから警らに向かう旨を送信し、派出所前からバイクに乗って千本通を北上し、船岡山公園に向かった。事件現場となった船岡山公園の山頂広場南側斜面は、十二坊派出所から北東に直線で約250 mの距離に位置し、同派出所からのオートバイによる所要時間は約2分30秒だった。 12時50分ごろ、廣田は公園内山頂広場南側斜面で、騙されて1人でやってきたAをステンレス製包丁(刃体の長さ約16.9 cm)で襲い、右太腿内側や右肩内側など、多数箇所を突き刺し、右大腿動静脈切断などの傷害を負わせた。そして、Aの右肩にかけられていた拳銃の吊り紐を切断し、Aが持っていた警察用ニューナンブ回転弾倉式拳銃(実包5発装填:38口径、銃番号632606)1丁を奪うと、うつ伏せに倒れていたAの左背部に1発銃弾を撃ち込んだ。Aは指令室係員に対し、無線機のプレストークボタンを押さえたままの状態で、「115から西陣」との送信を2、3回繰り返し、うめき声とともに「助けてくれ」と送信したが、無線機の緊急発信ボタンを押したと見られる緊急信号を最後に、送信は途絶えた。 発信地が不明だったため、西陣署は全署員を動員してAを捜索。Aは13時6分ごろ、全身を鋭利な刃物で刺されてうつ伏せに倒れているところを発見され、病院に搬送されたが、13時46分、搬送先で死亡が確認された(死因:失血死)。京都府警は同日、殉職した被害者Aを警部補に2階級特進させ、同月7日に行われたAの告別式では、霊前に「多大な功労があった」として府警本部長の賞詞を贈っている。なお、現場では相当な格闘があったと思われているが、毛髪など(犯人につながる)有力な遺留物は採取されなかった。
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