ニヤーヤ【(梵)Nyāya】
ニヤーヤ学派
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 10:14 UTC 版)
【スムリティ(聖伝)】
注釈
- ^ 梵: आस्तिक、āstika、正統派、有神論者
- ^ 梵: न्याय、nyā-yá
- ^ 服部正明訳では次のように訳している:「知識手段・知識の対象・疑い・動機・実例・定説・支分(しぶん)・吟味・確定・論議・論諍(ろんじょう)・論詰・擬似的理由・詭弁・誤った論難・敗北の立場……」
- ^ 『ニヤーヤ・スートラ』は次のように説く。「周知のものとの相似によって、証示されるべきものを証示するのが『比定』である」(桂訳、1・1・6)
- ^ Nyāya-vārttika
- ^ Nyāya-vārttika-tātparyaṭīkā
- ^ Nyaya-vaartika-taatparya-tiikaa-parishuddhi
- ^ Nyaya Manjari
- ^ アタルヴァ・ヴェーダを伝えるバラモンの家系に生まれる。ジャヤンタの5代前に、ベンガルからカシミール地方に移り住んだことが分かっている。ニヤーヤ学派の注釈書『論理の花房』(ニヤーヤ・マンジャリ―)や戯曲『聖典騒動』(アーガマ・ダンバラ)など複数の著作を残した[21]。
- ^ 梵: विद्यास्थान、Vidyā-sthāna、ヴィディヤースターナ
- ^ なお、ジャヤンタは、ヴェーダの伝統の外にあるものとして、「非ヴェーダ」(シヴァ派、パーシュパタ派(獣主派)、カーパーリカ派、パンチャラートラ派)、「反ヴェーダ」(仏教、ジャイナ教、サーンキヤ学派[ヨーガ学派含む])、「それ以下」(順世派、黒衣派Nīlāmbara)を挙げている[25][26]。
出典
- ^ 「ニヤーヤ学派」 - 世界大百科事典 第2版
- ^ a b 桂 1998, p. 31.
- ^ “六派哲学”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. 2020年8月23日閲覧。
- ^ ブリタニカ国際大百科事典
- ^ a b c 山崎 2007, p. 255.
- ^ a b 桂 1998, p. 33.
- ^ a b 桂 1998, p. 34.
- ^ 桂 1998, pp. 35–36.
- ^ a b 桂 1998, p. 43.
- ^ 桂 1998, pp. 43–44.
- ^ なお、服部は「類推」(Analogy)と訳している一方で、桂は、この行動が「未知の対象に名称を適用する」ことであることを理由として「比定」(Identification)の訳語を採用している[9]。
- ^ 『ニヤーヤ・スートラ』(1・1・3)
- ^ 桂 1998, p. 45.
- ^ 『ニヤーヤ・スートラ』(1・1・9)
- ^ 桂 1998, pp. 46–48.
- ^ 岩波 哲学・思想辞典. 岩波書店. 1222-1223.
- ^ 岩波 哲学・思想辞典. 岩波書店. 1223.
- ^ 岩波 哲学・思想辞典. 岩波書店. 1222.
- ^ 桂 1998, p. 48.
- ^ 桂 1998, pp. 59–62.
- ^ 奈良&下田 2019, pp. 120–121.
- ^ a b 奈良&下田 2019, p. 122.
- ^ 片岡 2007, p. 39.
- ^ 片岡 2007, p. 42.
- ^ 奈良&下田 2019, pp. 130–139.
- ^ 片岡 2007, pp. 42–43.
- ^ a b 奈良&下田 2019, p. 127.
- ^ 桂 1998, pp. 8–10.
- ^ 奈良&下田 2019, pp. 127–129.
ニヤーヤ
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ニヤーヤ学派はニヤーヤ・スートラを基礎とする。ニヤーヤ・スートラはアクサパダ・ガウタマによって、おそらく紀元前2世紀に著された。この学派による最も重要な業績はその方法論にある。ニヤーヤの方法論は論理体系を基盤としていたが、後にはインド哲学の大部分の学派が同じ方法を採用するようになった。これは、西洋の科学と哲学の関係においてアリストテレス論理学から多くのものが取り入れられたことに相当する。 にも拘らず、ニヤーヤはまぎれもなく単に論理的なだけではないものだと門人にみなされていた。彼らは、妥当な知識を得ることは苦痛から解脱するための唯一の手段だと信じ、知識の妥当な根拠を見出してそれを間違った体験にすぎないものから区別するのに苦心した。ニヤーヤによれば、知識の根拠は、認識・推論・比較・証明の四つだけ存在する。これらのうちどれかから得られた知識は妥当であるか妥当でないかのいずれかである。ニヤーヤではいくつかの妥当性の判断基準が発達した。この点で、ニヤーヤはインド哲学の中では最も分析哲学に近いだろう。後のナイヤニカは、当時まったくもって有神論でなかった仏教に対する反論のなかで、イーシュヴァラの存在とその独自性の論理的証明を与えた。その後のニヤーヤの重要な動きとしては「ナヴィヤ・ニヤーヤ」の体系がある。
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ニヤーヤ
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詳細は「ニヤーヤ」を参照 ニヤーヤ(ni-āyá、反復を意味し、「三段論法、推論」を指して用いられる)はヒンドゥー哲学の正統六学派の一つであり、特に論理学を扱う学派である。 ニヤーヤ学派の哲学的思索は、2世紀頃にアクシャパーダ・ガウタマが著した『ニヤーヤ・スートラ』として知られる文献に基づいている。ニヤーヤ学派が後世のヒンドゥー思想に遺した最大の業績はその方法論にある。ニヤーヤ学派の作り出した方法とは論理体系であり、後に(正統派であるか否かを問わず)他のほとんどのインドの学派にも取り入れられた。西洋哲学がアリストテレス論理学に大幅に準拠しているのと同様であると言える。 ニヤーヤ学派の支持者は、確かな知識を得ることは苦悩から逃れるための唯一の方法であると信じていた。それゆえ彼らは知識の確かな根拠を見極め、単に意見にすぎない誤ったものから区別することに非常に苦心した。ニヤーヤ学派によれば、知識の根拠(pramāṇa)にはきっちり四種類存在する。つまり、直接知覚、推論、類比、言葉である。もちろん、これらから得られた知識は確かなものである場合もそうでない場合もある。そのため、ニヤーヤ学派の学者達はそれぞれの知識の根拠に関して、その根拠が確かな知識をもたらすためには何が必要かを見極めるのに、様々な説明図式を作り出して非常に苦心した。この点で、ニヤーヤは現代の分析哲学に相当するインド哲学であると言えるだろう。
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