OB
「OB」とは、特定の組織に在籍した経験を持つ人のことを意味する表現。
「OB」とは・「OB」の意味
「OB」とは、「Old Boy」の頭文字を並べた和製英語で、特定の組織に在籍していた人を意味する言葉である。「先輩」や「卒業生」という意味合いで用いられるケースが多く、学校や会社、部活、サークルなど、大小さまざまな組織に関して、現役で所属している者が過去に在籍していた者を称する場合はOBを使用することが可能である。OBは男性・女性を問わず使用されるものであるが、特に女性をさしていう場合は「OG(Old Girl)」が用いられるケースもある。卒業した学校が女子校であったり、女性だけで構成される組織やサークルでの過去の在籍者のことをいったりする際には、OGが使われることがある。「OB」は、過去の在籍者そのものをさしていうだけでなく、時に団体として機能することがある。プロ野球のOB会などがその一例である。正式名を公益社団法人全国野球振興会といい、日本野球の発展を目的に設立後、1998年に文部省所管の社団法人として認可を受けた組織であるが、会の組織者はすべてプロ野球の選手経験者で構成される。「野球に関する指導者の養成」や「野球に関する技術指導」、「プロ・アマ交流に資する各種行事の開催」、「全日本野球会議その他野球に関する団体との連携協力」などを事業の柱に据え、社会活動という点においても積極的な役割を果たしていこうとする意欲を見せる。
経済活動への影響力という点では、就活におけるOB訪問も特筆されるべきものである。OB訪問とは、自分と同じ学校の卒業生を訪ねてその就職先に出向くことをいう。目的は、就職先の社風や待遇、求められる人材像など、各種の情報を収集することで、コミュニケーションスキルを磨きながら人脈も培われ、就職活動を有利に運ぶことができるという利点がある。そのため就活者にとってOB訪問は重要なセレモニーとなり、活動に関する対策のニーズの高さから、「OBトーク」というマッチングサービスなども誕生した。このようなOB訪問で築き上げられたコネクションは、入社後にも活きるケースが少なくないため、時に学閥なども生んで社内の力関係に影響を及ぼすこともある。
このほかに、「OB」はゴルフの「アウトオブバウンズ」の略語としても用いられる。アウトオブバウンズとは、規定のエリア外にボールを打ってしまった場合の罰則で、実際の打数に1罰打を加えてカウントされるペナルティである。また、スマホやタブレットなどの端末モニターに、エンジンをはじめとした車両の各種駆動情報を表示するシステムも「OB-LINK」といい、これにもOBの名称が使われる。医療分野でOBといえば、ドイツ語の「ohne Befund(オーネベフント)」の略となり、「特筆すべき異常はない」という意味である。さらに市販の薬を大量摂取して精神的な苦痛から逃れようとする行為は「overdose(オーバードーズ)」といわれるもので、OBの略称が用いられることがあるが、これは「OD」の誤用である。
ビジネスの世界で「OB」といえば、「組織行動学(Organizational Behaior)」をさす。これは社会学や心理学などに導かれた人の行動メカニズムに基づいて、部下や組織の管理を行おうとするマネジメント法である。具体的には、企業運営において強い影響を及ぼす「個人の取り組み」を、モチベーションや自己肯定感、不公平感、ストレスなどの視点で分析し、得られた結果を活用して組織マネジメントを効果的に推進していこうとする試みをいう。
「OB 」の熟語・言い回し
学校OB とは
学校OBとは、ある学校を卒業した人たちを総称して言う言葉。学校の卒業生のこと。OB、すなわち「オールドボーイ(Old Boy)」は和製英語で、学校の卒業生を英語でいう場合は、「グラデュエイト(Graduate)」が本来の単語となる。
オー‐ビー【o.B.】
読み方:おーびー
《(ドイツ)ohne Befund》医学で、「所見なし」「異常なし」の意。
オー‐ビー【OB】
オー‐ビー【OB】
読み方:おーびー
オー‐ビー【OB】
読み方:おーびー
OB (オービー)
オービー
オービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/19 01:48 UTC 版)
オービー | |
---|---|
欧字表記 | Orby |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1904年 |
死没 | 1918年4月6日[1] |
父 | Orme |
母 | Rhoda B. |
母の父 | Hanover |
生国 | ![]() |
生産者 | Richard Croker |
馬主 | Richard Croker |
調教師 | Frederick McCabe |
競走成績 | |
生涯成績 | 7戦4勝 |
オービー(Orby, 1904年 - 1918年)はグレートブリテン及びアイルランド連合王国の競走馬、種牡馬。アイルランド調教馬として初めてエプソムダービーで優勝した。
経歴
出生から3歳前半まで
アメリカ合衆国の政治家リチャード・クローカーが所有するグレンケアン牧場で生産されたサラブレッドの牡馬である。アイルランドにおいて生産されたとある場合もあるが、実際のところイングランドで誕生したのちに母馬とともにアイルランドに渡っている[2]。クローカーはイギリスのジョッキークラブにイングランドでの馬主登録を拒否された経緯があり[3]、このためオービーはヘンリー・パースのもとで短期間調教を積んだのち、キルデア州マッデンズタウンのジム・パーキンソンのもとへ送られた。
オービーは蹄が脆く、このため2歳時は2度しか出走させられなかった。デビュー戦はレパーズタウン競馬場で行われて3着で、戻ってきたオービーは脚から血を流していたという。また次にカラ競馬場で行われた競走でも3着であった[4]。
3歳になったオービーはダブリン近郊サンディフォードのフレッド・マッケイブ調教師のもとに転厩した。オービーは3歳初戦にリバプールのエイントリー競馬場で行われたアールオブセフトンプレートに出走、これに勝利した。5月になってアイルランドに戻ったオービーはダブリンのバルドイル競馬場で行われたバルドイルプレート(12ハロン)に出走、単勝約1.4倍に支持されたでも楽に勝利を挙げた[2]。2000ギニーにも登録されなかった明け3歳当時のオービーのエプソムダービーにおける予想倍率は21倍と大穴であったが[5]、これらの勝利でダービー当日には約12倍まで倍率を下げていた。この頃、クローカーはオービーのために2,500ギニーを払ってハイデンという馬を購入し、これをオービーの調教相手につけている[6]。また、オービーを警護するためのボディガードも雇い入れていたという[7]。
エプソムダービー
6月5日、ダービー当日は「冷たく湿って風の強い、陰鬱な」と形容されたほどの悪天候に見舞われた[6]。9頭立てで行われたなか、当日の1番人気には2000ギニーを制してきたスリーヴギャリオンが単勝約1.6倍に据えられていた。この日は国王エドワード7世と皇太子も臨席しており、観客もいつも以上に身だしなみが整った「シルクハット・ダービー」と呼ばれた[8][9]。スタートが切られると先に行ったのはジョンブルという馬で、それを追いかけるのがスリーヴギャリオン、そしてオービーは6-7番手につけて道中を進めていった。オービーの鞍上を務めたジョン・レイフはレースの半分が過ぎたところで動き出し、スリーヴギャリオンが最後の直線に入るところでオービーが先頭を奪取、そのまま突き抜けて2着ウールウィンダーを2馬身離して優勝した[10][11]。敗れたスリーヴギャリオンの調教師サム・ダーリングは「より良い馬に負けた」とオービーを称賛したという[12]。馬主のクローカーはこの競走で4万ポンドを賭けており、また優勝賞金を全額チャリティーに回したという[2]。
ダービー勝利後の少しあと、クローカーはスリーヴギャリオンの馬主と協議して数回にわたるマッチレースを企画したが、これは結局破談となった[13]。その後オービーはカラ競馬場に戻り、エプソムダービー勝ち馬として初めてアイリッシュダービーに出走、これに勝利した[14]。
引退
しかしこのあと、オービーは喘鳴症の症状が出るようになる[15]。オービーは7月のリバプールで行われたアトランティックステークスに1番人気で出走するが、4頭立ての最下位に敗れている[16]。このためクローカーはオービーを休養にあて、セントレジャーステークスの前に厩舎に戻した。だがセントレジャーの直前、オービーは調教中に故障が発生し、これによりセントレジャーを回避せざるを得なくなった[4]。さらに腎臓を悪くしたとも報じられ[17]、翌年の年初まで復帰に向けて調整が行われていたが、結局引退に至った[18]。オービーが1907年に稼いだ賞金は6,717ポンドであった[19]。
種牡馬入り後
オービーは故郷のグレンケアン牧場で種牡馬となった。オービーの産駒は全部で70のステークス競走で勝ちを挙げ、30,000ポンドの賞金を稼いだとある。代表産駒には1919年のダービーを制したグランドパレード、1917年の1000ギニー優勝馬ダイアデムなどがいる。産駒も種牡馬として成功した者がおり、そのうちの1頭ザボスはサーコスモ・ゴールデンボスなどのスプリンターを多く出して成功を収めた。ほか、グランドパレードの血統からは日本で成功したダイオライトが出ている。
オービーは1918年4月6日に死亡が報じられた[1]。
血統表
オービーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | エクリプス系 |
[§ 2] | ||
父
Orme 鹿毛 1889 |
父の父
Ormonde鹿毛 1883 |
Bend Or | Doncaster | |
Rouge Rose | ||||
Lily Agnes | Macaroni | |||
Polly Agnes | ||||
父の母
Angelica鹿毛 1879 |
Galopin | Vedette | ||
Flying Duchess | ||||
St. Angela | King Tom | |||
Adeline | ||||
母
Rhoda B. 黒鹿毛 1895 |
Hanover 栗毛 1884 |
Hindoo | Virgil | |
Florence | ||||
Bourbon Belle | Bonnie Scotland | |||
Ella D. | ||||
母の母
Margerine鹿毛 1886 |
Algerine | Abd-el-Kader | ||
Nina | ||||
Sweet Songstress | Doncaster | |||
Melodious | ||||
母系(F-No.) | (FN:26) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Doncaster 4x4, Vandal 5x5 | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
- ^ a b “Notes and Comments”. Evening Post. 2011年11月12日閲覧。
- ^ a b c “IN A NUTSHELL”. Paperspast.natlib.govt.nz. Otago Witness (1907年8月7日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “Turf Topics”. Paperspast.natlib.govt.nz (1907年7月27日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ a b Mortimer, Roger; Onslow, Richard; Willett, Peter (1978). Biographical Encyclopedia of British Flat Racing. Macdonald and Jane’s. ISBN 0-354-08536-0
- ^ “DERBY BETTING”. Paperspast.natlib.govt.nz (1907年4月4日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ a b “THE ENGLISH DERBY”. Paperspast.natlib.govt.nz (1907年6月12日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “IN A NUTSHELL”. Paperspast.natlib.govt.nz (1907年7月17日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “THE RACE FOR THE DERBY”. Paperspast.natlib.govt.nz (1907年7月24日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “RACING IN ENGLAND”. Paperspast.natlib.govt.nz (1907年6月12日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “EPSOM DERBY”. Paperspast.natlib.govt.nz (1907年7月17日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “EXTRA EDITION. LATE SPORTING”. Paperspast.natlib.govt.nz (1907年6月6日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “SPORTING INTELLIGINOE”. Paperspast.natlib.govt.nz (1907年8月13日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “NOTES BY "MULTIFORM."”. Paperspast.natlib.govt.nz (1907年8月24日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “NOTES BY "MULTIFORM."”. Paperspast.natlib.govt.nz (1907年8月12日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “IN A NUTSHELL”. Paperspast.natlib.govt.nz (1907年9月18日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “NOTES BY "ACHILLES."”. Paperspast.natlib.govt.nz (1907年8月31日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “SPORTING INTELLIGENCE”. Paperspast.natlib.govt.nz (1907年10月8日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “TURF NOTES”. Paperspast.natlib.govt.nz (1908年3月7日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “TURF NOTES”. Paperspast.natlib.govt.nz (1908年1月4日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|Orby(GB)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 日本軽種馬協会. 2021年5月30日閲覧。
- ^ a b c “Orbyの血統表”. netkeiba.com. 2021年5月30日閲覧。
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