著作権擁護のためにとは? わかりやすく解説

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著作権擁護のために

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 03:19 UTC 版)

カロン・ド・ボーマルシェ」の記事における「著作権擁護のために」の解説

1775年2月23日、『セビリアの理髪師』の初演コメディー・フランセーズにて行われた1773年1月時点で、上演候補作品としてコメディー・フランセーズ受理されていたのだが、ショーヌ公爵との乱痴気騒ぎグズマン判事夫妻との闘争おかげで中々作品上演することができず、大幅に上演引き延ばされていた。そのような過程もあって前評判上々興行成績でも大成功するかと思いきや大失敗してしまった。四幕物として書き上げていた同作品を上演数日前に五幕物に書き換えた、つまり、完成されていた作品無理に太らせたため、作品冗長な内容となってしまったのである。この書き換え作品大失敗したため以前の四幕物に戻され再度26日上演され大成功収めたフィガロ三部作第一作はこうして産声上げたのである今日でこそ著作権作者権利として厳しく守られているが、この当時にあっては著作権無きに等しいものであったこうした考え17世紀初頭から続いており、たとえばオテル・ド・ブルゴーニュ座座付き作家であったアレクサンドル・アルディジャン・ロトルー劇団求めに応じて作品次々と書かなければならず、その結果制作され作品作者の手離れて劇団固有の財産となるなど、今日から考えればずいぶん作者蔑ろにした契約を結ばされていたのである。しかも、作品一度出版されるその作品演劇界共有財産となり、作者には一切金が入らなくなるなど、理解し難い慣習もあり、モリエールはたびたびこの慣習のせいで迷惑を被っている。 ボーマルシェによれば劇作家劇団対等な立場契約交わしたのは、1653年フィリップ・キノーの例が最初であるという。この契約においてキノー興行成績から諸経費引いて残った額の9分の1を得ることになっており、この内容がそのまま1685年になって正式にほかの作家にも適用されることになった。ただ、「人気落ちたなどして一度上演不可能になった作品が、再度上演され場合収入全て劇団のものとなる」という条項があり、その後手直し加えられ結果、「夏季300リーヴル冬季500リーヴル以下の収入2度続いた場合失敗作とみなし、作者収入を払う必要はない」との内容改められた。 ところが1757年になってコメディー・フランセーズはこの条項を「夏季800リーヴル冬季1200リーヴル」と無断書き換えて、劇作家立場侵害するようになったそれどころか、本来劇団支払う「貧者への4分の1税」なる慈善病院への納付金をも作者一部負担させたり、桟敷席予約収入はすべて懐に入れたり、作品成功して上演回数重ねにつれて意図的に上演をいったん中止しその後再演し収入をすべて自分たちのものとするなど、まさにやりたい放題であった。ロンヴェ・ド・ラ・ソーセという劇作家は、その作品が5回の上演で12000リーヴル収入をあげたにも関わらず収入を得るどころか劇団負債があるとして金を要求される始末であったさすがに怒ったラ・ソーセは世間抗議文書発表した世間に噂が広がってさすがに無視できなくなったのか、劇場監督官であるリシュリュー公爵協定問題点探って解決法見出すようにボーマルシェ依頼したが、この時『セビリアの理髪師』が大成功して、劇団良好な関係を築いていたボーマルシェには、敢えてこの問題首を突っ込む理由見当たらなかった。 だが劇団は、『セビリアの理髪師に関してあくどいやり方臨んできた。ボーマルシェは、同作品の32回目の上演後に正確な収支計算要求したが、劇団はなかなか返事をよこさなかった。1777年1月3日劇団幹部俳優デゼサールが苦情申し立てられずに済むように、として32分の上演料として4506リーヴル差し出してきた。金額につけられるべき収支計算書もなく、デゼサールが大さっぱな見積もりによる金額であると説明してきたため、金の受け取り拒否し正確な計算書提出求めた1月6日劇団宛ての手紙では、正確な収支計算書の作成方法示している。劇団断固とした姿勢で臨むボーマルシェであったが、相手自分芝居演じてくれる役者たちであるだけに、慎重な姿勢をも崩さなかった。1月19日書面自体収支計算に関して極めて丁寧な申し入れ行っているが、劇団は相変わらず不誠実な対応を繰り返した確かに収支計算書を送ってはきたものの、そこには誰の署名入れられていなかった。無署名文書と言うのは、その正確さがどうであれ、社会的に単なるメモしかないボーマルシェはこの対応に憤慨し1月24日の手紙において言葉遣い丁寧ながらも、責任者署名と『セビリアの理髪師』の続演2点要求しこれまで他の劇作家にしてきたようにあくどいやり方自分にも貫くのなら、それなりの対応を執る仄めかした1月27日劇団は「上演ごとの収入額は正確に計算できるが、諸経費日々変化するので、全体として大雑把な見積もりしかできないと言い訳の返事よこしてきた。ボーマルシェはこれに納得せず、日々経費計算方法明示した返事送りつけた。 劇団は、ボーマルシェが手に負えない相手だと悟ったようで、問題を公正かつ誠実に解決するためとして、顧問弁護士3名と劇団員4名で委員会結成しボーマルシェ要求検討した上で通知を行うと2月1日の手紙で伝えてきた。ところが劇団は、この問題解決のために折れるつもりなど初めからなかったようだいつまで待って返事が来ないボーマルシェのもとをある知人訪れ、「セビリアの理髪師上演するよう劇団要求したが、色々な理由をつけて拒否されている。役者たちは、その原因は我々(役者)にあるのではなく作者にあると言っている」と伝えたという。ボーマルシェはこの不誠実な態度怒りこれ以上事を引き延ばすなら、法的手段訴え出ると書面で宣言した。この宣言劇団慌てボーマルシェ宥める一方で宮廷有力者たちに助け求めた6月15日ボーマルシェのもとに王室侍従長1人であるデュラス公爵から手紙届いた自分仲介するから、一度面会したいという。ボーマルシェはこれに応じて公爵にこの件の簡潔な概要手紙送ったのち、6月17日公爵面会した公爵はこの席で「思慮分別のある劇作家集め劇団作家側の抱える問題解決する規則作成するよう」ボーマルシェ提案し自身は「その規則作成全面的に協力する」と伝えてきた。この提案通りボーマルシェ劇作家たちに働きかけ7月3日ボーマルシェ邸に23人の劇作家集まったボーマルシェ集まった全員公爵との面会詳細報告し議論進めたその結果ボーマルシェを代表とする4人の委員選出され、彼が先頭立って公爵との折衝劇団との交渉に当たると決定した。こうして、ボーマルシェを代表とした劇作家協会誕生したのである。 こうして、この問題は『セビリアの理髪師に関するボーマルシェ個人的問題という範疇超えて演劇界全体巻き込んだ劇作家協会コメディー・フランセーズ対立発展していった。劇作家協会の設立後も、この問題に関して中々ボーマルシェ思うようには事は進まなかった。紆余曲折経て結局1780年国王ルイ16世直接解決乗り出したのである国王下した裁定では、たしかに収入計算の方法明確化されたものの、その作品失敗作とみなす基準夏季1800リーヴル冬季2300リーヴル引き上げられてしまった。国王このような高い基準額を設定してしまったため、以前より容易に失敗作みなされてしまうこととなったのである。 この件に関するボーマルシェ闘いは一旦ここで終わりを告げた絶対王政下では、国王裁定異議下すなど出来るはずもないことであったからだ。この国王裁定は、劇作家たちの助けはならず結局彼らは以前しきたり則って上演料をもらい続けたという。フランス革命勃発は、この問題にも多大な影響与えた1791年1月13日憲法制定国民議会によってコメディー・フランセーズ特権廃止されその作品成否かかわらず正式に劇作家権利認められる至ったのである直接ボーマルシェ劇作家権利獲得したわけではないが、彼の闘い間接的に大きな影響与えたと言えるだろう。

※この「著作権擁護のために」の解説は、「カロン・ド・ボーマルシェ」の解説の一部です。
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