ショーヌ公爵との乱痴気騒ぎとは? わかりやすく解説

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ショーヌ公爵との乱痴気騒ぎ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 09:29 UTC 版)

カロン・ド・ボーマルシェ」の記事における「ショーヌ公爵との乱痴気騒ぎ」の解説

当時パリでは、あるひとりの女優あらゆる階級男たち惹きつけていた。名前をメナール嬢といい、宮廷貴族から町民まで誰もが先を競って女に近づきたがり、彼女のために大金をはたいていた。彼女が一通りの男から贈り物受け取ったところへフランス十二貴族のショーヌ公爵がその競争加わり、たちまちほかの男たち蹴散らして彼女を自分愛人とし、娘まで産ませるに至った。ショーヌ公爵確かに血筋抜群に良かったものの、異常な性格持ち主であった才気ある男ではあったが、判断力乏しく高慢であり、粗暴なであった。なぜかはわからないが、この公爵ボーマルシェ気に入り交際結んでいたという。 普通にていればそのまま幸福に過ごせただろうものを、判断力乏し公爵は、自ら余計なことをしでかしたある日公爵愛人であるメナール嬢の家に親し友人たちを招こうと考えた。その招かれ友人のうちの1人が、ボーマルシェであった伝わっている資料から察するに、血筋以外に魅力のない公爵のどこを好きになったのかはわからないが、メナール嬢も彼の嫉妬と乱暴に辟易してたらしいボーマルシェ王侯貴族さながら優雅な物腰にメナール嬢は惹かれたらしく、すぐに関係が始まったようだ。ところが、ボーマルシェも相変わらず軽率であった。彼はメナール嬢と自分の関係を言い訳しようと公爵宛てて手紙認めたが、その内容たるや、ひどいものであった相手嫉妬心刺激する記述から始まり延々と公爵怒らせるような皮肉、言葉並べ立て最期虫のいい提案手紙締めくくる異常な性格持ち主に、もっとも拙い内容の手紙を送ったのだ。 1773年2月11日、ついに問題起きた。この当日一件に関しては、ボーマルシェとその友人ギュダンが詳細に記録を遺している。この日の午前11時頃、メナール嬢の部屋公爵がやってきた時、その傍にはギュダンとメナール嬢の女友達がいた。ギュダンと女友達は、公爵暴力怯えてボーマルシェの身を案じる彼女を慰めているところであったこの際、メナール嬢がボーマルシェ立派な紳士だと弁護したがために、公爵はとうとう激昂しボーマルシェ決闘を行うと断言して部屋飛び出ていった。ギュダンはボーマルシェの家に事情知らせ急行するが、その途中で馬車乗るボーマルシェに出くわした決闘巻き込まれるから避難するように言うギュダンであったが、ボーマルシェ仕事(王室料地管理代官としての審理)があるから、それが終わったら伺うと答えて去っていった。 ギュダンは、帰宅途中に運悪くポンヌフのそばで、ボーマルシェの家に向かう公爵捕まった大柄な公爵抵抗するすべもなく馬車中に引きずり込まれ、その馬車の中でボーマルシェ対す恐ろしい脅迫聞かされた。暴れまわって抵抗するギュダンを強引に抑え込もうとする公爵であったが、彼が大声警察助け求めたために、公爵それ以上手出しできなくなったボーマルシェの家の前に到着すると、公爵乗り込んでいった。ギュダンはこの時にすきを見て逃げ出したらしい。家にいた召使から主人居場所聞き出した公爵は、ルーヴル宮殿内の法廷飛んで行き、そこで審理中のボーマルシェのもとへ現れ法廷外へ今すぐ出るように要求した公爵あまりにやかましいので、ボーマルシェ審理一時中断して、小部屋へ彼を移動させた。その小部屋でおよそ大貴族にはふさわしくない言葉遣いボーマルシェ罵る公爵であったが、しばらく待つように伝え、再び仕事取り掛かるボーマルシェであった。 いざ審理が終わると、公爵即刻決闘迫ってきた。家に剣を取り帰りたいボーマルシェ告げても、ある伯爵立会人考えているから彼に借りればよい、と取り合わなかった。自身馬車ではなく公爵ボーマルシェ馬車飛び乗ってある伯爵邸に出向いたが、ちょうど伯爵は出かけようとしているところであった宮廷へ出向なければならない、と立会断られたので、公爵ボーマルシェ自邸拉致ようとしたが、ボーマルシェはこれを断固として拒否し自宅帰ることにした。相変わらず馬車飛び乗ってきた公爵は、馬車内でもボーマルシェ徹底して罵倒したが、彼は余裕見せて公爵食事招いたという。 自宅に着くと、公爵激越態度脅える父親落ち着かせて、ボーマルシェ2人分食事を運ぶように召使指示出して2階書斎向かった。後を付いてきた召使に、剣を持ってくるように伝えたが、剣は研磨預けていて手元にないという。取ってくるように言うボーマルシェであったが、公爵はそれを遮って誰も外出してならないさもなければ殺す」と興奮気味に語る。なんとかして公爵落ちかせよう努力するボーマルシェであったが、その努力虚しく、とうとう公爵は武力行使打って出たボーマルシェの上置いてあった葬儀用の剣に飛びつくと、自身の剣は腰につけたままでおきながら、剣を引き抜いて斬りかかってきたのであるボーマルシェは剣が届かないように公爵組みかかり、召使を呼ぶために呼び鈴ならそうとした。公爵空いている片方の手で爪をボーマルシェの目に立てて顔を引き裂いたので、彼の顔は血まみれになった。なんとか呼び鈴鳴らして、やってきた召使向かって公爵抑えている間に剣を取り上げるように叫んだ。ここで乱暴な真似をすれば、後々になって殺されかけた」などとうそをつくかもしれない考えたようで、手荒な真似はさせなかったらしい。剣を取り上げられ公爵は、今度ボーマルシェの髪に飛びついて、額の毛をそっくりむし取った。あまりの痛み公爵抑えていた手を放してしまったボーマルシェであったが、そのお返し公爵顔面に拳をぶち込んだこの際公爵は「十二貴族一人を殴るとは何たる無礼か!」と口走ったらしい。すでに当時からこのような考え時代錯誤であり、ボーマルシェ自身も「他の時であったなら、このような台詞には笑ったと思う」としているが、何しお互いに節度失って壮絶な殴り合い繰り広げている真っ最中であった。そこへ、ボーマルシェの身を案じたギュダンが飛び込んできた。血まみれの顔をしているボーマルシェ見て驚いたギュダンは、彼を伴って2階あがろうとしたが、怒り狂った公爵自身佩刀抜き突きかかろうとしてきた。召使たちが公爵飛びついてなんとか剣をはぎ取ったが、頭や鼻や手に傷を負う者が出た。剣をはぎ取られ公爵台所駆け込み包丁探しだしたので、召使たちはその後追って殺傷能力のあるあらゆる道具隠した武器が見つからないことを悟った公爵一人食卓に腰を下ろし台所準備されていたスープ牛の骨付き肉を平らげたという。ここでようやく警察到着し公爵ボーマルシェ乱痴気騒ぎ終わり迎えた。この晩、ボーマルシェ包帯を体に巻き付けてサロン出向き、『セビリアの理髪師』の朗読ハープ演奏行ったという。 当然、この騒ぎを裁く法廷開かれた貴族間の争いを裁く軍司令官法廷は、公爵ボーマルシェ邸宅警備兵置いて監視させ、両者尋問した。この法廷とは別に宮内大臣ラ・ヴリイエール公爵ボーマルシェ数日間パリ離れるように命令出したが、ショーヌ公爵怒り恐れて逃げ出した受け取られることを心外であると考え、この命令に従わなかった。結局、ショーヌ公爵の非を認めボーマルシェ行為正当防衛認め裁定下され公爵は王の封印状によって2月19日ヴァンセンヌ牢獄にぶち込まれた。ところが、宮内大臣はこの裁定に不満があったらしい。ショーヌ公爵先述たように血筋抜群に良い貴族であった。その大貴族牢獄放り込まれているのに、貴族とはいえ平民出身成り上がりが自由の身に置かれていることを問題視したのかもしれない大臣職務上、王の封印状を手に入れるのは容易であったから、それを手に入れて2月24日ボーマルシェ牢獄にぶち込んだであった。 この2人は、5月上旬揃って出獄許された。たとえ3か月程度とはいえ牢獄放り込まれ充分懲りたのか、メナール嬢への恋心がずいぶん薄まったのか、いずれにせよ出獄後楽しく食卓囲み和解したという。乱痴気騒ぎ原因となったメナール嬢は、公爵暴力から逃げ出すために、聖職者警察長官の助け得て修道院駆けこんだが、その厳しい生活に2週間と耐えられなかったようだ。ちょうど公爵牢獄にぶち込まれたことをこの頃知ったようで、もう暴力脅える必要なしと判断したのかもしれないボーマルシェはメナール嬢が修道院から抜け出したことを牢獄内で知り手紙修道院へ戻るように勧めているが、彼女はこれに従わなかった。

※この「ショーヌ公爵との乱痴気騒ぎ」の解説は、「カロン・ド・ボーマルシェ」の解説の一部です。
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