中央政界へとは? わかりやすく解説

中央政界へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 00:56 UTC 版)

床次竹二郎」の記事における「中央政界へ」の解説

床次は日露戦争後には既に政界入り考えており、政党として立憲政友会考えていた。明治38年1905年12月秋田県知事任じられたが、中央働きたい転勤前の東京初対面原敬内務大臣直訴したところ、見所がある認められ重職である地方局長に抜擢された(1906年明治39年)、第1次西園寺内閣内務省地方局長に就任。このとき、神社局であった水野錬太郎とともに神社合併推進していくことになる。これは各地域信仰宗教的心情鑑みずに行った強引なものであり、神社行政携わった当局者たちがそういった実態をろくに見ず進めたことに起因している。そしてこの時期官僚宗教的信仰対す理解(あるいは不理解)の平均的代表が床次であった橋川文三指摘している。なお床次自身皇祖皇太神宮天津教信奉者であったとされる)。このため知事は未赴任のままとなった抜擢直後に床次を政友会代議士引き合わせた原は「(床次のことを)この人敏腕家ではないが、決してうそをつかぬから安心して交際してまちがいない」と紹介した当時内務省山県閥の勢力強く、原は閥外の床次を抜擢することで山県閥の勢力削ぎ政友会政治力高めることを意図した以後、床次は内務大臣だった原敬重用されこの頃原が進めた両院縦断従事する。床次は主に研究会との折衝に当たり、立憲政友会研究会双方との関係を深めていく。のちに床次の一派である政友本党清浦内閣与党となるのは、この時の縁が関係している。もちろん欲得ずくでもあった。政友会議員は、原が実業家出馬勧めたという経緯のために、経綸持って政治にあたるというよりも、事業ついでに議員務めるようなもの、あるいは政治屋とも言うべきものもおり、与党依存心理が極めて強かったのであるまた、在任中に宮中某重大事件発生し新聞記者組合から情報解禁要求突きつけられている。その後原内相のもと、郡制廃止努力する貴族院反対頓挫した明治41年1908年)、樺太庁長官歴任明治44年1911年)、第2次西園寺内閣成立し、再び内務大臣となった原が床次を内務次官起用した当時の床次は44歳同期任官38人中で他に次官まで出世したのは橋本圭三郎大蔵次官のみ)。大正元年1912年)、「二個師団増設問題」により第2次西園寺内閣総辞職到り原内と共に次官辞任した辞任後の床次を原は貴族院推薦しようとしたが空き議席不足していたため見送られた。 大正政変経た大正2年1913年)の第1次山本内閣成立時には首相同郷薩摩出身者であることから薩派と政友会連絡役として活躍した。その功績もあって山本内閣では鉄道院総裁就任。これは内閣書記官長法制局長官同じく大臣級の重職であった総裁として鉄道幹線広軌計画の中止このため島安次郎はじめとする広軌改築論者鉄道院去っている)と地方路線拡張方針打ち出した詳細は「日本の改軌論争」を参照 床次は最後鉄道院総裁となった。この業績記念して鉄道省玄関胸像飾られたが、のちに金属類回収令のために供出されている。

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中央政界へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 07:33 UTC 版)

温家宝」の記事における「中央政界へ」の解説

温家宝甘粛省から北京国務院移った当時共産党総書記であった胡耀邦若手有能な人物の登用進めていた。地質鉱産部長大臣)の孫大光賞賛受けた温は、1983年10月地質鉱産副部長次官)に就任したその後胡耀邦によって抜擢され1986年5月党中央公庁主任となる。1993年中央財経領導小組秘書長転出するまで、温家宝胡耀邦趙紫陽江沢民3代総書記の下で中央公庁主任務めた。温はこの3人の総書記仕えた唯一の人物である。1987年11月には党中央委員選出され党中央書記処候補書記となる。 1989年5月19日民主化要求して天安門広場占拠した学生たちと対話試みるため、趙紫陽は彼らの下へ向かった温家宝は趙に同行した天安門事件参照)。この趙の行動は「重大な反抗」とされ、趙は総書記解任され失脚2005年1月の死まで自宅軟禁置かれた。しかし温は、当時立場自己批判考慮されたことで、天安門事件余波受けて失脚することも無く政治的に生き残ったその後1992年10月に党政治局候補委員中央書記書記となり、1997年には党政治局員となった。そして1998年朱鎔基内閣発足すると、温家宝金融農業担当国務院副総理任命された。内閣において温は経済・農業財政防災政策監督し中国の重要方針である世界貿易機関への加入準備活動従事した。温は1998年から2002年まで中央金融工作委員会書記務めた

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