阿曇刀とは? わかりやすく解説

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阿曇刀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/21 16:37 UTC 版)

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阿曇 刀(あずみ の かたな、生没年不詳)は奈良時代貴族宿禰

出自

発祥の地は九州筑前国糟屋郡志珂郷から阿曇郷にかけての一帯(現在の福岡市東区志賀島から糟屋郡新宮町一帯)と言われてお中央政界へ進出してから、摂津国西成郡安曇江(現在の大阪市中央区安堂寺町)を拠点とするようになった。

『古事記』・『日本書紀』の伊弉諾神の禊ぎにより生まれたワタツミの神を始祖とし、各地の海人部・阿曇部を統率し、海人を率いて、大王天皇)に奉仕した。膳氏とともに、食膳を管掌している。海人部を水軍としても編成している。

厚見・渥美・安積などの地名は、阿曇氏に由来するという。

記録

続日本紀』巻十によると、727年神亀4年正月)に、正六位上から従五位下に昇叙した、とある[1]

正史における記載はこの一ヶ所のみであるが、彼の名はむしろ競争相手の高橋氏が遺した『高橋氏文』によって有名である。『本朝月令』が引用するその逸文によると、716年霊亀2年)、彼は内膳司の奉膳(ぶぜん、長官)をつとめていたのだが、月次祭の際に行われる「神今食」(じんこんじき、前年に収穫した穀物(旧穀)を天皇が神と一緒に食するという神事)の際に、御膳の供奉(ぐぶ)を巡って、典膳(次官)の高橋乎具須比(たかはし の おぐすび)と争い、退けられたことが記されている。高橋・阿曇の両氏族は内膳司の奉膳と典膳に任じられるのが慣例であり、この事件以後、神事における並び方で争うことがたびたびあった、という。

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』聖武天皇 神亀4年1月27日条

参考文献

  • 『続日本紀』2 新日本古典文学大系13 岩波書店、1990年
  • 『続日本紀』全現代語訳(上)講談社学術文庫宇治谷孟:訳、1990年
  • 『日本の古代6 海人の伝統』、大林太良:編、中公文庫、1996年

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