ロック音楽から現在まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:09 UTC 版)
「ロック (音楽)」を参照 第2次世界大戦後、ティン・パン・アレーは流行を先導することができなくなり、自発的な流行の後追いとなる。戦時統制でビッグバンド編成が組めなくなったジャズは技巧的なソロを聴かせるビバップに変化して行ったが、以前のような広がりを失っていった。こうした中、ブルースにエレキ・ギターを導入してビートを強調しつつジャズとゴスペルの要素を取り入れたリズム・アンド・ブルースが黒人の間で生まれると、黒人のみならず白人の若者もこれを熱狂的に受け入れる現象が見られた。こうしたリズム・アンド・ブルースをベースに、カントリー・ミュージックの要素、ポピュラー音楽の要素が融合された音楽が1950年代半ばに白人の間に生まれ、ロックンロールと呼ばれた。後に短縮形であるロックも使われた。最初期のロックの巨人としてエルヴィス・プレスリーがいる。 ロックは熱狂的に若者に受け入れられたが、人気ディスクジョッキーとレコード会社の癒着が明るみに出たことで、「結局は商売か」という失望を生み、1960年代に入ると急速に失速し、アメリカ民謡やカントリー・ミュージックに起源のあるフォーク・ソングの流行を見た。しかしこうした中、イギリスのビートルズやローリング・ストーンズが自作曲を武器に絶大な支持を得て、ロックは再び息を吹き返す。 ロックの流行の原動力は、アメリカ社会の持つ白人と黒人の対立構造、そして戦争後に訪れる対立解消への衝動だった。白人の若者の欲求不満を解消できる文化要素は白人の文化の中にはすでになく、黒人底辺文化の価値観を白人若年層が大幅に取り入れたという、前例を見ない先鋭的な現象がロックの流行だった。60年代は世界的に「怒れる若者」の時代であり、反戦と大人や社会への反抗が吹き荒れた時代であり、ロックの流行は、その先取りとも言えるものだった。 1960年代後半には、ロックは二度目の全盛期を迎え、様々なジャンルと融合の試みが行われた。サイケデリック・ロック、プログレッシブ・ロック、フォーク・ロック、ブルース・ロック、ハード・ロックなどはこの頃生まれたものである。初めは白人貧困層の音楽だったロックはこの頃には知的な色合いも帯び、より広い社会的影響力を獲得していた。ピンク・フロイド、エリック・クラプトン、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルなど、現在でも楽曲が良く使われる「ロックの古典」のようなグループはこの頃のものである。 こうしたロックは、世界中のポピュラー音楽に影響を与え、英米以外の各国でもロックの後追いのようなジャンルが生まれるに至った。目立つものだと、フランスではそれまでのシャンソンとは明らかに異なるイェイェ(英語版、フランス語版)が生まれ、日本でもグループサウンズやニュー・ミュージックが生まれている。ただし東側諸国の多くはロックを西側の退廃音楽として弾圧したため、ロックの影響は地下化した。 しかし1970年代に入ると、オイルショックによる不況・アメリカの音楽産業の集中化・売れる歌手だけを売ろうとする方針などが組み合わさり、再度商業主義路線に回帰することとなる。ディスコはその代表例。商業主義に飽き足らなかった若者はパンク・ロックを支持したが、セックス・ピストルズの解散に伴いパンクも終焉を迎えた。ハード・ロックからはヘヴィ・メタル、パンク・ロックからはニューウェーブが生まれ、それなりの支持を得てはいたが、レコード会社の意図通りに売れる曲を作るロックの路線は「産業ロック」と揶揄され、全体として音楽産業が大きく衰退する結果となった。 こうした中、1980年代には、「カリスマになれる能力のある歌手だけをプロモーション・ビデオを駆使して全面的に売り出す」と言う方針が確立され、マイケル・ジャクソン、マドンナ、プリンスなどのカリスマが現れ、音楽産業は再び息を吹き返した。ヘヴィ・メタルもミュージック・テレビジョンの後押しを受けて幅広い社会階層から人気を集め、またCDの登場は音楽全般の需要を後押しした。この傾向は90年代まで変わらず、80年代初めのワールド・ミュージックの流行・80年代半ば以降のラップの台頭など、非白人文化の刺激は見られたものの、それ以降は新たなジャンルは見られず、ポピュラー音楽全体が統合・成熟の時期に入ったと言える。80年代半ば以降は、東欧での民主化運動や冷戦崩壊・ソ連崩壊に伴い、東側陣営の音楽も聞かれるようになり、統合の対象が東側世界まで拡大した。 1990年代は空前のCDバブルから始まるが、95年のウインドウズ95発売に伴うインターネットの爆発的な普及やその後の携帯電話の普及は、それまでの音楽受容のあり方を激変させた。音楽はインターネットや携帯電話と消費において競合するようになり、2000年代以降はCDの売り上げが世界的に激減した。 2008年にスウェーデンの企業・スポティファイ・テクノロジーが、音楽ストリーミングサービス『Spotify』を開始した。背景には、海賊版や違法音楽データの横行があり、その問題を解決することが目的であった。2011年にはアメリカ進出を果たし、2017年に全世界での有料会員数が5000万人、2019年には1億人を突破している。 2010年代以降は、ヒップホップやR&Bがチャートを席巻し、2017年にはアメリカの音楽売上でロックを超え、最大の音楽ジャンルとなった。
※この「ロック音楽から現在まで」の解説は、「音楽史」の解説の一部です。
「ロック音楽から現在まで」を含む「音楽史」の記事については、「音楽史」の概要を参照ください。
- ロック音楽から現在までのページへのリンク