中央政界進出
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中央政界入り後は池田・佐藤両首相と懇意であったことに加え、参議院自民党のドン・重宗雄三とのリレーションも良好だったため、たびたび閣僚として登用された。1963年第2次池田内閣第3次改造内閣で厚生大臣として初入閣。1966年第1次佐藤内閣第3次改造内閣では郵政大臣に就任、在任中にUHF帯で大量の放送免許を与える方針を表明し、民放の第2次新設局ラッシュを巻き起こす一方、FM東海の処遇を巡っては松前重義(逓信省の後輩で東海大学創立者、日本社会党衆議院議員)と鋭く対立した。これらの強権は『小林郵政』と呼ばれ今でも語り草となっている。
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